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能登での災害ボランティアに参加 〜中村龍さんインタビュー

外大生インタビュー

今年1月1日に発生した石川県能登地方を震源とする能登半島地震。今回のTUFS Todayでは、能登半島地震で被災した石川県七尾市でボランティア活動に参加した中村龍(なかむら・りょう)さん(国際社会学部 東南アジア地域/インドネシア語 2年)にインタビューしました。

––––能登での取り組みについて伺う前に、本学で学ぼうと思ったきっかけを聞かせていただけますでしょうか。

私は、親の転勤で、小学生の頃にインドネシアに3年ほど住んでいました。その頃からインドネシアの文化や社会に興味を持ち始め、「大学生になったらインドネシアについてもっと勉強したい!」と思うようになり、インドネシアについて深く学べる東京外大を目指すようになりました。

––––大学生活はいかがですか。

東京外大にはインドネシア語や地域を学ぶ授業だけでなく、学部独自の専門的な授業やさまざまな教養を身に着ける授業もあります。インドネシア語専攻では、入学したての頃に先生と一緒にインドネシア料理を食べに行ったり、外語祭(本学の学園祭)の打ち上げで先輩方や留学生たちと一緒に先生の家でパーティーをしたり…。みんなで仲良くキャンパスライフを送っています! また、私は音楽が好きなので、吹奏楽団に所属し、中学から吹いていたトロンボーンを続けています。6月30日(日)に本学アゴラ・グローバル プロメテウス・ホールで定期演奏会を行う予定です。また、11月末に行う外語祭や、その他にも学内でのミニコンサートを年に数回開催しています。

––––さっそくですが、今回の活動についてお伺いできたらと思います。能登でのボランティアに参加しようと思ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

1995年の阪神・淡路大震災の際、両親が被災地に訪れボランティアをしていました。今回の能登半島地震を受けて、母が被災地の一つである石川県七尾市で活動をしているNGO団体とともに活動することになり、秋学期の試験が終わった2月上旬に一緒に行くことにしました。このときの数日間がとても充実していたのと、もう少し長い期間にわたり現地にいれば、被災者の方々とより深く関係性を築けるかもしれないと思い、2月末には一人で10日間七尾へと向かいました。

左:土砂崩れや瓦礫が崩れた影響で、通行止めや車線が制限された道路が数多くあります。
右:奥能登へ向かう幹線道路の国道249号。ゴミの運搬などはこの道を使っています。

–––どのようなことを行なっているのでしょうか。

2月3日~6日に母と一緒に、2月29日~3月10日に一人で、それぞれ七尾市にて活動をしました。主な活動としては、被災した住居の片付けや災害ごみの運搬、NGOの活動拠点に届く数々の支援物資を仕分けして被災者の方々に配ったり、さまざまな施設にお届けしたりしました。また、近くの避難所にて、そこで暮らす方々の朝食の片付けや夕食の準備を手伝いました。

–––具体的にはどのような支援をしたのでしょうか。

まず、被災者の方々の家の片付けです。家の中は地震の揺れでガラスや家財で散乱したり、天井や床がはがれていたりしています。作業中に大きな余震に襲われたらどうしよう、と避難経路を考えつつ、家財の搬出やゴミ出しなどといった片付けを行いました。今回片付けに入った住宅は、東京の家々に比べとても広く、家の中には本当に数多くの家財があります。また、この地域には能登瓦や輪島塗といった伝統工芸を使ったものが多く、地震で壊れてしまったこれらの家財は災害ごみとなりますが、その搬出はとても大変です。

今回活動した七尾市では、家庭から出るゴミの回収が通常のスケジュールでしか行われていません。被災住居から出たその他の災害ゴミは、ガラスや木材、コンクリートなど十種類ほどに分別したうえで、市が指定するゴミ回収場所に持っていかなければいけません。しかし、活動拠点から七尾市指定の災害ゴミ回収所までは車で片道30-40分かかるうえ、地割れによる道路の凹凸やゴミ回収所付近の混雑も激しく、その運搬も大がかりです。

