地球ディッシュカバリー【第14回・前編】美食と伝統が息づく土地 バスク地方 ゲスト:萩尾生教授
研究室を訪ねてみよう!
今回の「地球ディッシュカバリー」の舞台は、スペインとフランスの国境にまたがり、独自の文化を色濃く残す「バスク地方」。ピンチョス、バスク風チーズケーキ、そして「美食の聖地」。私たちが抱く華やかなイメージの裏側には、かつての言語抑圧を乗り越えて自分たちの言葉を取り戻してきた不屈の歴史と、伝統を重んじつつも新しい要素を柔軟に受け入れる「共有」の精神が広がっています。
バスクの地域研究と言語社会学を専門とする萩尾生教授をゲストに迎え、お笑いコンビ・ママタルトのお二人と共に、料理研究家・丸山久美さんが主宰する料理教室「mi mesa(ミ・メサ)」を舞台に、知のフルコースをいただきます。
ゲスト: 萩尾 生 教授
東京外国語大学 世界言語社会教育センター 教授。1962年福岡県生まれ。1986年早稲田大学政治経済学部を卒業。1989年東京外国語大学大学院地域研究研究科地域研究専攻(ヨーロッパ地域コース) を修了。2016年に東京外国語大学に着任。専門はバスク地域研究、社会学、民俗学。言語社会学の手法を用いて、少数言語化の道を辿ったバスク語の存続・教育・普及運動を通して“言語の再活性化”のプロセスについて調査・研究を行っている。研究者情報
パーソナリティ: ママタルト 檜原洋平さん、大鶴肥満さん
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バスクの基本情報 ──言葉とアイデンティティの地平
──バスク地方の基本情報を教えていただけますか。
日本で「バスク地方」と聞くと、多くの人がスペイン北部にある「バスク自治州」を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、自分たちはバスク人であるという強いバスク・アイデンティティを持つ人々にとっての「バスク地方」は、もっと広い領域を指します。具体的には、スペイン側のバスク州とその隣のナバーラ州、さらに国境を越えたフランス南西端のピレネー=アトランティック県の西半分を占めるバスク市町村共同体です。面積は、日本の四国に大阪府を足したくらいの広さで、人口は約320万人です。バスク地方はまた、世界に多大な影響を与えた人物を輩出している土地でもあります。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルや、イエズス会を創設したイグナチオ・デ・ロヨラはバスク地方の出身です。また、作曲家のモーリス・ラヴェルや、ファッションブランドで知られるクリストバル・バレンシアガも同様です。さらには、キューバ革命のチェ・ゲバラや、「世界で最も貧しい大統領」として日本でも話題になったウルグアイの故ムヒカ元大統領もバスク系です。なお、バスク州政府が公認する在外バスク系コミュニティが、世界25か国に200ほど存在しています。
──2か国に跨がる「バスク地方」は、バスク語でどのように呼ばれていますか。
この土地にはバスク語を話し、自分たちを「バスク人」と認識する人々が暮らしてきました。バスク語でバスク地方のことを「エウスカル・エリア」と言い、「バスク語の話されるくに」を意味します。この「エウスカル・エリア」という言葉は、確認できる限り16世紀まで遡ることができ、当時からスペインやフランスという国家の枠組みとは別に、共通の言語文化を持つ一つのまとまりとして意識されてきました。かつて国境線が今ほど厳格でなかった時代から、彼らは自分たちの故郷をそのように呼んできたのです。バスク語でバスク人のことを「エウスカル・ドゥナク(バスク語を持つ者たち=バスク語の話し手たち)」と呼ぶことからもわかるように、彼らにとって「言葉」こそが、国境を越えて自分たちを繋ぐアイデンティティの核となっています。
──バスク地方は、「国」ではないということですか。
はい、歴史を振り返っても、「バスク」という名称を冠した独立国家を形成したことは一度もありません。かつて「ナバーラ王国」という名称のもとで、現在のバスク地方に相当する地域が統治されかけた時期はありますが、それ以外にバスクが国として独立していた歴史はないのです。現代の行政区分で言えば、スペイン領では自治州などの単位に分かれており、フランス領では県の一部という扱いです。バスク語の「エリア」は英語で「カントリー」と訳されますが、これは政治的な「国家」というよりは、「郷国」や「地方」といったニュアンスに近い言葉です。そのため、日本語では「バスク地方」と訳されますが、それは独自のアイデンティティを持つ一つの文化圏を指していると言ってもよいでしょう。
「カンタブリア海(ビスケー湾)の真珠」の異名を持つ風光明媚な都市である。(萩尾教授撮影)
「言葉の再生」を追い求めて
──先生はなぜ、バスク地方に興味を持たれたのですか。
