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今日のアフリカ

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ATTとローリングスが死去

2020/11/13/Fri

1990年代のアフリカの民主化に大きな役割を果たした元軍人が相次いで世を去った。

11月9日、元マリ大統領のトゥーレ(Amadou Toumani Toure)が入院先のトルコで死去。72歳であった。数年前に心臓手術を受けていたという。トゥーレは、ATTの愛称で知られ、空軍中佐であった1991年、民主化運動を暴力的に鎮圧したトラオレ大統領をクーデタで倒して政権を握った。14か月の移行期間後、選挙を実施すると、選出されたコナレ(Alpha Oumar Konare)に政権を譲った。その後、2002年に大統領に立候補して選出され、再選されたが、2期目が終わる年になって、北部のイスラーム急進主義勢力の反乱を遠因とするクーデタで失脚した。亡命した後、2017年にマリに戻ったが、政治的発言はせず、去る9月にトラオレが死去した際は、葬儀に参列していた。

12日には、元ガーナ大統領のローリングス(Jerry John Rawlings)が73歳で死去。73歳だった。ガーナ人(エウェ人)の母とスコットランド出身の父を持つローリングスは、1968年軍アカデミーに入り、空軍中尉だった1979年にクーデタを主導した。政権を譲り文民政権を誕生させたが、1981年に再度クーデタをおこし、自ら政権の座に就いた。1992年、軍政から民主化し、国民民主会議(NDC)のトップとして2期大統領を務めたが、2001年の選挙には後継者アッタ=ミルズ(John Evans Atta Mills)を立候補させた。アッタ=ミルズが新愛国党(NPP)のクフォー(John Agyekum Kufuor)に選挙で敗れると、ローリングスは敗北を受け入れて相手候補を祝福した。ローリングスは二度クーデタを主導し、政敵を処刑するなど国民から恐れられていた側面があるが、清廉な政治姿勢はジェイ・ジェイの愛称で親しまれた。

ATTもジェイ・ジェイも、民主化以降直後のアフリカを支えた。両者とも、「偉人」というよりもニュアンスに富む、様々な面を持った政治家だが、人々の記憶に刻まれる人物であったことは疑いない。