南アフリカの憲法裁判所(最高裁判所に相当)が9月10日に下した、夫が希望すれば妻の姓を名乗ることができる権利を認める判決は、論争を巻き起こしている。
この判決は、妻の姓を名乗る法的権利を否定された2組の夫婦が、内務省を相手取って起こした訴訟から生じた。両夫婦は、下級裁判所で法律の違憲性を争い、勝訴したが、憲法裁にもその判断の確認を求めていた。2組の夫婦は、妻の姓を名乗ることを禁じる法律1992年出生死亡登録法第26条(1)が、男女平等を侵害し、家父長的なジェンダー規範を固定化すると主張した。
BBCが伝えるところによると、憲法裁は、「多くのアフリカ文化において、女性は結婚後も出生時の姓を保持し、子どもが母親の姓を名乗ることも多かった」と指摘し、「ヨーロッパの植民者やキリスト教宣教師の到来、そして西洋的価値観の押し付け」によりこの慣習が変化したとした。そしてこの「妻が夫の姓を名乗る慣習は、ローマ・オランダ法に存在しており、この形で南アフリカの慣習法に導入された」と指摘している。
9月19日付けのThe Conversationに法学者のアンソニー・ディアラ氏(西ケープタウン大学)の見解が掲載されたため紹介しよう。南アフリカでは制定法と慣習法が並存しているが、慣習の有効性を制定法が規定するため、両者の関係は不平等である。裁判官が西洋的な観点から慣習を解釈するため、両者の間に緊張が生じ、慣習法を遵守する人々を苛立たせるケースも少なくない。憲法裁の判決は、男女平等の促進を目指す正当な目的があるものの、慣習と憲法上の権利との闘いに新たな一章を開いているという。
南アフリカでは、ローマ・オランダ法、英国のコモン・ロー、慣習法、宗教上の属人法といった、異なる法体系が共存している。アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃後の1996年に採択された憲法は、これらの法体系に同等の地位を与えることで、法の多元性を認めている。そのため、今回の判決は、理論上は慣習法に従って生活するアフリカ人には適用されるべきではないが、現実はそれほど単純ではない。
事実、南アフリカ伝統的指導者らは、今回の判決は伝統的な社会に西洋的な考え方を押し付けていると批判している。姓が血統、アイデンティティ、そして指導者の継承の基盤であるという彼らの主張は、婚姻姓が植民地時代に輸入されたものであることを度外視しており、彼らが西洋的な教育、テクノロジー、そして現金収入などの植民地主義(そしてグローバリゼーション)による変化を受け入れてきたことを考えると、婚姻後の姓はアフリカの慣習法へと変化したのか、植民地時代の変化は慣習法とみなされるべきか、といった問いが出てくるだろう。ディアラ氏の見解は、多元的法体制における慣習法のとらえ難さと、近代と伝統という単純な二分法では現実を把握できないことを示している。
周知のとおり(日本を含め)個人が姓を名乗ることが近代的な現象であることを考えると、今回の判決は、単に表面化するジェンダー平等の議論だけでなく、南アフリカやアフリカを越えて、姓という近代の賜物を手にした社会が抱える矛盾を映し出しているといえるだろう。(宮本佳和)
アフリカからの留学生支援のため、現代アフリカ教育研究支援基金へのご協力を呼びかけています。