ナミビアの「建国の父」で、南アフリカからの独立運動を率いたサム・ヌヨマ元大統領が、8日、95歳で亡くなった。ヌヨマ氏は首都ウィントフックで3週間入院した後、「回復不能」な病気で亡くなったと9日の政府声明で公表された。
ナンゴロ・ムブンバ大統領は「最大の悲嘆」とともに、「尊敬される自由の闘士であり革命的指導者」の死去を発表する述べ、「建国の父は、愛する国の国民に並外れた貢献をして、長く、意義深い人生を送った」と続けた。
ヌヨマ氏は、南アフリカのネルソン・マンデラ氏、ジンバブエのロバート・ムガベ氏、ザンビアのケネス・カウンダ氏、モザンビークのサモラ・マシェル氏など、植民地支配や白人少数派による支配から国を脱却させたアフリカの指導者の世代の一人だった。
ナミビアの人口の約半数を占めるオヴァンボの農家に生まれたヌヨマ氏は、10人兄弟の長男だった。1949年、夜間学校に通いながら、首都近郊で鉄道の清掃員として働き始めた。そこで彼は、アパルトヘイト支配を終わらせるためにロビー活動を行っていたヘレロの最高首長ホセア・クタコ氏と出会った。クタコ氏はヌヨマ氏の指導者となり、1950年代後半に、移住に関する政府命令に抵抗していた黒人労働者のあいだで政治的に活動するようになったヌヨマ氏を指導した。クタコ氏の要請で、ヌヨマ氏は1960年、アパルトヘイト体制に対する武装抵抗の準備をおこなうために亡命生活を始めた。同年、ヌヨマ氏は南西アフリカ人民機構(SWAPO)の党首に選出された。SWAPOは1966年に武装闘争を開始し、1990年にようやく独立をむかえた。
ヌヨマ氏は1990年の民主選挙で勝利し、3期にわたり、比較的経済的に繁栄し、政治的に安定した時代を主導した。彼のエイズ政策は国際的に称賛された。しかし、アンゴラに留置されていたSWAPO党員の抑留者を「アパルトヘイト期南アフリカのスパイ」と呼び、彼らに対する拷問や失踪についての説明や調査を拒否し続けたことで非難を浴びた(たとえばDW、2013年8月23日)。彼はまた、同性愛を「狂気」と呼び、激しく非難したことでも知られる。
ナミビアは2月10日から国喪期間に入っており、ヌヨマ氏の遺体は、3月1日に首都の英雄墓地に国葬される。(宮本佳和)
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