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東西交易を支えた「文明の十字路」として栄え、青いモザイクタイルが壮麗に輝く世界遺産の都サマルカンドを擁するウズベキスタン。今回の「地球ディッシュカバリー」は、そんなウズベキスタンならではの奥深い魅力と、歴史・食文化の真髄に迫ります。

まさに多文化共生を実践している多民族・多言語の生活文化、ハレの日のごちそうの米料理「プロフ」、タシュケントの絢爛豪華な「美しい地下鉄駅」。さらには、文法や語順、補助動詞のニュアンスにいたるまで日本語と驚くほど親和性が高い「ウズベク語」の秘密など、知的好奇心を刺激するエピソードが満載です。

中央アジア地域研究、ウズベキスタンの歴史・文化を専門とする東京外国語大学の島田志津夫准教授をゲストに迎え、お笑いコンビ・ママタルトのお二人と共に、高田馬場のウズベキスタン料理レストラン「サマルカンド・テラス」を舞台に、知のフルコースをいただきます。


ゲスト: 島田 志津夫 准教授

東京外国語大学外国語学部(ペルシア語専攻)卒業。同大学院博士後期課程単位取得退学。2011年より東京外国語大学にて教鞭を執る。専門は中央アジアの地域研究、およびウズベキスタンの歴史・文化。大学院在学中の2000年〜2002年にウズベキスタン共和国科学アカデミー言語・文学研究所へ留学。2005年〜2007年には、外務省専門調査員として在タジキスタン日本大使館で勤務した。とくに19世紀末から20世紀初頭の現地ムスリム知識人による社会改革運動について研究している。 研究者情報

パーソナリティ: ママタルト 檜原洋平さん、大鶴肥満さん

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\ぜひ耳で味わってみてください!/ 

「ママタルトの地球ディッシュカバリー〜東京外大の先生と一緒〜」

ポッドキャストでは、東京外国語大学の島田志津夫准教授が、ソ連崩壊後の激動期に敢行した2年4ヶ月におよぶタシュケントでの体当たり留学や、隣国タジキスタンの日本大使館における外交最前線での勤務を通じて見てきた、東西の文化が交差するウズベキスタンの圧倒的な魅力が聴けます。知られざる中央アジアの姿がぐっと身近に感じられるはずです。「語順も『てにをは』も日本語とそっくり?!」といった驚きのウズベク語の仕組みから、ハレの日のごちそうの米料理「プロフ」や麺料理「ラグマン」などの美食の世界まで、驚きのエピソードが満載。かつてソ連の軍事機密として長らく写真撮影が禁止されていた絢爛豪華な「美しい地下鉄駅」から、まさに多文化共生を実践する多民族・多言語の生活文化まで、「まずは知ること、そこから世界が広がり始める」という先生のメッセージと共に、聴けばあなたの世界が少し広がる、楽しくてためになるひととき。ぜひポッドキャストでお楽しみください!

高田馬場から中央アジア、そしてウズベキスタンへ

── さて、本日の“学びの食卓”は、高田馬場にあるウズベキスタン料理のお店、「サマルカンドテラス」さんです。先生は、こちらのお店にはよくいらっしゃるんですか。

いえ、実は今日が2回目なんです。東京都内にはウズベキスタン料理が食べられるレストランが、おそらく6軒か7軒ほどあり、他には中野や綾瀬、日本橋などにお店があります。自分はこれまで東京にあるウズベキスタン料理屋さんにはほとんど行ったことなく、今回このラジオの収録のお話をいただきまして、ロケハンをしました。3軒ほど実際に足を運び、最終的にこの「サマルカンド・テラス」さんに決めさせていただきました。

島田准教授
店内の雰囲気

── ウズベキスタンは中央アジアということですけど、そもそも中央アジアには、どんな国があるんでしょう。

そうですね。中央アジアというのは、文字どおりアジアの真ん中、ユーラシア大陸の真ん中に位置しているところです。ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5つの国の領域を指して、中央アジアと呼ぶことが普通です。

