3日、アルジェリアは、駐仏大使を呼び戻し、フランス空軍機の領空通過を禁じた。この措置は、直接的には、9月30日にマクロン仏大統領がエリゼ宮にアルジェリア出身の若者を招いた際の発言に呼応したものだ。この時マクロンは、若者たちを前にして、率直に自身のアルジェリア観を提示した。
曰く、「アルジェリアの公式史観は、すべてフランスが悪いというもので、記憶のレントに依存している」、「問題はアルジェリア社会ではなく、その政治・軍事システムだ。それは疲弊している。テブン大統領もまた、このシステムに捕らわれている」、「フランスの植民地化以前にアルジェリア民族はあったのだろうか。それは疑問だ」。こうした発言が10月2日付のルモンド紙で報じられると、アルジェリア国内で多方面から猛烈な批判が湧き上がったのである。テブン大統領は、マクロンの発言を「許しがたい干渉」だと批判し、対抗措置に踏み切った。
両国関係はその前から波乱含みだった。9月28日にフランスは、アルジェリアとモロッコに対するビザ発給を50%、チュニジアに対するそれを30%削減すると発表した。これに対してアルジェリア外務省は、フランス大使を呼んで抗議している。その直後のマクロンの発言が、アルジェリア国内の反仏感情に火をつけたのである。
マクロンの発言はそれぞれに真実を含んでいるが、大統領の発言としては不用意だったのだろう。今年1月のバンジャマン・ストラの報告書が示すように、彼自身アルジェリア戦争の記憶をめぐる問題を進展させようとしてきた。しかし、アルジェリア側の反発もあってうまく進まないことへのいらだちがあったのかもしれない。植民地化の記憶をめぐる問題は、率直さや善意だけでは解決できない。その複雑さを示す出来事である。