卒論は「通過点」。残された課題と理論への飢えを胸に大学院へ
~李儒理阿さん(学部⇒博士前期1年)×青山弘之教授 対談~
外大生インタビュー

コロナ禍や対象地域であるイランの政情不安による渡航制限や、学内に専攻のないアゼルバイジャン語の壁。数々の困難に直面しながらも、歴史の周縁に置かれた「農民」の姿を追い求めた李儒理阿さんの卒業論文は、国際社会学部賞という形で結実しました。しかし、彼女にとってその成果はあくまで一つの「通過点」に過ぎません。学部時代の恩師・青山弘之教授との対話を通じて、李さんが本学での学びを通じて何を考え、いかにして不透明な社会を生き抜くための「知的体力」を養ってきたのかを探ります。
【対談者】
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青山弘之教授 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。専門は中東政治、シリア地域研究。
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李 儒理阿(り じゅりあ)さん 東京外国語大学大学院博士前期課程1年(HIPS)。国際社会学部中東地域・ペルシア語専攻卒業。学部卒業論文「イランの政治運動における農⺠の役割:アゼルバイジャン⺠主党との関係を中⼼に」で国際社会学部賞を受賞。
自分の中の違和感を「研究の熱源」に変える
青山教授 僕が東京外大に入った時の動機は、実は少しひねくれていて、「誰もやっていないこと」をやりたかった。最初はヒンディー語を狙って落ちて、一浪した末に「修得が一番難しいと言われているアラビア語をやってやろう」と決めたのが、ぶっちゃけた理由なんです。でも後から振り返ると、中学の頃に観た『砂漠のライオン』というリビアの独立闘争を描いた映画に心底ハマっていたり、中東への関心の種は自分の中にあったんだなと思います。李さんは、最初からペルシア語を志していたとのことですが、何かきっかけはあったのでしょうか。
李さん 高校時代に岡田恵美子先生の『言葉の国イランと私: 世界一お喋り上手な人たち』(平凡社)を読んで、「イラン人って面白そう」と思ったのがきっかけでした。私は中国で育ったハーフなのですが、本から伝わるイラン人の情緒の激しさや、詩を愛すること、プライドの高さなどに、どこか「中東の中国人」のような近さを感じたんです。実際はどうなんだろうという好奇心が、国際社会学部で中東を専攻する決め手になりました。
青山教授 そこから、なぜイラン北部のアゼルバイジャン地域の自治運動という、さらにニッチなテーマに踏み込んでいったのですか。
李さん 学部での学びを進める中で、自分自身が日本と中国のハーフであるというルーツから、「国境」や「ネーション」という概念に対してずっと違和感を持っていたことに気づきました。「日本人とは何か」「中国人とは何か」という問いが、次第に民族運動や自治運動への関心という形の問題意識に変わっていきました。最初は東トルキスタンの独立運動に興味を持ったのですが、フィールドワークの安全性や自分の専攻言語であるペルシア語を活かすことを考え、同時期(1945年)に同じくソ連の影響があった「アゼルバイジャン自治運動」へと対象を定めていきました。
青山教授 自分の中の「モヤモヤ」を学問的な問いに昇華させたわけですね。僕のゼミや他の授業での対話は、その「問い」を研ぎ澄ませるのに役立ちましたか。
李さん はい。私は性格的にせっかちなところがあるのですが、青山先生のゼミはリズムが良く、リサーチクエスチョンなどがトントン拍子に決まっていったのがとても心地よかったです。また、東京外大のゼミは専攻語の縛りがないので、アラビア語専攻の学生が全く違う地域の話をしていたり、トルコ留学帰りの学生と「アゼルバイジャン語とトルコ語のここが似ている」といった話をしたりと、多様な視点に触れることができました。