これらの国々は、カタカナで書くとみんな後ろに「スタン」がつきますが、より正確には、もともとペルシア語の「イスターン(-istān)」という接尾辞がついています。この「イスターン」には、「何々が多くある場所」あるいは「誰々の国」という意味があります。

ですので、ウズベキスタンは「ウズベク人の国」、トルクメニスタンは「トルクメン人の国」という意味になり、中央アジア諸国の国名は民族名称を元に付けられていることになります。例えばアフガニスタンも同じで、「アフガン人の国」という意味です。このあたりの国々は、こうした「スタン(イスターン)」がついた名前の国が多いですね。

── これらの5つの国は、歴史的にはどのような背景を持っているのでしょうか。

この地域はもともとソ連の一部だった国々です。これらの5つの国は、1991年にソ連がなくなる(崩壊する)ことになり、それとともに独立をすることになりました。今年2026年でちょうど独立35周年を迎えますので、独立後の歴史としては比較的若い国だと言えます。

ですが、この地域はもともとソ連になる前は、ロシア帝国の一部でした。19世紀後半に、ロシア帝国が中央アジアの北の方からどんどん南下してきて、この地域に攻め入って征服をしました。こうして19世紀後半以降、この地域の大部分がロシア帝国の植民地になり、20世紀にソ連ができたときにそのままソ連の一部になったという経緯があります。

── ソ連はなぜ崩壊したのでしょうか。

私たちが暮らしている日本は「資本主義」の経済体制ですが、ソ連は「社会主義体制」という特殊な計画経済体制のもとで政治が行われていた国でした。ソ連はだいたい70年ほど続いたのですが、その間に社会主義の経済体制にやはり無理が生じてしまい、経済が立ち行かなくなったり、民族問題などその他さまざまな政治的問題が生じたりしたことで、最終的に崩壊してしまいました。その崩壊のタイミングで、中央アジアの5カ国は独立を果たしました。

── では、先生が特にご専門とされているウズベキスタンについて、基本情報を教えていただけますか。

地図を見ていただくとわかるように、ウズベキスタンは中央アジアの中ではカザフスタンよりは面積は小さいですが、人口が一番多いという特徴があります。人口は3710万人ほどで、日本が1億2000万人ぐらいですので、だいたい3分の1程度になります。一方で、国土面積は日本の1.2倍ぐらいあります。

中央アジアは大陸の真ん中に位置していて海から遠いため、雨が降りにくく、全体的に乾燥した地域です。その中でもウズベキスタンは少し南の方に位置していますので、気温が高くなり、夏は暑くなるところでは50度くらいになります。降水量が少なく乾燥しているため砂漠もありますし、あとは山もあったりします。そうした山地にも人はたくさん住めないので、国土は広いのですが、人が住める地域は限られていて、だいたい人が固まって住んでいるという感じになります。

位置的には、中央アジアの真ん中に位置していて、ウズベキスタンは他の4つの国すべてと国境を接している唯一の国です。ですので、中央アジアの中でも人口が多いですし、地理的にも真ん中の位置を占めていると言うことができます。

── なるほど。ウズベキスタンの主要な言語や民族の構成などについてはいかがでしょうか。

ウズベキスタンの主要な言語はウズベク語です。先ほど言いました通り、ウズベキスタンというのは「ウズベク人の国」という意味で、国民の大部分をウズベク人が占めています。彼らが喋っているのがウズベク語ですね。

ウズベク人は国民の85%近くを占めているのですが、その他にもさまざまな民族が住んでいます。タジク人やカザフ人、キルギス人、トルクメン人といった、周辺の国に多く住んでいる民族も、国境を越えてウズベキスタンにも住んでいます。

ある程度は民族ごとの顔つきの特徴というのがありますので、現地に住んでいる人同士であれば、誰が何人なのかは見ればすぐに分かるようです。ただ、私のような外国人がウズベキスタンに行った場合には、やはり誰が何人なのかというのはなかなかわかりにくいですね。

大使館勤務時、タジキスタン東部のパミール地方への調査旅行。背後の山々はアフガニスタン領。(島田志津夫撮影)

