「言葉」をどう「聞く」のか 〜田邊佳美講師インタビュー〜
研究室を訪ねてみよう!
今回インタビューをさせていただいたのは、大学院総合国際学研究院の田邊 佳美(たなべ よしみ)講師です。国際社会学やフランスにおける移民・難民の政治を専門とする田邊先生。本インタビューを通して先生の生い立ちから、現在の研究、現地調査での出来事など数多くのお話をお聞かせいただきました。
インタビュー担当学生記者:
国際社会学部東アジア地域4年 長谷部 結衣(はせべ ゆい)(広報マネジメント・オフィス学生取材班)
専門分野
―――まずは田邊先生の専門分野について教えてください。
社会学のなかでも、特に国際社会学や都市社会学、社会運動論を専門にしています。専門地域はフランスで、特に、フランス本土の旧植民地出身移民やその子孫による反レイシズム運動やフェミニズム運動、セクシュアリティに関わる運動のなかで、人種・ジェンダー・セクシュアリティ・階級など複数の権力関係に置かれた主体や抵抗のあり方に着目してきました。最近は、こうした運動を通して、マイノリティの知識やマイノリティ化された知識が引き起こす社会変革の可能性や、逆に制度化されるプロセスの問題、バックラッシュについても研究しています。
人となり
―――研究について詳しくお伺いする前に、まずは先生の略歴を教えてください。
生まれも育ちも東京都の多摩地域です。なので、このあたり〔外大周辺〕は私の地元です。中高生の時はよく吉祥寺で遊んでいました。小学校までは地元の公立で、中学からは都心の女子校に通いました。当時は、女子校の厳しく理不尽な校則や、良妻賢母かつエリート女性になることを求めるような規範が苦しくてしょうがなく、記憶重視の勉強もすごく苦手だったので、特に中高では授業中ふて寝しているか、隠れてずっと小説や漫画を読んでいるような不真面目な生徒でした。ですので、大学に進んだ当初は、修士課程に進学するつもりもありませんでした。しかし大学の授業は思いのほか面白く、何より卒論を書くのがすごく楽しく、目から鱗な経験ばかりで、もっと勉強したいと思い修士課程に進学しました。博士に進学する時も同じで、修士で出るつもりだったのに、修論を書き始めたら面白くて、「やっぱり博士に進みたい」となりました。ただ母親が、分野は理系ですが、ずっと大学で非常勤講師をしていて、小さい時に母の勤務先の研究室で遊ぶこともあったので、大学や大学院というものの敷居が限りなく低かったというのも重要だと思います。社会学的に言えば、いわゆる社会的再生産の一例だと思います。
―――もし教員の道をえらんでいなかったら、今はどんなことをしていると思いますか。
教員になっていなかったら、ソーシャルワーカーを目指していたのではないかと思います。フランスで調査をしている過程で、ソーシャルワーカーの人たちと親しくなったのですが、ソーシャルワークはすごく社会的に意義のある仕事だなと感じ、ソーシャルワーカーになる資格を取ろうかと考えていたことがありました。結果的には教員になりましたが、今でもソーシャルワーカーになってみたかったと思うことがあります。
―――教員としての「職業病」はありますか。
どんなものを見ても社会学っぽい見方になってしまうということはあります。外に出ると、とにかく人の言葉や振る舞い、持ち物などを観察してしまい、はっと我にかえることがあります。実家に住んでいた院生の頃は、よく妹に「社会関係とか規範とか、お姉ちゃんの使う言葉は気持ち悪い」と言われましたね。あとはコーヒーを飲み過ぎてしまうのもあります。多い時は一日に四杯飲んでしまいます。日本でもフランスでも、出身研究室の先生や仲間が常にコーヒーを淹れていたので、私もコーヒーを飲むのが仕事始めの儀礼になっています。
研究
―――先生のこれまでの研究について教えてください。まずは学部の卒業研究について教えてください。
