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Africa Today今日のアフリカ

今日のアフリカ

2019年08月

TICAD7はどう見られているか

2019/08/30/Fri

8月29日付ルモンド紙は、コラムニストSébastien Le Belzic氏署名のTICAD7に関する論評記事を掲載した。そこでは、TICADがもっぱら対中政策として捉えられている。特に、「自由で開かれたインド太平洋」政策が表明されたことに触れて、日本が中国の封じ込めを目的としたアフリカ政策を定義したと論じている。アフリカが中国に取り込まれるのを恐れた日本は、TICADで債務、武器売却、環境配慮、ガバナンスといった、しばしば中国が批判される分野のアフリカ政策を取り上げ、自国の政策を売り込もうとしている。日本外交は、特にアフリカにおいて米国のそれに結びついており、米国に協力して中国の進出を阻止しようとしている、という説明である。  TICADは多国間の枠組みでアフリカ開発を考える機会だし、市民社会がアフリカに触れる機会としても重要だ。それを専ら中国との関係だけで捉えるという理解には、かなり違和感がある。しかし、欧米の識者はこの側面に最も関心を抱いているのだろう。一方で、考えてみれば、日本においても、メディアでTICADが紹介されるときには、決まって中国・アフリカ関係が持ち出されていた。その線で考えれば、なぜ日本がTICADを開催するのかという問いに、アフリカで中国に対抗するためだという答えが期待されるのかも知れない。  しかし、中国に対抗するためにTICADを開催するとか、米国と共同で中国のアフリカ進出を阻止するというのは、何とも情けない理解のされ方だ。TICADは日本のアフリカ外交に内在する理念に基づいて開催されてきたはずだ。AU委員会をパートナーに加えているのも、理念があってのことだろう。日本はどんな姿勢でアフリカに関わるのか、TICADの機会にその理念をより明確に示し、世界に訴えるべきではないだろうか。

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ケニアの石油開発

2019/08/24/Sat

8月20日付ルモンド紙は、ケニアの石油開発の影響に関して、IFRI(フランス国際関係研究所)所属のオジェ(Benjamin Augé)研究員に対するインタビュー記事を掲載している。興味深い内容なので、概略を紹介する。  8月1日、ケニヤッタ大統領は中国と1200万ドル分の石油売却契約を結んだと発表し、ケニアは産油国の仲間入りを果たした。9月までにモンバサ港にトラックで運ばれた20万バレルが、中国向けに輸出される。  北西部トゥルカナの油田は日量6万~8万バレルで、生産規模としてはカメルーン並み。大油田ではなく、すでに規模が大きいケニア経済に巨大な影響を与えることはないとオジェ研究員は見ている。ソマリアとの国境付近でオフショア生産がなされる予定で、ソマリアとの間の係争が決着すれば石油生産はさらに拡大し、経済の重要な構成要素となろう。開発はまだ初期段階で、ケニヤッタとしては2017年の大統領選挙以前にこの段階まで持って来たかったが、大幅に予定が遅れた。  開発の第二段階として、生産地からラムまで石油パイプラインを建設することが予定されている。ラムはソマリアとの国境に近く治安上の問題を抱えているため、このプロジェクトの株式の25%を保有するフランスのTotal社は、ラムで事業を展開することに依然消極的である。現在ラムの貯蔵施設が完成していないため、石油はモンバサに貯蔵されている。ラムにはまだタンカーを接岸する港湾能力もないが、ケニア政府はラムからの石油輸出にこだわっている。その理由として政府は、モンバサへの集中を防ぎ、新たな開発地帯をつくりたいと主張しているが、政権に近いキクユ人がラム近くの土地を多く所有しているからだという見方もある。  隣国のウガンダでは、ケニア以上に石油開発が進んでいる。ウガンダ産の原油はケニア経由での輸出が考えられていたが、ケニヤッタ大統領がモンバサからの輸出を認めなかったため、Total社はウガンダ政府の意向を受けてタンザニアと交渉し、タンガ港から輸出する予定である。  産出量の規模とケニアの人口(5200万人)を考えれば、石油のインパクトはそれほど大きくない。分権化が進んだため、国家財政への石油の貢献はほとんど期待できない。一方、ウガンダが石油生産国として重要になれば、東アフリカ諸国間関係が変わる可能性がある。ムセヴェニがパイプラインでケニアを迂回したのも、その兆候かもしれない。ウガンダ経済が拡大すれば、両国間関係に影響が及ぶだろう。  以上がインタビューの概要である。東アフリカでの石油開発は、生産規模としてはそれほど大きくないとはいえ、地域経済や国際関係を大きく変える可能性がある。