「シルクロード」の憧れから始まった、中3でのウズベク一人旅

── 先生はなぜ、ウズベキスタンなどの中央アジアに興味を持たれたんですか。

小学生か中学生ぐらいの時に、テレビ番組でこの地域のことを見て興味を持ちました。その当時、NHK特集で「シルクロード」という番組をやっていました。1980年から81年に、まず「シルクロード」第一部というのが放映されて、その後、1983年から84年には「シルクロード」第二部というのが放送されました。第一部の方では中国のことを放送していたのですが、第二部では中国より西の地域、ウズベキスタンも含めてこの地域について放送していて、その際にテレビでウズベキスタンの様子を見ました。ウズベキスタンには、後で話題になるかもしれませんが、壮麗なイスラーム建築がたくさん残っているのですが、そういうものがテレビに映って、すごく魅力を感じました。

収録の様子

──「シルクロード」でウズベキスタンに興味を持つようになって、その後は?

ちょうど自分が高校に進学するときのことなのですが、私は東京の出身で、第一希望の都立高校に合格することができました。それで都立高校に行くことになったので、親から「私立高校に行かなくて済んで学費がかからなくなったから、お祝いにどこにでも旅行に行っていいよ」と言われました。そこで自分はどこに行かせてもらおうかなと考えて、「ウズベキスタンに行きたい」と思いました。中3の春休みのことです。当時はまだソ連の時代で、現地は「ウズベク共和国」と呼ばれていたのですが、そのウズベク共和国へパックツアーに参加する形で旅行に行かせてもらいました。当時はソ連へ旅行するというのはなかなか難しくて、そうしたパックツアーみたいな形でないと行きづらかった時代です。必ずガイドがついて、見る場所も決まっているようなツアーでした。自分は1人での参加でしたが、団体旅行でしたので他の参加者についていけばいいので問題はありませんでした。この1週間ほどのツアーは、自分にとっては人生の中で本当に大きな出来事でしたので、今でもよく覚えています。

ソ連時代のウズベク共和国旅行。ヒヴァにて(島田志津夫撮影)

── 初めての旅を経て、大学ではどのように中央アジアの研究を進められたのですか。

その後、中央アジアについて勉強したいと考え、東京外国語大学に入学しました。ただ、当時は東京外国語大学に中央アジアのことを専門に学べる部門はありませんでした。そこで、中央アジア地域と関係が深い言語としてロシア語とペルシア語が候補として考えられたのですが、自分はペルシア語専攻を選んで入学しました。学部卒業後、大学院の修士課程に進学する頃になって、いよいよウズベク語の勉強を始めました。ペルシア語から入るとウズベク語の勉強も意外とすんなりいくのですが、その時は「ペルシア語をやっておいてよかった」と思いましたね。

サラダとラグマンから紐解く食文化

── さあ、最初のお料理です。先生、こちらのお料理は何でしょう。

まずこちらがサラダですね。 トマトと玉ねぎが使われていて、味付けはほとんど塩だけという、すごく素朴なサラダです。素材の味を楽しむようなもので、現地ではよく食べられています。

フレッシュサラダ

そしてもう一つが、こちらのラグマンです。これは麺料理なのですが、手で伸ばした麺をトマト味のスープに入れて食べるもので、スープ料理の一つ、麺が入ったスープですね。

ラグマン

また、一緒に出されているこちらは温かいお茶です。ウズベキスタンではお茶をよく飲みます。紅茶と緑茶のどちらもよく飲みますが、地域によってお茶の好みがあります。例えば、ウズベキスタンの首都タシュケントでは紅茶を飲むことが多いです。一方で、こちらの「サマルカンド・テラス」のご主人はサマルカンドという街の出身なのですが、サマルカンドでは緑茶をよく飲んだりします。今出されているこちらは、ハーブが入った紅茶になります。

左には緑茶が、右には紅茶が入っている

── 先生、ウズベク語で「おいしい」は、何と言うんでしょう?

ウズベク語で「おいしい」は、「マザリ」と言います。

── マザリ!