学部ではメディア社会学のゼミに所属し、アメリカにおける黒人の表象について研究していました。そのときにスチュアート・ホールの Representation: Cultural Representations and Signifying Practicesという本に出会ったことが、博士課程に行く最初のきっかけになったと思います。社会の物事が所与のものではなく構築されているということが、この本を読んですごく衝撃的に頭に入ってきたのを覚えています。「女性らしさ」の構築や正常/異常のラベリングなど、自分自身の日常的経験と重なる部分も多く、知識を得ることで社会の規範から自由になれる感覚がありました。これにすごく救われた気がします。また、学部の時にフランスに交換留学に行く機会がありましたが、これにも実は、日本社会の規範から逃げたいというのが潜在意識にあったと思います。フランスを選んだきっかけは、私が大学に入学したのが2000年前後なのですが、当時は大学で海外留学というと英米圏、特にアメリカというような前提があって、アメリカのポピュラー・カルチャーやアメリカという国への憧れというのが社会の中で強い印象がありました。そのアメリカの覇権的なイメージが嫌で、漠然と別のところに行きたいと思い、フランスを選択しました。
―――そうなのですね。では、必ずしも特にフランスに強い興味や関心があったわけではなかったのでしょうか。
当時は特になかったですね・・・外大で言うのは憚られますが!でも、フランスは社会的なトピックを扱う映画を多く作っていて、高校生の時から映画が好きだったので、フランスの映画をよくみていました。フランスというと、多分そこで親しみがあったのではないかなと思います。なので、学部で第二外国語を選ぶ時に、フランス語を選んだのだと思います。同時に、日本から逃亡しようという動機から語学への関心が高かったので、フランス語の学習にもはまりました。そして、9.11〔2001年のアメリカでの飛行機ハイジャック事件〕のあと、フランスがアメリカの対テロ戦争に反対を表明したというのがあって、本当にナイーブですが、フランスに傾倒していきました。やっぱり、長く滞在する前は、フランスは人権の国、平等の国というようなイメージはずっと持っていましたね。実際のところ、そうしたイメージ自体を批判的に見るべきなのですが。
―――修士課程に進む時もメディア・スタディーズを学びたいと考えていたのでしょうか。
人種の問題についてもっと学びたいと考え、修士課程に進みました。2006年とか2007年に修士課程にいたのですが、ちょうどその当時フランスに移民史博物館が開館しようとしていました。当時の指導教員との面談でそれを知って、その博物館の設立を分析してみたいと思いました。最初は博物館でどういうふうに移民や他の地域からやってきた人が表象されるのかに関心を持ち、研究を始めました。設立までに時間がかかった博物館で、1980年代くらいから話を振り返る必要がありました。紆余曲折があり、さまざまな立場の人がプロジェクトに集まり、政治家もどういう立場でそのプロジェクトに関わるかということで是非があったので、利害が対立する設立のプロセスに着目すると面白いということが見えてきました。修士論文を書いている時に初めて現地調査も行い、博物館の設立に集められた美術史の専門家や民族学者などにインタビューし、移住当事者にもインフォーマルにお話を聞くことができました。
―――現地調査ではどのようなことがわかったのでしょうか。
博物館開館の準備段階で、移民に関わる歴史資料や、風刺画・写真・インスタレーション等のアート作品、そして移住経験者の所持品という3種類のオブジェを集めていると分かりました。なかでも、博物館側が移住者のコミュニティに関わる人を通じて、移住を象徴するトランクなどの所持品の寄贈を募っていたのですが、移住者とその家族からは、所持品が博物館の所有物になってしまうことに抵抗がある、というような話が出ていました。結局、移住者とその家族は、博物館と交渉して「寄贈」せずに「委託」するという方法を編み出したのですが、博物館は、殆どが「委託」されたオブジェでできた部屋を「寄贈ギャラリー」と名づけました。矛盾していますよね。ナショナリズムと移民、個人の記憶の所有権と国立博物館の関係や、知識を持つ専門家と個人の関係などを考える上で興味深い事例でした。現地調査でさまざまな人に出会い、大量の資料を前に、語りや資料の不可解さや新しさに圧倒され、「これをどう捉えれば良いのだろう?」と考えるのがとても楽しく、帰国して指導教員の先生に「博士課程に行きたいです!」と伝えたのを今でも覚えています。
