近藤信彰教授 イラン・ファーラービー国際賞受賞インタビュー
研究室を訪ねてみよう!
近藤信彰教授(アジア・アフリカ言語文化研究所)が、イラン政府主催の人文学賞である「ファーラービー国際賞」を受賞しました。本賞は、イラン国内の人文学研究と、外国人によるイラン、イスラーム研究に与えられる賞です。近藤教授は、これまでのイラン研究に関するすべての作品が高く評価され、本賞を授与されました。(授賞式の様子はこちら)
今回のTUFS Today特集では、本学の大学院でイラン研究をおこなう村山木乃実さん(大学院博士後期課程、日本学術振興会特別研究員DC2)に、近藤教授をインタビューしていただきました。
研究について
——ファーラービー国際賞ご受賞、誠におめでとうございます。日本人で本賞を受賞したのは10年ぶりと伺いまして、たいへん栄誉あることだと思います。今のお気持ちをお聞かせください。
ありがとうございます。日本の文部科学省にあたるイランの学術研究技術省が主催する賞ですので、イランに認められたようで、たいへん嬉しく思います。研究を始めた頃は、イラン・イラク戦争が終わったばかりの時代で、年も若かったのでイランに行っても相手にされなかったですし、スパイの一味扱いをされたこともあり苦労しました。それを思えば、リベンジが果たされた気分ですね(笑)。いろんな人に助けられて研究を続けてきました。そういった方々のためにも、研究成果を形にして残したい、残さなければならないと思ってやってきましたので、恩返しができたのではないかと思います。
——これまでの研究が高く評価されたとのことですが、先生はこれまで、どのような研究をされてきたのでしょうか。
イランの歴史を研究しています。具体的には、16〜19世紀くらいの近世、王朝で言うとサファヴィー朝からカージャール朝のあたりの歴史を研究してきました。そして、ここ20年くらいは、イスラーム法にもとづく「シャリーア法廷文書」などを通じて、法社会史を研究しています。当時の人々がどのような法律のもとで暮らして、どのように法律を使っていたか、法律を司っているのが誰で、どのように運営されていたか、国はどう関わっていたのか、というのがテーマです。それを知るためには、手書きの文書を手に入れて読むのですが、手に入れるところから苦労してきましたね。
——授賞式がオンライン併用で行われていたので、私も授賞式を拝見したのですが、その中で、代表して2冊のご著書が紹介されていました。これらの著書はどのような理由から紹介されていたのでしょうか。
授賞式で紹介された著書は、私の方で選んで紹介してもらいました。あの2冊は、2017年と2018年にそれぞれ刊行されたものでしたが、学問上、非常に重要なので「これを刊行するまで死ねない」と思って取り組んだ研究成果です。2冊両方ともペルシア語版を準備していまして、イランでも来年には刊行されるのではないかと思います。
1冊は、カージャール朝時代(1796~1925)の法制度と社会の関係を扱った本です。これは欧米の研究者がこれまでに扱ったことのないテーマです。イランに入国できないイギリスやアメリカの研究者とくらべて、日本人研究者として優位に立てる点は、現地に行って資料を手にすることができることです。英語で執筆して英国で刊行しています。
もう1冊は、サファヴィー朝(1501~1736)の行政マニュアルに関するものです。当時の王朝がどのように運営されていたかが書いてあるものです。この文献の写本はイラン国内にもあって、イラン人研究者によって何度か出版されていたものでしたが、全体の6割しかない不完全な写本でした。しかし、インドには残り4割を含む完全な写本がありました。そのため、写本のコピーを手に入れるためにインドへ繰り返し渡航したのですが、インドは写本が厳しく、3回渡航しても5分の3しかコピーをもらえませんでした。そのため、コピーのもらえない分は現地の図書館で書き写しました。
——最近は、『ハムザ物語』の研究もされていますね。
研究者仲間と東南アジアに行ったことがありまして、一緒に行った研究者の方から「イランといえば、『ハムザ物語』ですよね」と言われました。ところが、私はあまり文学はやってこなかったので、当時、『ハムザ物語』のことをあまりよく知りませんでした。「イラン研究をやっています」というからには、知っておかなければまずいかな、と思い読み始めました。イランでは現在はそれほど人気があるわけではないのですが、東南アジアやインド、パキスタンでは人気のある物語で、アラブ圏から東南アジアまでの広大な地域に広がっている物語だということを知りました。今で言えば、大ベストセラーということですね。物語に地域によってバリエーションがあり、研究してみることにしました。