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バシール・スーダン前大統領の初公判

2019/08/21/Wed

将来の民政移管に向けた動きが進展するスーダンで、8月19日、バシール・スーダン前大統領の収賄罪を問う公判が開催された。バシール失脚後に行われた家宅捜査により、邸宅から大量の外貨が発見されたことから収賄の疑惑が浮上したことによると言う。収監中の身であるバシールは、厳重な警備のもと金属製の檻に入った姿で出廷した。公判では計9000万米ドルの現金をサウジアラビアの王族らから授受したこと等について問われた。 今般の公判は、バシールの汚職に関する捜査の一部として開かれたものであり、国際刑事裁判所(ICC)から起訴されている戦争犯罪、人道法違反等については問われていない。これまでの経緯や、近隣諸国並びにアフリカ諸国とICCとの関係性を考慮すれば、スーダンがバシールの身柄をICCに引き渡すことは考えにくい。しかし、バシール政権時の犯罪に対する厳格な処罰は、バシール時代との決別を国内外に印象付ける点で現下のスーダンにとって重要とも考えられる。同国内でバシールの罪がどこまで追求されるかに今後注目が集まる。

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ワシントン条約締約国会議とアフリカゾウ

2019/08/17/Sat

ワシントン条約第18回締約国会議が8月17日~28日ジュネーブで開催される。議論の一つは、アフリカゾウをめぐる問題である。国際自然保護連合(IUCN)によれば、2015年のアフリカゾウの生息頭数は415,000頭で、うち森林ゾウの個体数は10万頭とされる。この10年間に、過去四半世紀で最も急速な減少がみられた。アジアゾウはワシントン条約が発効した1975年以来付属書I(絶滅の恐れがある種のリスト)に記載され、一切の国際商取引が禁じられている。アフリカゾウは、1977年に付属書II(必ずしも絶滅の恐れはないが、取引を厳重にする必要がある種のリスト)に記載され、輸出国の許可を受ければ国際商取引可能であったが、密猟が多発したことから1989年に付属書Iに記載されることとなり、1990年から一切の国際商取引が禁止された。  その後、1997年に南部アフリカ3か国(ボツワナ、ナミビア、ジンバブウェ)のアフリカゾウについては、絶滅の恐れがないとして付属書IIに戻された。2000年には南アフリカもこれに続いた。これを受けて、1999年と2009年の2回、最初は日本に、二度目は日本と中国に、象牙が輸出された。1990年以降、日本に輸出されたこの2回のみである(環境省HPによる)。  ルモンド紙の報道(8月16日)によれば、今回のジュネーブでの会議に向けて、南部アフリカ諸国は、付属書IIの種について、国際商取引を簡便化する改訂を提案している。南部アフリカ諸国にはアフリカゾウの6割、25万5千頭が生息し、生息数の拡大により住民の被害が懸念されている。また、ザンビア(生息数約2万2千頭)も、付属書IIに移行するよう求めている。一方で、ブルキナファソ、コートジボワール、ガボン、ケニア、リベリア、ニジェール、ナイジェリア、スーダン、トーゴといった国々は、南部アフリカ諸国のものを含め、全てのアフリカゾウを付属書Iに記載すべきだと主張している。  象牙保護のためには需要を減らすことが重要だが、この点で、中国が2018年1月1日から自国内で一切の象牙取引を禁止した効果は大きいと評価されている。香港も2021年末から同様の措置に踏み切るとのことである。米国では2016年以降、象牙取引が事実上禁止されている。日本は、登録された象牙に限って国内での取引を認めており、合法的商取引の規模としては今日世界最大となっている。  象牙取引については様々な議論があるが、中国による取引禁止措置の影響が大きいとの評価は一致している。タンザニアでは昨年象牙密売の元締めとされた中国人商人が逮捕され、その後ゾウの生息数が増加に転じたとの報道もある(2019年7月11日ルモンド)。減少が続いていると報じられている森林ゾウについては保護政策の充実が求められる一方、サバンナゾウについては、個体数の確認が重要ということになろう。