―――その後の博士課程ではどのような研究を行ったのでしょうか。
博士課程では、国の政策というより移住者個人の考えや経験に注目し、修士論文の研究の際に出会った移住者の人たちの話をもっと聞きたいと思いました。特に旧植民地出身移民とその子孫に対象をしぼり、「反レイシズム」と「移民の記憶」がどう関わってくるのかということを問いとして設定し、まずは調査を進めました。移住者やマイノリティは、社会に対して意見を言うことや発言する権利を奪われているということが大きな問題としてあると思います。移住者やマイノリティが「語る」ということや、「語り」を社会の中で聞いてもらう難しさに関心を持ちました。その中で、移住者が語り、そしてその語りを聞いてもらえる空間をいかに作るか、ということに挑戦した人たちに焦点を当てました。ポストコロニアル思想のガヤトリ・スピバックが言う「エピステーメーの暴力」、すなわち「語らせない暴力」そして「聞いてもらえない暴力」とも言える概念に依拠し、語ることを不可能にするような暴力とそれへの抵抗について研究しました。これは、マイノリティが自分たちの経験を語る言葉がないという問題でもあって、それは私たちが主流の社会のまなざしで社会を理解し、語り、定義しているということとも関係しています。例えばフランスの場合だと、共和主義のもとで人種的な話題がタブーなので、レイシズムの経験をしてもそれを語る語彙がないのです。だからマイノリティは、ない言葉をまずは発明するということが必要になってしまいます。そこで記憶というものが、言葉や思想をつくるための一つの重要な資源になっていたのです。同時に、言葉が発明され、語られたとして、それを「聞く」という行為の重要性も浮かび上がってきました。なので、マイノリティの声を他のマイノリティやマジョリティが聞く、そういう空間はどうやったら作れるのかということを考えました。
―――現地調査をしてきた中で特に思い入れに残っている人や出来事はありますか。
調査において話を「聞く」ということは、調査対象者がいて、私は研究者として彼らの語りを手に入れるということになります。それまで自身の語りをしっかり聞いてもらえなかった人たちや、語ると怒られたり、遮られたり、もしくは歪められて伝えられたり、語りを盗まれて都合の良いように使われてきた人たちにとって、私は「脅威」だったのです。なので、調査先に行ってインタビューをお願いしたのに、1年くらいインタビューをさせてもらえなかった経験がありました。パリ郊外の労働者階級/旧植民地出身移民が多い地区で、演劇を作ったり、ローカル新聞を発行したりしていた女性グループで調査をしていた時ですが、私は毎週のお茶会に参加させていただき、世間話やプライベートな話はするけれど、インタビューの話になると、「来週は都合が合わない」というように遠回しに断られることが続きました。「なんでインタビューできないのだろう」とずっと疑問に思っていたのですが、ある時、「私たちはこれまでずっと言葉を盗まれてきたから」ということを教えてもらったのです。その時の衝撃はすごく大きかったです。これまで「語り」を盗まれてきた人たちが、自分たちで語る場を作り、他人に自分たちの語りを渡さないと決めた、その強い意志が感じられる経験で、「インタビュー調査をできない」ということ自体がものすごく重要な調査結果なのだと分かった瞬間でした。しかし同時に、私の調査先はやってくる人を最初から拒絶するのではなく、一緒に何かできる人だったら歓迎するという懐の広いところでした。一緒にデモに参加したり、彼女たちが発行する新聞に記事を載せてもらったりしていました。ある程度受け入れてもらっているのにインタビュー調査はできない、というとても「奇妙な」経験の裏に、「言葉を守る」「言葉を渡さない」という重大な意図があることを教えてもらい、この「言葉」を今度は私自身がどう「聞く」のか、ということが課題になりました。
―――まさにフランスに行って時間をかけて調査をしたからこそわかったことですね。先生が研究する上で大切な道具はありますか。