青山教授 李さんは学部の頃から、大学院のゼミにも積極的に顔を出していたよね。
李さん そうですね。自分一人の頭で考えている「モヤモヤ」を言語化するには、誰かとの対話が不可欠でした。現在は大学院の同期と、授業の後にオンラインで議論の延長戦をすることもあります。対話を通じて「ここが共通している」「ここが違う」と確認し合い、自分の思いを積極的に言語化していく中で、読むべき本が見えてきたり、問いがより鮮明になったりしています。自分から図々しく門を叩けば、それに応えてくれる先生や仲間がこの大学にはいる。その環境が、私の研究を支える熱源をさらに強くしてくれたと感じています。
資料の限界から芽生えた理論への渇望
青山教授 研究には必ず壁が立ちはだかるけれど、李さんの場合は、コロナ禍やイランの政情不安という大きな壁がありましたね。さらに、大学に専攻がないアゼルバイジャン語に独学で挑んでいます。僕が学生の頃は、誰もやっていないシリアという地域に深く入り込み、アラビア語を武器にしたことで、「これほど深く関わっている日本人は他にいない」と先生に背中を押されて研究者への道が開けました。李さんは、それらの壁をどう乗り越えましたか。
李さん 一番のフラストレーションは、やはりコロナ禍や情勢の関係でイランへ調査に行けなかったことです。その代わり、日本にいながらできることとして、アゼルバイジャン民主党の機関紙といった一次史料の解読に没頭しました。ただ、当時の新聞のスキャンデータはインクが薄くて判読不能な箇所が多く、本当に地道な作業でした。そこで私は生成AIを補助的に使い、「この前後の文脈で欠けている2文字には何が入るか」を推測させるといった方法を取りました。AIの提示する複数の案から、自分の語学知識と照らし合わせて最も納得のいくものを選ぶというプロセスは、言語習得の重要性を再認識する機会にもなりました。
青山教授 それは面白い試みですね。単にAIに頼るのではなく、あくまで自分の知見を最終判断にする。そうした「言語を操り、情報を精査する力」は、将来実社会の課題に切り込む際にも大きな武器になるはずです。膨大な情報から論理的な解を導き出し、体系的にアウトプットする能力は、学問の世界だけでなく、どんな仕事でも通用する汎用的なスキルだと思います。
李さん そう言っていただけると心強いです。卒業論文では、党の機関紙という限られた資料に頼らざるを得ず、抽出された言説にはどうしても党のバイアスがかかってしまいます。そのフィルターを通して、当時の農民の生活実態という「生の声」を客観的に捉えることの難しさを痛感しました。そこで修士課程では、より多方面の資料を駆使することで、同じ運動の中で「女性解放」をめぐる言説がいかに構築され、それが一体誰のために語られたものだったのかを明らかにしたいと考えています。
青山教授 資料の限界に気づけたこと自体が、学問的な大きな進歩だと思います。李さんは、署名者リストの人数をエクセルで管理するといった泥臭い調査をやり遂げていましたね。純粋な歴史学の手法を土台にしながらも、そこに現代的な理論をどう接合させていくか、その模索が今の大学院での研究につながっているのでしょうか。
李さん はい。資料の不足やバイアスという困難に直面するたびに、単に事実を掘り起こすだけではなく、それをどう理論的な枠組みで説明し、客観性を担保するかという課題が突き付けられました。自分の持っている「違和感」を確かな知性に変えるためには、もっと強固な理論の土台が必要だという気づきが、自分の中に芽生えていきました。
通過点としての「卒業論文」
青山教授 李さんは、アゼルバイジャン民主党の機関紙を読み解くという非常に困難な作業を経て、見事に卒業論文を書き上げました。その成果は高く評価され、国際社会学部賞にも受章しました。実際に書き終えた瞬間、どのような達成感がありましたか。