その言い方はとてもお上手ですね。「とても」と強調するような副詞もありまして、「ジュダ」と言います。ですので、それを組み合わせて「ジュダ・マザリ」と言うと、「とてもおいしい!」という意味になります。

── ラグマンもいただきます。(・・・食べて・・・)ジュダ・マザリ!これはおいしい!もう一杯食べたい。食べ放題とかの文化ってないんですかね?

もっと食べたい場合、同じ料理をおかわりして繰り返し食べるというよりかは、もっと違う料理、つまり色々な種類をたくさん食べることの方が多いかもしれないですね。お店でいわゆる「食べ放題」というシステムがあるわけではないのですが、やはり「お客さんにはたくさん食べてもらいたい」という文化があります。お客さんが来たら、どんどんどんどん料理を出して食べさせるという文化があるんですよ。それから、このラグマンもそうですが、全般的に「油っこい」というのがウズベキスタン料理の特徴としてあります。

ラグマンを食す檜原さんと大鶴さん

── ウズベキスタン料理の特徴は? やはり歴史や地域の暮らしが関係しているのでしょうか。

中央アジアの地域はとても広い地域なので、気候は基本的には乾燥しているのですが、北の方と南の方とでは地理的環境や気候も違って様々です。まず、中央アジアの北の方は、地理的な条件でいうと草原地帯が広がっていて、そこでは羊や馬といった家畜に草を食べさせて遊牧生活をするという営みが長く行われてきました。ですので、中央アジアの中でも北の方に住んでいるカザフ人やキルギス人などは、もともとは遊牧民でした。それに対して、中央アジアの南の方は地理的環境が少し違って、乾燥してはいるものの、川から水を引いてきて農業をしてきた農耕定住地域です。もともと定住民であるウズベク人やタジク人は、先ほどの遊牧民の人たちとはちょっと違った食文化を持っています。遊牧民の人たちは家畜を自分たちで飼っているため肉をたくさん食べるのですが、ウズベク人やタジク人などの農耕民たちは、肉だけではなく、自分たちで小麦を作って食べたり、あとはさまざまな野菜をたくさん食べたりするのです。そのため、ウズベキスタンなどの料理は、北のカザフスタンなどの料理に比べて、料理の種類が多いですね。食材が多いので、工夫してバラエティ豊かに作ることができるのが特徴です。

サマルカンドのラグマン(島田志津夫撮影)

── 味付けやスパイス、油の使い方などの特徴についても教えてください。

ウズベキスタンの料理は辛いものが多いのではないかというイメージを持たれるかもしれませんが、中央アジアの料理には辛い料理はほとんどありません。唐辛子はあまり使いませんし、あまり辛さを好む嗜好もなかったのではないかと思います。胡椒については使いますが、たくさん使うわけではなく少し使う程度です。文献資料からは、古くから胡椒自体は存在しており、インド方面から交易でもたらされていたということがわかりますが、やはり自分たちの地域で作ることはできず、外から輸入しなければならない高級食材であったため、当時はそんなにたくさん使えなかったのではないかなと思います。ですので、味付けのほとんどは塩味が多く、香辛料としてはクミンがよく使われます。ニンニクもよく使われて、先ほどのラグマンにも入っていましたね。あとは、先ほどお話しした通り、全般的に油っこいというのも特徴です。現地は非常に乾燥している気候ですので、体や肌の乾燥を防ぐために、油脂分を摂取するという意味があるのかもしれません。

タシュケントのラグマン。汁気の少ないウイグル風。(島田志津夫撮影)
バザールで売られているクミン(島田志津夫撮影)