きっかけは偶然でした。1982年に都内の大学へ入学した直後、キャンパスで「バスク語勉強会」というチラシを目にしたのです。そこには「ザビエルの故郷の言葉で、日本語にもちょっぴり似ています」と書かれていました。高校の世界史などでフランシスコ・ザビエルの名前を知っており、スペインやフランスに漠然とした興味を持っていたため、その勉強会に参加することにしました。アイヌ語研究で有名な言語学者の田村すゞ子先生がその年に自主的に始められた勉強会です。その言語教授法はいわゆる「直接法(ダイレクトメソッド)」で、日本語を一切使わずバスク語だけで教えるという、当時としては非常に新鮮なものでした。教室の壁に貼られた20コマほどの漫画のような絵を見ながら、カセットテープから流れてくる音声を真似ながら学習するというスタイルがあまりに楽しく、本来の学部の授業にはほとんど出ずに、4年間田村先生の研究室に入り浸りました。研究室に出入りしていた日本在住のバスク人や、言語学、人類学、歴史学、社会学等の専門家の方々の謦咳に接していくうちに、バスク地方に対する興味が増幅していったのです。また、私自身の経験も関係しています。私は福岡県の筑後地方出身なのですが、上京してきた際にアクセントを否定的に指摘され、「ネガティブな烙印」を押される経験を何度もしました。その個人的な体験が、フランコ独裁政権下で言葉を禁じられ、心理的な抑圧を受けていたバスクの人々の状況への共感、そして研究への強い関心へと繋がっていきました。
──先生は、バスク地方に何度も訪れているのですか。
はい、1984年に大学3年生で初めて訪れて以来、40年にわたって関わり続けています。最初の訪問はバックパッカーとしての1か月間の旅で、宿も予約せずに現地を回りました。その後、大学院時代に奨学金を得てフランスのトゥールーズ大学へ1年間留学した際にも、週末などを利用して頻繁にバスク地方を訪れ、多くの友人ができました。さらに1992年にも、当時勤めていた民間団体の海外研修の一環でボルドー大学に1年間滞在し、バスク研究講座に参加しながらバスク地方へ通い詰めました。大学に職を得た2008年以降は、年に1、2回、10日間から2週間程度の期間で現地を訪問しています。また、バスク人は世界中にコミュニティ(バスク・ディアスポラ)を作っていますので、アメリカやアルゼンチンなどの在外バスク系コミュニティを訪ねることもあります。
──現地を訪れた際、どのようなことをされているのですか。
若い頃の旅や留学時代は、何でも見てやろうという気持ちで現地の人々と交流し、文化を肌で感じ、さまざまな情報や知見を得ることに集中していました。最初の旅では、パリ発の夜行列車で偶然乗り合わせたバスクの若者たちとバスク語の歌を歌って意気投合し、彼らの港町に招かれ、「お前の家だ」と鍵を渡されて居候させてもらうという強烈な体験をしました。現在は、研究費を得て大学の研究者として訪問しているため、自身の研究テーマに沿った活動がメインです。具体的には、現地でのインタビュー調査や資料収集ほか、研究者との協議や、講演、研究発表などです。週末には旧友を訪ねて旧交を温めることもしています。かつて「バスク語復権運動」が盛り上がっていた時期には、「バスク語を話す日本人」ということで、現地の新聞やラジオといったメディアから何度も取材を受け、祭りやイベントなど連日あちこち連れ回されました。バスクの人々にとって、遠いアジアの人間が自分たちの言葉を使っていることは非常に大きな喜びであり、マイノリティとしての自分たちの存在が世界に知られている証しだと映ったようで、彼らからは常に手厚い「おもてなし」を受けています。
──先生は、バスク地方の何について研究されているのですか。
専門は「言語社会学」です。バスク語という言語そのものの構造よりも、言葉と社会の関わり、特に少数言語としてのバスク語がいかにして息を吹き返してきたかという「再生化(復権運動)」のプロセスを研究しています。バスク語は一時期、話者が全住民の20%前後まで落ち込みましたが、1960年代からの復権運動を経て、現在では30%を超えるまで回復し、バスク州全域とナバーラ州の北部では公用語としての地位も獲得しました。地域差の大きかった方言をまとめる「共通標準バスク語(エウスカル・バトゥア)」をいかに構築していったかという経緯や、二言語ないし多言語政策、国境を越えた言語の対外普及活動、さらには言語的人権の問題などが私の研究テーマです。
ひと串の「ヒルダ」から始まる美食体験
──お料理が運ばれてきました。美味しそう。
丸山さん 本日は、バスクの食卓に欠かせない3品をご用意しました。まず、楊枝に刺した「ピンチョス」の代表格である「ヒルダ」です。次に、スペインのソウルフードとも言える「トルティージャ(スペインオムレツ)」です。そして、メインは「マルミタコ」というビンチョウマグロを使った煮込み料理です。夏に脂の乗ったマグロが獲れる時期に食べられる、バスクを代表する家庭的な漁師料理です。
──バスク語で、食事をする時の挨拶などはありますか。
萩尾教授 食事を始める際に、食卓の自分以外の同席者に対して「オン・エギン」と言います。これは直訳すると「オン=良い」「エギン=する、成す」という意味で、口頭では「オネギン」と聞こえます。一般には、料理を作った人が「どうぞ召し上がれ」という気持ちで発声しますが、食堂などで周りに食事している人がいれば、食べている途中であっても「オネギン」と声をかけ合います。自分の食卓だけでなく、他の方も良い食事の時間を楽しんでください、楽しい食の場を共有しましょう、というニュアンスの言葉です。また、乾杯の際には最近の若い人は「トパ!」と言います。これは「出会う、ぶつかり合う」という意味があり、グラスを鳴らす動作から来ているようです。私の世代では、「健康」を意味する「オサスナ」という言葉をよく使っていました。
──オネギン! トパ!・・・(ヒルダを食べて・・・)いい辛さですね。今日はノンアルですが、めちゃくちゃお酒に合いますね!
