ベンガル文化を日本へ:丹羽京子教授インタビュー
研究室を訪ねてみよう!
ベンガル地域の文学を専門に研究をおこなっている丹羽京子教授。ベンガル文学の日本語訳を数多く手掛けており、日本における南アジア研究の第一線でご活躍されています。今回のTUFS Todayでは、先生の研究室にお邪魔し、学生時代やベンガル文化の魅力についてお話を伺いました。
インタビュー・取材担当:言語文化学部ヒンディー語4年・村上梨緒(むらかみりお)さん(広報マネジメント・オフィス学生取材班)
―――丹羽先生、まずは先生のご専門を教えてください。
バングラデシュとインドの西ベンガル州をあわせた地域であるベンガル地域が専門地域で、本学では主にベンガル語やベンガル文学と文化の講義を担当しています。研究分野は文学、特にベンガル文学ですが、インドでは比較文学科で学び、博士論文を提出しました。
―――2022年2月に出版された『「その他の外国文学」の翻訳者』(白水社)に掲載された先生のインタビューを拝読しました。先生がベンガル語に興味を持った契機や学生時代のご経験について語られており、大変興味深かったです。どういった経緯でインタビューを受けることになったのでしょうか。
インタビューに関しては、出版社の方からお話を頂きました。『ニューエクスプレス ベンガル語』『ニューエクスプレス+ ベンガル語』(白水社)を担当したため、選ばれたのだと思います。
―――幼少期から外国文学に興味を抱いていたことが本学のヒンディー語専攻を選んだ契機で、卒業論文ではヒンディー語文学について扱ったそうですね。南アジア文学のどういった点に惹かれたのでしょうか?
南アジアの文学は韻文 [1]が古くから主流である点がおもしろいと思いました。ベンガル文学について学びはじめてからは耳で聞くことの味わいを知り、更に惹かれていきました。南アジアの文学で韻文に興味を持ち始めてからは、日本の詩にも興味を持つようになりました。
[1] 韻文:韻律(=詩の音声の長短や強弱の組合せの形式)や押韻(=詩歌において類似の音をもつ音節が互いに響き合う関係にあること)といった一定の規律に従って書かれた言語表現のことで散文と対置される [ブリタニカ国際大百科事典]
―――なるほど、他の地域の文学を契機に日本文学に興味を持ち始めた点が東京外大生らしいですね。ヒンディー語もベンガル語も、日本ではいわゆる“マイナー”な地域の言語とされていますが、それらの言語ならではの魅力は何であるとお考えですか。
実は、自分ではそれほど“マイナー”であると考えたことはないんです。マイナー・メジャー関係なく、新たなことばを学ぶということは新しい世界が開けるということだと考えています。学んでいる人が少ない言語である場合、その言語を用いている人以外はあまり知らない世界を知ることが出来る点が魅力ですね。南アジアはある程度英語が通じますから、英語だけで南アジア研究をすることも可能だと思います。ですが、相手の母語を知っていたらより心を開いてもらうことができます。実際、ベンガル人と話していると英語で話すときとベンガル語で話すときは内容まで違ってくることがしばしばあります。本心やその人の本当の世界を知るためにはそれぞれの言語を学ぶことが大切でしょうね。
―――確かに違いはありそうですね。実際、私がインドを訪れた際、現地の方にヒンディー語で話したら、英語で話した時以上に盛り上がりました。学生生活の思い出として、学問以外には何かありますか。
大学自体が今よりも地味で、授業もサークルもヴァリエーションが少なかったです。料理店や語劇もやりましたが、今のようにきちんとしたものではありませんでした。ですが、今以上にヒンディー語がマイナーでしたから、よそでは出来ない経験ができたと思っています。
一番印象に残った出来事は、やはり初めてのインド渡航です。在学中2回ほど、バックパッカーとしてそれぞれ約1か月滞在しました。1度目はインド全体を旅行しましたが、2度目はベンガルを中心に訪れました。40年近く前のことですから、今は大都会になっているバンガロールも閑静な地方都市だったんですよ。当時はインドに関する情報が少ないため日本にいるだけでは分からないことが多かったですし、渡航してからは簡単に日本と連絡が取れませんから異世界に来てしまったような感覚になりました。
―――今でも衝撃を受ける場面は多いですから、先生が訪れた時期は尚更でしょうね……博士課程はインドの大学院に進学されたとのことですが、現地で印象に残っている出来事はありますか。
やはり思い出深いのはアッダですね。アッダとは、昔からベンガルで盛んな緩い集まりのことで、大まかな日時を決めどこかに集まっていろいろな話をするものです。特に盛んなのはやはり文学のアッダです。有名な作家・詩人が主催するアッダや、女性作家だけのアッダなどさまざまです。同人誌の話をしたり新作の共有をしたりして、新作のサイン本をいただくこともありました。子どものプレゼントで本が選ばれることが多かったり、ブックフェアが盛況だったりと、ベンガルは本を通じたコミュニケーションが盛んです。アッダもその1つです。留学から帰った後もよくコルタカを訪れたのですが、それは、調査や仕事もありますが、このアッダの存在が大きいです。
