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今日のアフリカ

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1961年のアルジェリア人虐殺事件の記念式典

2021/10/17/Sun

 16日、マクロン仏大統領は、1961年10月17日のアルジェリア人虐殺事件から60年の機会に、犠牲者を追悼して当時の現場で花束を捧げた。アルジェリア戦争末期、アルジェリアの民族解放戦線(FLN)パリ支部の呼び掛けで平和裏に独立を求めるデモ行進を行っていたアルジェリア人に対して、フランス警察が暴力的に抑圧し、多くの死傷者が出た。百人を超える死者が出たとの推計もあり、セーヌ川に投げ込まれた犠牲者もいた。
 マクロンは、犠牲者が投げ込まれたパリ近郊のブゾン(Bezons)橋を訪れ、花束を捧げて黙祷した。その後発表された声明では、事件を「数十人が殺害され、遺体がセーヌ川に投げ込まれた、残虐で、暴力的な抑圧の悲劇」だったと形容したうえで、「この日、モーリス・パポンの指示の下で行われた犯罪は、共和国にとって申し開きのできないものだ」と述べた。パポンは当時のパリ警視総監で、ジスカールデスタン政権では予算相を務めたが、1980年代になってビシー政権下でユダヤ人の強制収容所への移送に協力していた疑惑が発覚し、1998年に収監された人物である。
 今年1月に発表されたストラ報告書への対応として、マクロンはこの記念行事を行うことを宣言していた。16日の声明に対して、在仏アルジェリア人のなかから好意的な反応があった一方で、犯罪をすべてパポンに押し付けて「国家の犯罪」だったという視点が欠けているとの批判も見られた(16日付ルモンド)。
 この記念式典は、9月末のマクロン自身の発言をきっかけとしてアルジェリアとフランスとの関係が緊張するなかで行われた。事件の現場で演説をせず、比較的地味に式典を挙行したことも、そうした状況を反映していよう(2012年に当時のオランド仏大統領は、現場で「血塗られた抑圧があった」と演説した)。記憶をめぐる問題の扱いは常に簡単ではないが、こうした行事を続けることには大きな意味がある。