── ウズベキスタンは「文明の十字路」ということですが、食についても、いろんな国の文化が混ざり合っているのでしょうか。

例えば、さきほど食べていただいた麺料理のラグマンですが、現在ウズベキスタンでは非常にポピュラーで広く食べられているものの、もともとこれは中国方面から伝わってきた料理です。中国では、麺を作るときに手で引っ張って作ったりしますよね。ラーメンの「ラー(拉)」という漢字には「引っ張る」という意味がありますが、まさにそうした麺の作り方が、中国方面からウズベキスタンに伝わってきて、現在広く食べられるようになりました。また、さきほどのサラダに使われていたトマトも、現在ウズベキスタンで非常によく使われる食材ですが、これ自体は実は新しい食材です。トマトがこの地域に入ってきたのは、19世紀後半から20世紀にかけてロシア人がやってきてからのことです。トマトは新大陸原産の野菜ですので、もともとこの地域にはありませんでした。他にも、ウズベキスタン料理でとてもよく使われるじゃがいもも同様で、ロシア人が持ってきた新しい食材です。

このように、中国から伝わってきた麺料理や、外から入ってきた新しい食材をどんどん自分たちのところに取り入れて、独自のウズベキスタン料理として新たな料理を作っていくという、新しいものを取り入れる傾向があるのが特徴かなと思います。ウズベキスタンがある中央アジアという地域は、ユーラシア大陸の真ん中に位置していて、北はロシア、東は中国、南はインド、西は中東世界に囲まれています。長い歴史の中で四方八方からさまざまな民族がこの地域にやってきたり、さまざまな文化が入ってきたりしました。そうした中で、色々な民族が色々な文化をミックスしていくことで現在の文化が形作られてきたのです。また、ウズベキスタンはソ連の一部でもありましたので、ソ連時代にはさらにたくさんの文化が入ってきました。ソ連は非常に大きな国でしたが、ソ連全土から色々な人が仕事の都合などでウズベキスタンに移住してきて、自分たちの料理を持ち込みました。それが現地の人に受け入れられたことで、現在ではロシア方面からもたらされたボルシチやロールキャベツなども普及して一般的に食べられていますし、ピロシキなんかも軽食としてよく食べられています。

お客に呼ばれた際にテーブルいっぱいに並べられた前菜。この後、スープとメイン料理が運ばれてくる。タシュケントの知人宅にて(島田志津夫撮影)

── お隣のイランや、南のインドなどとの食文化のつながりについてはいかがでしょうか。

その他にもお米の料理であったり、串に刺して焼いた肉料理があったりしますが、こうした米料理や肉料理などは、今度はイランや中東といった西方の文化と共通しているということが言えます。さらに、南にあるインドとの関係も深いです。例えば、ウズベキスタンの主食はナンなのですが、みなさんが「ナン」と聞くと、インド料理屋さんで出てくるアツアツのものを想像しますよね。ウズベキスタンでも同様のものが食べられていまして、そのナンを焼くための「窯」は、インド料理の「タンドール」と全く同じもので、ウズベキスタンでも「タンディル」という名前で呼んで使っています。ですので、現在インドにあるあのナンというのは、もともとはより北方のアフガニスタンや中央アジア方面からインドに入って来たものかもしれません。他にも、インドの「キーマカレー」の「キーマ」というのは「ひき肉」という意味なのですが、もともとこれはウズベク語と同じ系統のテュルク系の言語で「ひき肉」という意味の言葉です。ウズベク語でも、この「キーマ」という言葉は現在でも普通にひき肉という意味で使われています。このように、かつてはシルクロードを通って色々なものが運ばれ、色々な文化がここにやってきました。 料理についてもそれを指摘することができます。

ウズベキスタンのタンディル窯。焼かれているのはサムサ(肉入りパイ)。(島田志津夫撮影)