また、タゴールが人生の後半をすごしたシャントニケトン [2]にあるロビンドロ・ボボン(博物館のようなところ)では、タゴールの自筆原稿や絵画を自由に見せてもらえました。それも良い思い出です。かつては管理が緩かったため、自由につまんでパラパラめくったり出来たんですよ、今ではありえないですよね。
[2] シャンティニケータン(=シャントニケトン):インド東部、西ベンガル州中西部。シャンティは〈平和〉、ニケータンはサンスクリット語で〈すみか〉を意味し、地名は〈平和の郷〉の意。 参照、応地利明.「シャンティニケータン」.辛島昇他(監)『南アジアを知る事典』(平凡社、2002年).p.344
また、タゴールの設立したビッショ・バロティ大学がある。
―――アッダでしたら、有名な作家や詩人のプライベートな側面を見ることができて楽しそうですね。留学から戻ってきて、その後の教員生活・研究生活では何か思い出深いことはありますか。
教員としては2012年の学部改編後新たに開設されたベンガル語専攻を担うことが出来たのがやはり印象深いですね。ベンガル語を専攻として学ぶ学生がいるというだけで感無量でしたし、料理店も語劇も初めてでしたからすべてが思い出です。また、自分が留学したジャドブプル大学にショートビジット(短期留学)や交換留学で学生が行ってくれることも、不思議な気持ちであると同時に感慨深いですね。向こうの大学の同級生や先輩も驚くと同時に喜んでくれています。
研究に関しては、この分野を担っている人が少ない所が難しい点ですね。自分で訳して自分でそれについて論じて……いうことになりますと堂々巡りのような気がすることもありますが、とにかく今は場を広げていかなければと考えています。どんどんこの分野を研究してくれる人が増えてくれたら嬉しいですね。
―――先生は邦訳を多く手掛けていらっしゃいますが、作品を選ぶ基準などは何かありますか。
普段本を読んでいて、「これはぜひ訳したい!」と思うことが第一ですね。『赤いシャールー』などがそうです。ですが、今はまだベンガル文学紹介の初期でしょうから、ベンガル文学について幅広く伝えたいですね。「ベンガル=タゴール」となりがちですが、タゴール以外にも優れた作家や詩人が多いことも訳を通じて知って欲しいです。ただ、「すごく訳したい」と思うものはいざ訳すと難しいことが多いですから、挑戦だと思って取りくんでいます。
―――先程述べた『「その他の外国文学」の翻訳者』に掲載されているバスク文学研究者である金子さんは、翻訳の際に日本の作家の文章を参考にすることがあると仰っていました、先生は翻訳されている時に参考にしている方はいらっしゃいますか。
様々な文体から自然と学んだ気がします。昔からいろいろな本を読んでいましたから……ラテンアメリカ文学が流行った時はそればかり読んでいましたし、高校・大学時代はSF小説を沢山読んでいました。詩の訳に取り組むようになってからは、日本の詩や訳詩を意識的に読むようになりました。あとは、やはり南アジア・中東・東南アジアといった地域の本はついつい手に取ってしまいますね。
―――様々な地域の文学をお読みになっている先生だからこそ感じる南アジア文学ならではの魅力は何かありますか。
文学作品はそれぞれの詩人や作家の個性によるところが大きいので、一括りに語るのは難しいですね。『言語別南アジア文学ガイドブック』(東京外国語大学拠点南アジア研究センター)を読んで頂ければ、南アジアの中でも文学の多様性があると分かるはずです。あえて言えば日本の文学より動的でエネルギーを感じますが、南アジアに限ったことではないかもしれません。ベンガルに関してでしたら、抒情詩の伝統ゆえか、感情豊かな気がします。
―――『言語別南アジア文学ガイドブック』にも紹介されていましたが、近年は南アジアにルーツを持つ作家が南アジア地域以外で活躍する場面も増えていますよね。そういった流れは、ベンガル文学に何らかの変化をもたらすと思いますか。
文学はことばによって成り立っているので、移民の人たちが英語で書いているものが直接的な影響を与えるようにはなりにくいでしょう。ただ、ベンガルの文学者たちは英語作品に対し複雑な感情を抱いているとは思います。たとえば、ナクサライト [3]などのテーマで、ジュンパ・ラヒリ(ベンガル系インド人移民の子どもで、欧米で育った英語作家)が英語で書けば世界中の人が読んでくれますが、同じテーマで書かれたベンガル語の作品はそれほど紹介されていません。むしろ、ラヒリの書いたものを読んで世界の読者がそれだけでわかった気がしてしまうことを警戒するような評もありました。実は、ベンガルにルーツを持つ英語作家は比較的古くから存在していますから、ベンガル文学の潮流に大きな変化をもたらすとは考えにくいです。どちらかというと、ベンガルの場合は2国に分かれましたから、西ベンガル(インド)の人はバングラデシュを、バングラデシュの人は西ベンガルを、という風に「あちら側の文学」をお互い意識していると思います。
