サイクロン「チド」は、12月14日にフランス海外県マイヨット島を直撃して甚大な被害を与え、その後モザンビーク北部に上陸してそこでも多数の犠牲者を出した。マイヨット島の被害の規模は容易に判明せず、当初は数千人の犠牲者という情報も流れたが、そこまでは大きくないようである。今後、より詳細な調査がなされるだろう。
このサイクロンは、マイヨットの歴史とそれに由来する社会問題に改めて光を当てた。マイヨット島は、コモロのアンジュアン島から70キロしか離れていない。コモロを構成する3つの主要な島とマイヨットは、古来から密接な社会関係を築いてきた。しかし、1974年の国民投票でマイヨットの住民はフランス領となることを選択し、残る3島が翌年コモロとして独立した。国連は、この国民投票を認めていない。フランスは今日に至るまで、コモロの領土一体性を犯したとして、20回以上も国連総会で批判されている(12月20日付ルモンド)。
今回、サイクロン襲来から間を置かず、12月19日にマクロン大統領がマイヨットを訪問した。大統領として迅速な対応に見えるが、その後フランスの災害対応は厳しい批判を受けている。
大きな問題は、救援物資搬入の遅れである。アンジュアン島から救援物資を積んだ船がマイヨット島に向かったのは、サイクロン襲来から1週間後の21日が最初だった。マイヨット島側の許可が遅れたためである。フランスおよびEUの行政手続きの煩雑さのため、援助物資搬入が大幅に遅れた(23日付ルモンド)。
こうした煩雑な行政手続きの背景に、移民問題がある。マイヨットではコモロから来る「不法移民」に神経をとがらせてきた。この島の人口32万人のうち、半分以上は外国人とされる。所得水準が高いマイヨットには、コモロから多くの移民が押し寄せる。フランス海外県にとって、そのほとんどは「不法」である。17日には、フランスのルタイヨー内相が、マイヨットの再建には移民問題の解決が必要だと述べて、現地で反発を招いた(20日付ルモンド)。
フランスは、2023年4月以来、「ウアンブシュ」(Wuambushu)作戦と呼ばれる不法移民取り締まり作戦を展開し、2万人をコモロに強制送還したとされる。しかし、コモロ側の協力は得られず、送還されても多くはまたマイヨットに舞い戻っている(26日付ルモンド)。
「チド」襲来のあと、コモロからの「不法移民」が急増している。クワサ・クワサと呼ばれる小舟でマイヨットに渡るのだが、サイクロンのために、マイヨット沿岸でこうした違法船舶の取り締まりに使われていたレーダーが機能しなくなったためである。クワサ・クワサへの乗船希望者が急増し、200ユーロだった乗船料は400~450ユーロに急騰した(26日付ルモンド)。
災害は常に社会問題を顕在化させるが、「チド」の場合、それが脱植民地化に深く関わることが今日的である。マイヨットのような海外県のあり方は、今後ますます難しくなっていくだろう。(武内進一)
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