李さん 正直に言うと、大きな達成感に浸るというよりは、あくまで「通過点」だという感覚が強かったです。書き終えたことで、逆に自分の研究に足りない部分がはっきりと見えてきました。主要な史料として扱った政党機関紙のバイアスをどう相対化するか、その「物足りなさ」を埋めたいという思いが、修士課程への進学を後押ししました。学部4年間だけでは純粋に勉強する時間が足りない、もっと詳しく書きたい、という渇望がありました。
青山教授 その渇望が、今の大学院での精力的な学びに直結しているわけですね。
李さん はい。現在は大学院で、中東という枠にとらわれず、より広い歴史学の理論や公共圏の理論を学んでいます。学部時代に感じた「理論への飢え」を埋めるべく、今はマルクス主義や『資本論』の解説書、サバルタン研究、そして公共圏の理論など、多岐にわたる本を貪欲に読み漁る毎日です。読みたい本が多すぎて、時間がいくらあっても足りないと感じるほど、知的な刺激に満たされています。
青山教授 最近では珍しいほど「もっと知りたい」という熱意に溢れている姿は、周囲の学生にとっても、そして僕らにとっても一つのモデルケースに見えますよ。
不透明な時代を生き抜くための知的体力
青山教授 李さんは現在、大学院でさらに専門性を深めていますが、一方で将来のキャリアについても着実に準備を進めていると思います。研究一辺倒になるのではなく、ドイツ語の学習やインターンシップへの参加など、社会との接点を常に持とうとしていますね。ただ、専門的になればなるほど、いわゆる「オタク」的な閉じた世界に入ってしまい、社会への適応が難しくなるのではないかという懸念を持つ学生も多くいます。李さんは、自分の学びを将来どう役立てたいと考えていますか。
李さん 私は、研究が直接的に特定の職業と結びつかなかったとしても、自分の中に「学問的な軸」を一本持っておくことが、社会を生き抜く上で不可欠だと考えています。将来、多くの人は組織の一員として「労働者」になりますが、ただ漫然と働くのではなく、自分なりの価値観や批判的な視点を持って世界を眺めることができれば、人生はもっと面白くなるはずです。極端な言い方をすれば、それは「現代の奴隷」にならないための知恵であり、自分の足で立つための力なんです。
青山教授 それはまさに「自律した個人」として社会に参画するということですね。僕自身も、かつてイスラーム主義の研究から政治学へと舵を切った経験がありますが、特定の分野を突き詰めることは、結果として世界を読み解くための汎用的な視座を与えてくれます。李さんが卒論でアゼルバイジャンというニッチなテーマを掘り下げた経験も、実は社会課題の解決に応用できるスキルを育んでいるんじゃないかと思います。
李さん はい、そう実感しています。卒業論文という一つの大きなプロジェクトをやり遂げる過程で培ったのは、単なる知識だけではありません。膨大な資料を整理する「タスク管理能力」、複雑な事象を整理して伝える「論理的な思考能力」、そして自分の知見を「体系的にアウトプットする能力」です。こうした力は、記者になるにせよ、企業で働くにせよ、どんな分野でも通用する汎用的なスキルだと確信しています。
青山教授 今の社会は情報が溢れているけれど、それを鵜呑みにせず、李さんが資料を分析したときのように「この言説にはどんなバイアスがあるのか」と問い直す姿勢は、まさに社会が必要としているものです。特定の地域や学問分野の枠にとらわれず、自らの意思で思考し続ける。大学院での厳しい訓練は、そのための「知的体力」を養う場でもあると思います。
李さん そうですね。私は、自分が抱いている「モヤモヤした違和感」を言語化したいという思いが人一倍強いんです。大学院で仲間と議論を戦わせ、自分の考えを言葉にしていくプロセスは、社会に出た後も、目の前の課題を整理し、自分なりの解を見出していく大きな助けになるはずです。これからも図々しく門を叩き続け、得られた知識を自分だけのものにせず、自由な個人として社会と対話していくための糧にしていきたいです。
(2026年6月22日収録)
本記事に関するお問い合わせ先: 広報・社会連携課 広報係 koho[at]tufs.ac.jp([at]を@に変えて送信ください)