——『ハムザ物語』に興味があって、先生の研究を楽しみにしています。
語学の壁があって、要するにアラビア語版があれば、トルコ語版、ウルドゥー語版、といろんな版があって、とても一人の手に負えるものではないですね。一人でやるのは難しいテーマなので、少し考えなければなりませんね。
若手研究者時代
——少し話が変わりますが、せっかくの機会なので、普段先生に聞けないことをお伺いできたらと思います。まずは、研究者を志すきっかけはどのようなことからなのでしょうか。もともと歴史に興味があったのですか。
学部生の時は、あまり勉強をしない体育会系の学生でした(笑)。陸上部で箱根駅伝を目指すほど熱心に部活動に参加していました。せっかく大学に入学したのだから、少しは勉強もしようかなと勉強をし始めたところ、意外とおもしろくて。幼い頃にイスラーム革命があってその印象でもともと宗教学、特にイスラーム教に興味がありました。学部生の頃、史学を専攻していましたが、イスラーム教と関係のある地域で、他に研究している人が少ない地域の歴史を学びたいと思い、イランの歴史を中心に研究を進めていくことにしました。
——初めてイランに渡航したのはいつですか。
1988年の学部生の時に1ヶ月ほどの期間で渡航し、イスファハーンに滞在しました。イラン・イラク戦争中でしたので、スカッドミサイルの音を聞いたり、飛行機から落ちる爆弾を見たりしました。戦時中とはいえ、お店に物はありましたし、意外に普通でした。トイレットペーパーなどの紙類をはじめ物資は不足していましたけどね。ミサイルが飛び始めて情勢が一変して、人に助けてもらいながらなんとか脱出しました。
——次にイランに行ったときは、研究で行かれたのですか。
2回目は、大学院博士課程に進学した1992年に、イランへの留学を考え、様子を見にいく目的で渡航しました。まだイスラーム革命の影響が残っていて、例えば、公園で男女が話していたり、ヒジャーブから髪の毛が出ていたりすると怒られるような時代でした。ある時からは、滞在中は、図書館通いの日々を過ごすようになりました。まだペルシア語もそんなに話せませんでしたし、欲しい文書があってもコピーがもらえるものなのかもよくわからなかったので、見た内容を書き写すことに努めました。
研究者として
——研究を続けていく上でこだわっていることはありますか。
現地の図書館でコピーがもらえない場合は、1つのテーマで史料を集めるのに半年くらいかかります。世界で他の人がやっていないことをやりたくて難易度の高いものに手をつけるので、史料集めは特に大変です。大変なのですが、根拠があることをするということにこだわって、文献や資料というものを大事に思っています。それと、やるのであれば、人がやっていないことに挑戦する、ということにもこだわっています。知らないことを知るのは楽しいですし、やりがいがあります。
——今後の研究の展望はありますか。
村落社会の研究や、外交史の研究など、時間があればやりたいことはいくつもありますが、これまでに研究してきたことも、ある程度続けていかなければなりません。今研究している歴史物語は、広大な地域に広がっていますので、インドや東南アジアでも文献を集める必要があります。今は、次世代のために研究環境を整えるなどの業務もあり、研究に費やせる時間が少なくなりました。若い頃よりは知識はありますし、効率は良くなっているので、短期間にできることは増えたのですが、文献集めもどのくらい時間を割けるかわかりません。
——最後に、若手研究者や東京外大生へひと言お願いします。
この賞を受けて、イランがすごいと思うのは、人文学への投資です。人文学が大切にされているということです。言語・文化・社会は、人間の根本を作るものです。皆さんは、東京外国語大学でそういうことを勉強することができ、それは長期的には大切な財産になると思います。じっくり勉強できるこの時期に、たっぷり勉強をしてほしいと思います。若手研究者の皆さんには、先のことを心配しすぎると何もできなくなってしまうので、多少は楽観しつつ研鑽を積んで、がんばって研究を続けてほしい。国際的に評価される研究内容で成果を出していってほしいと思います。
追記:
2020年10月13日(火)、在京イラン大使館において、近藤教授のファーラービー国際賞授賞式が開催されました。