また、英語とベンガル文学の関係に関しては、タゴールの『ギータンジャリ』に対しても複雑な感情を抱いているベンガル人が多いです。英語の『ギータンジャリ』とベンガル語の『ギタンジョリ』 [4]は趣が異なっていますから、英語だけでタゴールを知った気になっている世界に対してベンガルの人はもどかしい思いをしています。
[3] ナクサライト:インドの武装革命至上主義者の称。1967/3、ベンガル州のナクサルバーリーで土地なき農業労働者たちの地主の土地占拠闘争が展開され、5月に警官隊と衝突したあと武装闘争を開始した。 参照、内藤正雄.「ナクサライト」.辛島昇他(監)『南アジアを知る事典』(平凡社、2002年).p.508
[4] ノーベル賞の対象となった英語版『ギータンジャリ』はオリジナルのベンガル語版『ギタンジョリ』の全訳ではなく、その訳自体もかなり自由な翻案的なものである
―――知名度に関しては、文学だけでなく映画なども同様ですよね。先生の講義を契機にショットジット・ラエ監督の『オプー3部作』を鑑賞しましたが、主人公のオプーが苦労しつつ成長していく姿がNHKの朝ドラとの共通性を感じ、興味深かったです、ベンガル語圏の映画ならではの魅力としては何があるでしょうか
やはり『オプー3部作』の第1作、『大地のうた』は印象的なシーンが沢山あって何度観ても傑作だと感じますね。ショットジットの影響が大きいからか、ベンガル語映画はヒンディー語映画に比べて芸術映画が主流な気がします。
オポルナ・シェーン [5]のParomaは留学中に鑑賞したためか、今でも記憶に残っています。写真家と知り合う中で自己を見出していく中産階級の主婦、ポロマーについての映画です。すごく話題になった作品で、「あなたはポロマーの選択に賛同しますか」というテーマで議論されたりもしていました。
ベンガルの映画で興味深い点としてはタゴールソングが使われる事が多い点ですね。2017年に公開された映画『Macher jhol(=魚カレー)』はタゴールソングが主題歌なのですが、偶然にも映画の内容とリンクしている印象を受けるんです。そんな風に、タゴールソングが新たな意味を持ったりする点がおもしろいですね。
[5] 1945年コルカタ生まれの俳優・監督。代表作は36 Chowringhee Lane(1981)、Paroma(1985) など [IMDb, 日付不明]
―――タゴールソングと言えば、在学中丹羽先生のゼミに所属していた佐々木美佳さんはタゴールについてのドキュメンタリー映画を制作しましたよね。夢中になれるものを見つけ、社会に伝えていく姿勢は、丹羽先生が邦訳をご担当されていることと通ずる点があると思います。東京外大の卒業生や在学生の方に何か期待する事はありますか。
皆さんには熱中できるテーマを見つけて追究していってほしいです。ですが、見つけても将来に活かせなかったり仕事にできるとは限らなかったりしますよね。たとえそうなったとしても、所属など外からの認識に固定されず自己認識を見失わないでほしいです。
先程紹介したアッダでのエピソードですが、みんなで熱く文学を語っていた際に、参加者の方から「あなたの人生の中心にベンガル文学があることは分かった。でも生活のためには何をしているの?(jibikar hisabe ki karen)」と訊かれたんです。そのアッダの場においては皆さん詩人・作家として参加していますが、公務員や教員など何らかの仕事をしていることが多いんですよね。ただ、彼ら/彼女らの人生の軸足は文学にあって、生活の仕事は食べるためのもの、という位置づけです。
このように、自分で自分をどう規定するかが重要であって、他者の評価に引きずられすぎないことが大事なのではないでしょうか。
―――「周りの評価を気にしすぎるな」と言われることがしばしばあるので、丹羽先生から言われて改めて意識しようと思いました。5月になり、新入生も大学に慣れてきたことかと思います。新入生に何かメッセージがありましたら、お願いします。
まだまだ人生は長いですから、ものごとを決めつけず、精神も広く持ってほしいです。学ぶとは、広い視野をもってさまざまな見方で受け入れ・考えることですから、思い込みで学生生活を終えてしまってはもったいないです。時間はたっぷりあります。
―――皆さんが、様々な出会いに満ちた豊かな学生生活を送れると良いですね。丹羽先生、今回はお忙しい中お時間を取って下さりありがとうございました!
インタビュー後記
今回は、敬愛する丹羽先生にインタビューする機会を頂きました。講義内で、先生が文学や作家の方とのエピソードについて楽しそうに話していた姿が印象的だったので、今回、よりいろいろなお話を伺うことが出来、充実した時間を過ごすことが出来ました。
丹羽先生はリレー講義も担当されていますし、今回のインタビューを契機に、南アジアだけでなく他の専攻地域の学生さんもベンガル文化に興味を持って頂ければ幸いです。
新学期のお忙しい時間であるにも関わらずお時間を取って下さった丹羽先生、ありがとうございました!
村上梨緒(言語文化学部ヒンディー語4年)