また、行政から避難所や市民に届く支援物資がかなり限られています。NGOの活動拠点は被災者への支援物資の配布場所を兼ねており、全国の民間企業から支援物資が毎日たくさん届きます。私たちは届いた物資を仕分けして拠点内に陳列する作業も行いました。また、土日になると子どもたちが遊びに来るため、子どもたちといろいろな遊びを楽しむこともありました。

片付けをした民家にあった棚。能登の伝統工芸が使われており、とても立派な棚でした。

––––北陸は寒い冬真っただ中だったのではないでしょうか。

とにかく寒かったです…。最初の夜は寒くて何度も起きてしまったり、夜に積もった雪が凍り付き、翌朝車を動かせるようになるまでに時間がかかったり…。片付けに入った家には、窓ガラスが割れて外からの冷たい風が吹き込むほか、エアコンはもちろん、電気も通っていない家もありました。私自身、今まで真冬に日本海側の地域に行ったこともなかったので、最初はとてもつらかったです。また、地震の際のゆがみで一部の扉や窓が開かなくなり、家具が散乱して通れない部屋もあると、家の外へ出るまでの動線を確保してから片付けをしないといけません。そういった場所での作業は体力勝負になってくるので、思うように作業が進まないこともありました。

しかし、さまざまな活動を行ったのですが、どの活動でも感じた辛さ以上に多くのことを学べました。ボランティアには、さまざまな被災地で支援をしてきて、どんな作業にも慣れている方も多くいました。トラックへの災害ごみを積むという一見単純な作業でも、効率よく運搬するために、パズルのように隙間なく積み込むのは容易ではありません。これもこうした経験に慣れている方に教えてもらい、次第に上手に積み込むことができるようになりました。そのほかにも、積んだ荷物を軽トラックの荷台にロープで固定させる作業や、段ボールの片付けなどはかなり速くできるようになりました(笑)。

災害ゴミの分別・運搬作業。災害ゴミの量はとても多く、処理が大変です。

––––特に印象に残っている活動はなんでしょう。

今回の活動を通じて印象に残ったことは本当にたくさんありますが、特に印象に残ったことは、被災者の方々との信頼関係が構築できたことです。3月に活動した際には、毎朝避難所に顔を出し、避難所で暮らすお母さんたちの指示のもと、朝食後の皿洗いを手伝いました。その際にご家族の話や能登のディープな話などのさまざまな雑談を交わしながら作業をしていました。また、それを重ねていくうちに、次第に被災者の方々も私たちを信頼してくださるようになり、最終的には、「今日、私の家の冷蔵庫を搬出したくて、あなたに来てほしいわ」などの新たなニーズを直接頼まれることもありました。また、最終日の朝には「もう帰っちゃうのね」「本当にありがとう。少なくとも2年は仮設住宅にいるから能登に来たら仮設住宅にもぜひ来てね。落ち着いたら能登を案内してあげる」といった声もかけてくださりました。「被災地支援」は、もちろん被災家屋の片付けや支援物資のお届けなども大切ですが、それ以上に「被災者とのコミュニケーション」によって被災者の方々の不安が少しでも取り除かれ、心が安らぐということやその大切さを、身をもって実感することができました。

––––この経験をどう活かしていきたいですか。

発災から約4ヶ月が経ちました。全国区のニュースや新聞で能登半島地震について取り上げられることが減ってきました。また、今回の震災では、行政のボランティアの受け入れ態勢が整わず、現地で活動しているボランティアの数がとても少ないです。3月に行った時点で、発災から時が止まっているかのように、片付けに着手できていない家がまだまだたくさんありました。今回の能登半島地震で、能登に入って活動した一人として、情報を追い続け、発信していこうと思います。

3月のボランティア活動を終えた後、支援物資の配布場所で被災者の方々に書いてもらっているアンケートの打ち込み作業や、仮設住宅の入居に関する情報を載せた説明資料の作成などを、現地で知り合った大学生とともに行っています。実際に能登に行けないときも、遠隔でできることをしつつ、できる限りの支援を続けていきたいです。

今回活動したNGOの拠点。ここで炊き出しや被災者の方々への支援物資配布も行っています。
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