2025年9月22日、国連総会が開催されているニューヨークでは、イスラエルとパレスチナの「二国家共存」による和平推進のための国際会議が開催され、前日のイギリス、カナダ、オーストラリア、ポルトガルに加えてフランス、ルクセンブルク、マルタ、アンドラがパレスチナ国家の承認を宣言した。これで国連加盟国の8割以上、常任理事国では米国以外の全ての国がパレスチナ国家を承認したことになる。パレスチナはイスラエルによって国際法に反して占領されている状態で、他国による国家承認は象徴的だとはいえ外交上大きな意味を有する。
アフリカ連合加盟国55か国(西サハラを含む)を見ると、カメルーンとエリトリアを除く53か国がすでにパレスチナ国家を承認している(9月22日付RFI)。承認済の国々の多くは、30年以上前のかなり早いタイミングで承認を行った。1988年にパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長がパレスチナ国家の独立を宣言したのはアルジェで、アルジェリアはパレスチナの国家承認を行った世界最初の国となった。その後数週間で、植民地支配から解放され独立してからさほど時間が経っていなかった多くのアフリカ諸国が承認を行った。アフリカ諸国の多くは自らの植民地経験をパレスチナの運命と重ねた。アパルトヘイト下の南アフリカでは、民主化後の1995年にパレスチナの承認が行われたが、それはマンデラ大統領による最初の政策の一つだった。
9月21日付のLa Presse(カナダ)や9月22日付のBBCは、そうしたアフリカ諸国の動向の中で、なぜカメルーンとエリトリアがパレスチナ国家未承認なのかを取り上げている。
カメルーンのポール・ビヤ政権は、治安維持面でイスラエルからの手厚い支援を受けてきた。大統領警護特殊部隊や大統領直属の迅速介入部隊(BIR)は、北部国境地域でのボコ・ハラムとの闘いや英語圏地域(北西州・南西州)での分離独立派との戦闘に貢献してきた。アフリカの独裁的政権は外国の支援によって治安維持を図ることがよくあるが、この部隊の創設者はイスラエル人であり、イスラエルはこれらの部隊の軍事訓練や装備・監視技術の提供を担っている。イスラエルとの緊密な関係は米国からの現ビヤ政権への支持の基盤にもなっている。したがって、カメルーンは国連でのパレスチナの権利擁護に関わる決議には棄権をするのが通例で、パレスチナの国家承認もしていない。
エチオピアとの分離独立紛争を経て1991年に独立したエリトリアには、より複雑な歴史的経緯が背景にある。パレスチナの独立宣言当時、アフリカ統一機構(OAU)本部のあったエチオピア政府はパレスチナを支持したが、その時エリトリアは占領者であるエチオピアと武力闘争をしていた。パレスチナはエチオピアとの関係からエリトリアと相容れない立場になった。イスラエルは、紅海に面したエリトリアと1993年から同盟を結び、同国内に対イラン艦船の監視施設を持つ。さらにエリトリアは、自国が自決権を求めて闘ってきた経緯から、そもそも1993年のオスロ合意が欺瞞的であるとして否定的である。紛争の原因であるイスラエルによる軍事占領体制と入植推進が放置されたままで、名ばかりの自治区を作ってもパレスチナ人にとっての本来の意味での自決権の獲得につながらず無意味であるばかりか、占領状態を固定化することになるとして、「二国家共存」による解決も支持していない。
カメルーンもエリトリアもイスラエルと同盟関係を有する点は同じだが、カメルーンでは、大統領選挙を目前にした現政権にとってのイスラエルの安全保障上の戦略的価値が、エリトリアでは自決を求めてきた闘いの歴史が、パレスチナ国家承認に関わる政治判断の大きな背景になっている。しかし、両国ともに国民感情は親パレスチナであり、また国内に多数のイスラム教徒が暮らしている。すぐにパレスチナを国家承認することはないだろうが、より長期的にはパレスチナ解放を支持する方向に向かわざるをえないのではないだろうか。
(大石高典)
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