丸山さん はい。ピンチョスはバスクのバルの店先に必ず並んでいる定番中の定番です。今回お出しした「ヒルダ」は、アンチョビ、オリーブ、そして辛くない青唐辛子の酢漬けを串に刺したもので、現代のピンチョス文化の原点と言われています。1946年のアメリカ映画『ギルダ(スペイン語読みはヒルダ)』の主役リタ・ヘイワースをイメージして作られたため、この名前がつきました。
萩尾教授 「ピンチョス」という単語は、バスク語ではなく、スペイン語です。「突く、刺す」を意味する「ピンチャール」から来ていると言われています。以前は回転寿司のように、食べ終わった後に残った串(楊枝)の本数でお会計をするというスタイルが一般的でした。今では、薄切りにしたバゲットに少量の食べ物を載せたものを、串が刺さっていなくても「ピンチョス」と呼ぶようになり、自己申告制での支払いに変わってきていますが、その名残は今も文化として息づいています。
──続いて、トルティージャをいただきます!・・・(食べて・・・)美味しい! やさしい味! 先生、「美味しい」はバスク語でなんていうのでしょうか。
萩尾教授 状況に応じていろんな言い方がありますが、料理が「美味しい」と伝える時は「オナ・ダ」と言えば、シンプルですし、汎用性が高く、無難です。
──オナ・ダ!
丸山さん 「トルティージャ」はいわゆるスペインオムレツです。これはじゃがいもと卵だけで作る極めてシンプルな料理ですが、バスクのバルには必ず置いてあります。私のレシピでは、たっぷりの油を使い、冷たい状態から加熱を始める「コールドスタート」で、弱火でじわじわと時間をかけて焼き上げることで、ケーキのようにふっくらと仕上げています。本日は卵を5個使用しました。
──続いてこちらが「マルミタコ」ですね。マルミタコは、先生のリクエストだそうですね。何か思い出などがあるのでしょうか。
萩尾教授 はい、1984年に初めてバスク地方を訪れた際の印象的な思い出があります。当時は貧乏旅行で、火を通していない冷たいものばかり食べていたのですが、ある時この温かい「マルミタコ」を食べて、心底癒やされた経験があるのです。この料理は、夏に脂が乗ったビンチョウマグロを、じゃがいもや玉ねぎ、トマト、そしてバスク特有の「リセロピーマン」などと一緒に煮込んだ漁師料理です。マグロがふわふわとしていて、素材の甘みが存分に活かされています。同じく印象的だったのはその名前の響きです。「マルミタコ」というと、なんとなく「丸みを帯びた蛸」みたいに聞こえますよね。でも、タコ料理ではありません。バスク語で「マルミタ」は「鍋」を意味し、「コ」は日本語の「〜の」という格助詞に相当します。つまり「鍋の(料理)」という意味になるのですが、この「名詞+コ」という語順は日本語の助詞の使い方とほぼ同じです。この料理は、レストランでも提供されるメニューの1つですが、むしろ家庭料理の代表格で、それぞれの家庭や場所によって異なる「おふくろの味」があります。
──めちゃくちゃ美味しいし、やさしい味ですね。マグロもふわふわ。
「孤立言語」バスク語の深層
──バスク語」は、世界のどの言語にも属さない言葉とのことですが、その特徴を教えていただけますか。
バスク語は、周囲のスペイン語やフランス語といったインド・ヨーロッパ語族の言語とは系統が全く異なり、世界のいかなる言語とも類縁関係が証明されていない「孤立した言語」です。インド・ヨーロッパ系の言葉を話す人々が渡来する以前から西ヨーロッパに住んでいた、先住の人々の言葉ではないかと考えられています。独自の文字はなく、ラテン文字を借用しています。言語構造を見てみると、日本語話者にとって親しみやすい特徴がいくつかあります。まず、基本的な語順が「主語―目的語―動詞(SOV)」であり、英語のようなSVO型ではなく日本語と同じタイプです。また、母音がa,e,i,o,uの5つで日本語とほぼ同じであり、子音も極端な差がないため、日本語話者にとっては発音しやすく、ローマ字読みでも概ね通じます。一方で、文法面では「能格」という特徴的な体系を持っています。これは、自動詞文の主語と、他動詞文の直接目的語を同じように扱う一方で、他動詞文の主語を別の格(能格)として区別する仕組みです。例えば、バスク語で自動詞文の主語としての「私は」は「Ni(ニ)」と表現されますが、他動詞文の主語になる時は「Nik(ニク)」という形に変化します。もっとも、こうした能格現象を持つ言語は、世界にいくつもあります。