研究道具はフィールドノートです。フランスで調査していた際のフィールドノートには、インタビューのメモや起こった出来事、会った人の連絡先など何でも残してあります。調査フィールドが複数あったので、付箋で色分けをしていました。私の場合は研究計画や論文の章立てなども一緒にこのノートにまとめていました。私は図や表にして書く方が理解しやすいので、なるべく紙に書くようにしていました。
東京外大
―――先生が思う東京外大の魅力について教えてください。
東京外大は、自分の興味のあることをじっくり追求しようとする学生さんの集まりだと思います。そういう環境で学生生活を送りたいという方には、天国だと思います。とにかく、みなさん真っ直ぐでよく勉強しますね。もう少し「不真面目」になってもいいのでは、と思ってしまうくらい(笑)。そして研究という観点からいうと、東京外大で専攻言語を鍛えるというのは、後に研究者になる学生さんにとってはすごく重要だと思います。例えば私の後に続くような、フランスの社会学で移民研究を専門とする学生が、今はほとんどいません。それにはひとつは言語の壁があると思います。フランス語で研究書を読み、現地でインタビュー調査をしながら研究を進めるとなると、やはりフランス語を鍛える、地域について専門的に知るということが必要だと思います。それだけのフランス語力や知識を、日本にいながら学部でつけられる場所というのは本当に限られています。どこかの地域をフィールドとして地域研究をしていきたい人、専門地域や専門言語を持って仕事をしたい人にとって東京外大は非常に良い環境だと思います。
―――学生に読んで欲しいと思う本を紹介してください。
私が学生だった時に読みたかったと思う本として、『問いからはじめる社会運動論』(有斐閣、2020年)を挙げたいと思います。五名の共著で著者は若手の研究者が中心なのですが、どのように研究テーマに出会い、膨れませてきたかというプロセスを追って書いている本です。通常私たちが読む論文は出来上がった状態の研究を見せるものですが、この本ではその前の状態の研究を読むことができる、という点が面白いと思います。学生や研究者が悩んで、立ち止まって、また振り出しに戻って・・・というプロセスを知ることができます。研究者を目指している学生や、しっかり研究をしたいという学生にはすごくおすすめしたいです。社会学的な物の見方という点では、『裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版、2017年)をおすすめします。この本は、社会学的な分析が入っていないので、比較的簡単に読めるのですが、読んでいるうちに、社会学的な物の見方を感覚的に理解することができます。
―――最後に学生へひとことお願いします。
就職して社会に出た後、もしくは院生として進学した時にも、自分の身を守って欲しいと心から思います。最近では就職したての若い人が命を絶ってしまうというニュースを耳にします。本格的に労働者として資本主義社会に出る前に、労働法や労働者の権利についてじっくり学ぶ機会をぜひ持って欲しいです。東京外大にも労働社会学の授業がありますので、ぜひ受講してほしいと思います。あとは、少しでも辛いと思うことがあったら、教員や友人、専門家に相談してほしいと思います。私も特に留学先での博士課程では、周りの人たちの助けがあって、やっと博士論文を完成することができました。東京外大には学生相談室やたふさぽもありますので、ぜひ利用して欲しいと思います。
インタビュー後記
今回は私が所属するゼミの指導教員である、田邊佳美先生にインタビューを行いました。普段は聞けないプライベートや学生時代のお話を聞けることができ、とても新鮮でした。印象に残っているのは、先生は初めからフランスに強い興味を持っていたわけではなく、大学院在学中に先生に「フランス語ができるのだからフランスのことを研究しなさい」と言われたことがきっかけでフランスをフィールドに研究をするようになったというエピソードです。ある意味偶然でフランスを選んだわけですが、その後フランスに8年以上居住し、調査活動を行うことになったので驚きです。私も卒業論文でインタビュー調査を行いましたが、先生のお話を聞いて改めて現地に赴き、当事者の話を聞くということの重要さを実感しました。今回はインタビュー取材にご協力くださり、ありがとうございました。
長谷部 結衣(国際社会学部東アジア地域4年)