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ルワンダがリビアのアフリカ人難民を受入れ

2019/08/12/Mon

ヨーロッパ渡航を目指してリビアに渡り、そこで収容施設に留まっているアフリカ人難民について、ルワンダが受け入れる計画が進められている。ルワンダは2017年11月に、リビアで難民が置かれている非人道的状況に関連して、自国が難民を受け入れる用意があると表明していた(2017年11月23日付New Times)。今年7月2日、リビアの首都トリポリで、アフリカ人難民収容施設が空爆され、数十名の難民が死亡した事件をきっかけに、この案が本格的に検討され始めた。国連機関の国際移住機関(IOM)と難民高等弁務官事務所(HCR)からEUのモンゲリーニ外相とAUCのマハマト議長に書簡が送られ、ルワンダに難民を移送する案を進めるよう提案がなされたという(2019年8月6日付ファイナンシャルタイムズ)。ルワンダ外務省担当局長によれば、リビアから同国へ500人の難民をEUとUNが資金提供する「緊急移送メカニズム」を通じて搬送するという。  ルワンダに搬送したところで希望する国に移住できない状況が変わるわけではないし、問題を他国に「アウトソーシング」するだけで、長期的にはヨーロッパ諸国が難民受け入れを広げるしか策はないという批判もある。人道危機に晒されているリビアのアフリカ人移民について何らかの策を講じたい国連が、ルワンダの提案に乗る形で、リビアから難民救出を働きかけたようである。国連によればリビアの収容施設には5000人のアフリカ人移民がいると推計されるとのことで、このオペレーションによって問題が解決されるわけではないが、何らかの策を講じたいということだろう。  一方でこの措置は、ルワンダの典型的な外交政策だともいえる。カガメ政権は、アフリカの人道危機にアフリカ自らが対応することの重要性を常々訴えてきた。パフォーマンスだとの誹りがあるとしても、リビア難民の受入れを打ち出し、また実行したことは、国際機関や西側諸国から高く評価されるだろう。カガメ政権は、国際社会の外交的感性に訴えかけることに非常に長けている。

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スーダンで権力分有合意に署名

2019/08/05/Mon

8月3日、スーダンで軍と市民側の間に立って和平仲介を進めていたアフリカ連合(AU)のルバット(Mohamed El Hacen Lebatt)特使は、両者が市民への権力移行を含む憲法上の合意に署名したと発表した。内容は7月17日の合意に沿ったもので、主権評議会を設立して3年間の移行期間の政権運営を行い、選挙を実施すること、主権評議会は11人から構成され5人は軍側から、5人は市民側から、1名は双方の合意で選出されること、最初の21か月は軍側が主権評議会議長を務め、その後は市民側が務めること、などが主な点である。  スーダンでは、食料価格引き上げをきっかけとして昨年12月から政権に対する抗議が強まり、4月には30年間政権を担ったアル・バシールがクーデタで倒された。しかし、6月3日には、軍側No.2のMohamed Hamdan Dagalo(「ヘメティ」)が率いる治安部隊「緊急支援部隊」(RSF)がデモ隊を鎮圧して100名以上を殺害するなど、行方が見通せない状況が続いていた。そうしたなかでもAUとエチオピアが中心になって仲介を続け、権力分有合意を成立させたことは、高く評価できる。  8月5日付ファイナンシャルタイムズは、「安心できる状況ではないが、重要な一歩前進だ」という駐スーダン英国大使のコメントを載せている。市民側の運動の中心を担ったスーダン専門家協会(Sudanese Professionals Association)の指導者も、「移行期は大変だろうが、一生懸命頑張って成功させることが自分達の責務だ」と述べている。バシール政権期の遺産の清算は容易ではないだろうが、新たに生まれた民主的な政権が丈夫に育ってほしい。