ウズベキスタン留学とタジキスタン滞在

── 中学3年で初めてウズベキスタンを訪れたということですが、その後に留学が実現するまでの経緯や、現地での生活はいかがでしたか。

ウズベキスタンはもともとソ連の一部でありましたので、ソ連時代には我々日本人も含めて西側の人間がソ連の領域に留学するということはすごく難しく、日本人がウズベキスタンに留学することはほぼできませんでした。ですが、1991年にソ連がなくなり、ウズベキスタンが独立をしました。独立直後は経済的に混乱していたのでなかなか難しかったのですが、90年代半ば頃から日本人も留学することができるようになり、私自身は1994年から毎年のように現地に旅行に行って本を買ったり資料収集したりしながら、留学する機会を狙っていました。そうして実際に留学ができたのは、ようやく大学院の博士課程に入ってからのことで、2000年から2002年まで2年4ヶ月ほど、首都タシュケントにある「科学アカデミー言語・文学研究所」というところに留学をしました。実は、私自身、留学に行くまではウズベク語はほとんどできませんでした。日本で勉強は始めていましたが、当時はインターネットもなかったですし、日本に住んでいるウズベク人もほとんどいなかったので、本だけを頼りに勉強していました。しかし、文字を見ているだけでは発音が分からないので、実際に現地でどのように話されているのかをぜひ見てみたい、自分で勉強したいと思って留学に行きました。ところが、いざ行ってみると、「外国人にウズベク語を教える」という発想やシステムが当時は想定されておらず、留学先にはウズベク語の授業というものがありませんでした。そのため、授業を受けることができず、もうほとんど道を歩いている人と会話をするなど、生活の中で言葉を覚えていきました。向こうの人はとても好奇心旺盛ですから、挨拶から始まって、「どこから来たの?」「あなた何歳?」「結婚しているの?」などとどんどん質問してくるのです。そうした道でのたまたまの会話の中で、本で勉強した言葉を初めて実際に使って日常生活を過ごしていました。

留学時によく勉強した研究所の図書室。(島田志津夫撮影)

── タシュケントでの2年4ヶ月の留学を終えて帰国された後、さらに隣国でも活動されたそうですね。その後の滞在歴について教えてください。

そうですね。2年4ヶ月の留学を終えて日本に帰国し、大学院の博士課程に復学したのですが、その後、今度は2005年から2007年までの2年半ほど、ウズベキスタンの隣国のタジキスタンにある日本大使館で、専門調査員として勤務しました。タジキスタンはウズベキスタンとは別の国で、言語もタジク語という別の言葉になります。ただ、このタジク語というのは、イランのペルシア語とよく似た、ほとんど同じ言語なのです。私自身は大学でペルシア語を勉強していましたので、タジキスタンでそのタジク語を使って仕事をする機会を得ることができました。ですので、自分自身、ウズベキスタンでウズベク語を勉強し、タジキスタンでタジク語を勉強して、両方の言語を現地で学ぶことができたのは、本当にラッキーだったなと思っています。

大使館勤務時、留学フェアにて(島田志津夫提供)

── 現地での思い出深い経験は? 多民族社会の中での暮らしはいかがでしたか。

ウズベキスタンは先ほどお話ししました通り、色々な民族が住んでいる多民族国家です。国民の85%くらいがウズベク人で、残りの15%はタジク人やカザフ人、ロシア人、キルギス人など色々な民族が住んでいます。特に私が留学した首都のタシュケントにはより多くの民族が集まっていまして、現在タシュケントではウズベク人の人口が70%程度と言われており、残りの30%はまた全然違う民族が占めています。そこで多民族の中で生活をするという経験をすることができました。

私は日本人ですので、ウズベク人の人たちからすると外見が全然違います。現地に行けば、すぐに自分が外国人だというのは分かるわけなのですが、ただ、もともと多くの民族が住んでいる国なので、現地の人たちは他の民族に対してあまり違和感を持たないのですね。「色々な民族が住んでいるのは当たり前でしょう」という感じなので、私が行ってもあんまりよそ者扱いをされなかったというのは、とても良かったです。差別されることや奇異に見られることもなく、すごく生活がしやすかったなと感じました。

── 言葉の面ではいかがでしたか。ウズベク語とロシア語はどのように使い分けられていたのでしょうか。

ウズベキスタンでは現在でもウズベク語と並んでロシア語が広く使われているのですが、私が留学していた当時はもっとたくさん使われていました。色々な民族の人が住んでいますので、彼らと喋る時は、共通語であるロシア語を喋るという暗黙の了解がありました。そのため、お店やレストランなどに行って注文する時も、ロシア語を喋らなければいけませんでした。日本に住んでいると日本語しか使わなくて、他の言語を使わなければいけないということはほぼないですよね。ですが、こういった色々な民族が住んでいる地域だと、色々な言語を使わなければいけないという状況になります。ウズベキスタンが独立して35年が経ちましたので、だんだんとロシア語の使用頻度は少なくなってきてはいるものの、ロシア語を使う人が多く働いている職場やお店といったところでは、今でもロシア語が使われていますね。