──日本語のように「オノマトペ(擬音語・擬態語)」も多いと伺いました。
はい、バスク語にはオノマトペ表現が多く、日本語に近い感覚があります。例えば、胸がドキドキすることをバスク語では「タウパ・タウパ」、飲み物をごくごく飲むことを「グル・グル・グル」と言います。これらは音を真似た擬音語ですが、様態を表す擬態語もユニークです。足を引きずってえっちらおっちら歩く様子は「ティリキ・タラカ」と言いますし、判断できず、どっちつかずで迷っている状態を「アイコ・マイコ」と表現します。こうした表現は、日本語話者には、おそらく直感的に親近感を覚えやすい部分です。
──先ほど、多くの方言がある中で、共通語を確立していった歴史があると伺いましたが、どのように確立していったのでしょうか。
1960年代に、言語の衰滅危機を乗り越えるため、共通の標準語を作ろうとする動きが本格的に起こりました。こうして提言されたのが「エウスカル・バトゥア(共通バスク書き言葉)」です。1960年代から80年代にかけて、文法体系や書き言葉のルールを統一する作業が進められました。これは方言を排除するためではなく、教育、行政、メディア等の公共の場で共通して使える言語を確立し、少数言語としての生き残りを図るための戦略的な選択でした。現在では、学校の教科書や公共放送は、この標準的な共通バスク語で行われています。一方で、家庭や日常会話では今も地域の方言が大切に使われており、日本の標準語と方言の関係に近い形で、二つの層が共存しています。この「再生化」の取り組みは、フランコ独裁が崩壊してスペインが民政を回復し、とりわけバスク州政府がバスク語の復権に向けた積極的介入策をとるようになると、バスク語話者の絶対数と相対的割合が、どちらも回復しつつあります。
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学びを広げるリンク集
バスク語文学の門出
ルネサンス文学が到達したもう一つの金字塔。16世紀、西欧の文化・宗教を知るうえでも欠かせない基本書、初の日本語完訳。ヨーロッパの異郷に咲いた、奇跡の文学作品。1545年、フランス・ボルドーで刊行された、バスク人司祭による小詩集。散文による献辞と韻文詩からなり、バスク語で印刷された書物として現存する最古の作品。宗教的主題と多情な世俗愛が対等に描かれ、一聖職者の詩としては異色のものといわれる。とくに2つのバスク語讃歌において、「バスク語で書くこと」の意義を歌い上げていることで、1960年代以降のバスク語復興運動において、フランコ体制への抵抗、もしくはアイデンティティを掲げる人びとにとっての象徴ともなった。
『バスク初文集』ベルナト・エチェパレ著、萩尾 生・吉田 浩美 訳
出版社:平凡社
単行本、A5、240ページ
ISBN:9784582836783 C0097
出版年月:2014年11月発売
本体価格:3,000円(税抜)
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食を通じて文化を知る――そんな体験をもっと広げたい方には、東京外国語大学出版会の『世界を食べよう!―東京外国語大学の世界料理―』がぴったりです。料理から見える世界の多様性を、ぜひ味わってみてください。
世界を食べよう!―東京外国語大学の世界料理― 沼野恭子【編】
ジャンル:食文化・料理・地域研究
版・貢:A5判・並製・224頁
ISBN:978-4-904575-49-9 C0095
出版年月:2015年10月30日発売
本体価格:1800円(税抜)
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本記事に関するお問い合わせ先
東京外国語大学 広報・社会連携課
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