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エボラ感染拡大が続くコンゴ東部

2019/08/03/Sat

コンゴ民主共和国東部でエボラウィルスによる感染症が確認されてから、1年が経過した。これまで感染は収束せず、7月17日にはWHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC: Public Health Emergency of International Concern)」だと発表するに至った。コンゴでエボラが流行するのは、1976年にこの国でエボラウイルスが発見されて以来10回目だが、感染者約2700人、死者1800人に至った今回は、突出して大規模の被害を生んでいる。今回感染拡大が止まらない原因として、ローカルなレベルでの対応が遅れたことが指摘されている。コンゴ東部では紛争が継続しており、地域の隅々にまで医療チームが訪れることが難しい。加えて、エボラが「政治化」されたことが甚大な悪影響を与えた。今回の流行の発生源であるベニ、ブテンボ周辺は前大統領カビラに対する反感が強い地域だが、そこでの大統領選挙(2018年12月)がエボラの流行を理由として中止されたために、人々が政府のみならず医療チームにも疑いの目を向けるようになった。エボラは政府の謀略であり、デマに過ぎないと信じている住民も少なくないという。エボラ感染者を収容する施設が武装集団に襲撃され、4月にはWHOから派遣されたカメルーン人の医師が殺害される事件が起こった。これまでの支援も、ローカルレベルの保健センターよりも、都市部の病院に集中しがちだったと指摘されている(8月1日付ルモンド紙)。  チセケディ大統領はエボラ対策を刷新するため、国家のエボラ対策調整機関であるRiposteの指導をムイェンベ・タンフム(Jean-Jacques Muyembe Tamfum)教授に任せた。同教授は1976年にエボラウィルスを発見したグループの一人である。これに対して、7月23日、オリィ・イルンガ(Oly Ilunga)保健相が辞表を提出した。彼は、エボラ対策は単一の指揮系統で行われるべきだと述べつつ、7月に入ってからJohnson & Johnson社製造の新ワクチンを採用せよとの圧力が強まったと証言した。前保健相自身は、現在使用されているMerck社製ワクチンで十分対応可能であると考え、またそのワクチンへの信頼度が下がることを懸念して、新ワクチン導入に慎重だった(7月26日付、8月1日付ルモンド紙)。  混乱が続いているように見えるコンゴだが、チセケディ体制は徐々に固まりつつあるようだ。前大統領カビラが主導するFCC(Front commun pour le Congo)とチセケディ率いるCach (Cap pour le changement)が組閣の合意に達し、全体で65の閣僚ポスト(大臣48、副大臣17)のうち、FCCが国防相、法相、鉱山相、財務相など含む42ポストを獲得。Cashが外相、内相、予算相、経済相などを含む23ポストを獲得する見込みだと報道された(7月30日ラジオ・フランス・インターナショナル)。大統領選出から半年にして、ようやく組閣が見えてきたというところである。  現在のところ、エボラの収束が見える状況ではまだない。それでも、近隣のウガンダやルワンダが国境閉鎖などの措置をとらず、比較的冷静に対応していることは評価できる。

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ANCの路線対立

2019/08/02/Fri

7月31日付ファイナンシャルタイムズ紙では、コラムニストのディヴィッド・ピリングが南アフリカのANCについて分析している。彼曰く、2つのANCが戦争状態にある。2つのANCとは、ラマポサ大統領派とズマ元大統領派ということである。ズマが表舞台から去った後も、ズマ派は党書記長のマガシュレ(Ace Magashule)に代表されるように、強い影響力を維持している。両派の覇権争いは、最近の南ア情勢のそこここで観察される。  ひとつは中央銀行をめぐるものである。ラマポサ大統領は中銀総裁のカニャゴ(Lesetja Kganyago)氏を再任した。同氏は中銀の運営に優れた手腕を発揮したと評価されている。一方、マガシュレらは、中銀がインフレ抑制ではなく、成長と雇用を含めて取り組むようマンデートを変えるべきだと主張している。より経済に介入し、積極的に雇用創出を図るべきだと主張しているわけである。オンブズマンの役割を持つPublic Protectorのムクウェバネ(Busisiwe Mkhwebane)氏もこれに同調し、中銀が「市民の社会経済的安寧」に焦点を当てるべきだとの指示を発出した。この指示に対しては、プレトリアの裁判所が憲法違反だと断じている。ANCのなかには中央銀行を国有化すべきだと考えている者がおり、ズマ派の主張はこれに近い。カニャゴ氏は、国有化すれば、中銀はANCの政治アジェンダに従属すると見ている。  もう一つの争点は、巨大国営電力会社のEskomである。大統領はこれを3つの国営企業(発電、送電、小売)に分割し、人員削減を実施したいと考えている。彼に近いスタッフには、Eskomを民営化する議論もある。しかし、労組は反発している。最近、ムボウェニ(Tito Mboweni)財務相は、Eskomの債務救済のためにさらなる資金提供を決めた。財務相は大統領に近い立場と言われ、意に反する決定だったようである。債務救済によって現状維持に手を貸すか、大胆な改革を行うかという選択になる。  ANCの路線対立には、ラマポサか、ズマかという要素だけでなく、グローバル化、新自由主義路線に乗るか、乗らないかという要素がある。ラマポサは前者、ズマは後者に近い。ANCの歴史的経緯を考えるなら、全面的な新自由主義路線は打ち出しにくく、市井の人々の生活向上を掲げないわけにいかない。ここに問題の複雑さがあるように思う。

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