左から、檜原さん、島田准教授、オーナーのアクマル・アリズィクロブさん、大鶴さん

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学びを広げるリンク集

訪れたお店の紹介

ウズベキスタン料理レストラン

「サマルカンド・テラス」(東京・高田馬場)

https://www.instagram.com/samarkand_terrace

大学のウズベク語

中央アジアのウズベキスタンを中心に使用されているウズベク語は、テュルク系(トルコ系)の言語の一つで、日本語の「てにをは」と同じような働きをする文法要素を持つなど、その文法構造は日本語とよく似ています。語順も日本語とほぼ同じで、日本語話者にとっては比較的学習しやすい言語の一つです。本書の作成にあたっては既存の学習書・文法書の構成や解説にとらわれることなく、日本語話者の学習者にとってなるべくわかりやすく説明することに努めました。ウズベク語の学習を通して、ウズベキスタンや中央アジアについて関心を持つ人が一人でも増えていってほしいと願っています。
本書は全12課からなり、基本的な文法事項を順を追って学習することで、自然と文法が身につくように配慮されています。大学などの授業で使用されることはもちろん、独習者用の教科書として使用するのにも適しています。

大学のウズベク語島田志津夫〔著〕

【ジャンル】教材・テキスト・ウズベク語・外国語
【シリーズ】大学の語学テキスト
【版・頁】 B5判・並製・268頁 
【ISBN】 978-4-904575-71-0 C3087
【出版年月】2019年3月28日発売
【付属】音声ダウンロード、別冊練習問題解答
【本体価格】3800円(税抜)

地球の音楽

東京外国語大学の世界各地・各ジャンルの 50名の専門家・研究者らが奏でる珠玉の音楽エッセイ集。
音楽は音楽は、その場所で個別に奏でられ、地球上で大気が流れていくように移動し、ほかの音楽と混じり合い、それぞれの場所で異なる音楽が鳴りわたりながら、地球全体が壮大な音楽を響かせている――。東京外国語大学の研究者たちが、それぞれの場所に固有の音楽の姿を、写真と文章で紡ぐ。世界の音楽エッセイを一冊に!

『地球の音楽』山口裕之 橋本雄一〔編〕

【ジャンル】音楽・文化・地域研究
【版・頁】 A5判・並製・292頁
【ISBN】 978-4-904575-97-0 C0095
【出版年月】2022年3月31日発売
【本体価格】1800円(税抜)

世界28言語図鑑:多言語を学ぶためのガイドブック

東京外国語大学で専攻できるアラビア語、イタリア語、ウズベク語ほか28の言語の解説を中心に、「翻訳しにくいことば」「一番発音の難しい言語」など21のコラムで構成。専門の先生方の解説で、多様なことばの面白さに出会えます。多様な外国語をもっと知りたい方へおすすめの1冊!

『世界28言語図鑑:多言語を学ぶためのガイドブック』東京外国語大学ワールド・ランゲージ・センター 編

【ジャンル 辞典・事典】言語・言語学
【出版年月日】 2024/08/28
【ISBN】 9784469213997
【判型・ページ数】 A5・288ページ
【定価】 2,640円(本体2,400円+税10%)

世界を食べよう!―東京外国語大学の世界料理―

食を通じて文化を知る――そんな体験をもっと広げたい方には、東京外国語大学出版会の『世界を食べよう!―東京外国語大学の世界料理―』がぴったりです。料理から見える世界の多様性を、ぜひ味わってみてください。

世界を食べよう!―東京外国語大学の世界料理― 沼野恭子【編】

ジャンル:食文化・料理・地域研究
版・貢:A5判・並製・224頁 
ISBN:978-4-904575-49-9 C0095
出版年月:2015年10月30日発売
本体価格:1800円(税抜)

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