シリーズ「東京外大って…実際どうなの?」第3回「インドネシア語専攻だけど、香港でボランティア?」
外大生インタビュー
東京外国語大学は、出願時に1つの専攻語を決める必要があります。実際、入学後はまずその言語や地域を中心に勉強しますし、留学先やゼミ選択でも専攻語や専攻地域に関係した場所を選ぶ学生が多いように思います。ですが、学生全員がそのような選択をするわけでもありません。今回インタビューをした中村情奈(なかむらなな)さんは、インドネシア語専攻ですが、ボランティアでウクライナや香港、台湾に行き、中国歴史研究ゼミに所属しています。
専攻語や専攻地域とは違う場所に行きたい、学びたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか? 今まで経験してきたことに沿ってお話をしていただきました。
インタビュー対象者:
国際社会学部東南アジア第1地域/インドネシア語3年 中村情奈(なかむらなな)さん
インタビュー担当:
国際社会学部東南アジア第2地域/ビルマ語4年 山本哲史(やまもとさとし)さん(広報マネジメント・オフィス学生取材班)
記事執筆担当:
言語文化学部ドイツ語4年 太田愛美(おおたあみ)さん(広報マネジメント・オフィス学生取材班)
東京外大に入学して良かった
―――はじめに、本学のインドネシア語科を志望した理由について教えてください。
私は1年浪人しているのですが、現役の時も浪人の時も後期日程試験で東京外大のインドネシア語専攻に出願しました。私立大学や国立大学の前期日程試験では経済学を学べるところに出願していました。お金の流れが勉強できたら世界の経済格差を是正する何かになれるんじゃないかという大きな野望がありました。
東京外大の後期出願を決めたのは、高校現役時代お世話になった先生に相談して勧められたのがきっかけです。元々東京外大に憧れはあったのですが、英語が苦手でしたし経済学部で学びたかったのもあって、前期出願はまったく考えていませんでした。でも、その高校の先生に「日系企業が多く海外進出しているから、最終的に商社や銀行に行きたいんだったら東南アジアの言語を取っておくといいと思うよ。インドネシア語とかいいんじゃない?」とアドバイスを受け、出願することにしました。
―――先生から勧められて、本学のインドネシア語専攻に出願したんですね。では、実際に入学してみて、本学に関して感じたことやギャップなどはありましたか?
入学後に感じたことはいろいろありますが、何よりも思うことは、東京外大に入学して良かったということです。東京外大に入ってからも経済学などの授業も履修してみたのですが、やってみた結果、合わなくて(笑)。自分は数字を扱うのに向いていないと気づきました。あと、東京外大生は皆、とても真面目ですよね。専攻言語の勉強にしても、語学って努力の積み重ねが必要じゃないですか。私は浪人時代、英語や世界史など、勉強して知識を積み重ねなければいけないタイプの教科が苦手だったんです。でも、東京外大生はそういう受験を乗り越えてきているから、努力してきた人たちなんだなと思いました。そういう人たちと同じ大学に入れて良かったです。
―――ショートビジット(短期海外留学)には行かれましたか?
はい。1年生の夏学期にインドネシアに2週間半くらい行きました。
―――その時のお話をうかがえますか?
インドネシアには縁もなく入ったので、行く前は愛着もなかったのですが、行ってみたらとても楽しくて。自分の習っている言語を話している人たちがいるって想像するのがなかなか難しいじゃないですか。実際にその言語で生活している人たちがいるんだということを知ることができて良かったです。インドネシア語を学修するモチベーションも上がりました。
―――ショートビジットでの経験が、心境が変わるきっかけになる方は多いですね。またインドネシアに留学したいと思いましたか?
かなりポジティブな気持ちだったと思います。でも、長期で行くことはあまり考えていなかったですね。どこかに1年間留学したいとは思っていましたけど、インドネシアかどうかはその時点では決めていませんでした。
ボランティアでさまざまな地域に
―――そうなると、どうして1年間香港に行こうと思ったのでしょうか? きっかけはありましたか?
香港へは留学ではなく、ボランティアで行きました。母親がボランティア団体に所属していて幼少期からその活動をみていたので、私も国際支援に興味がありました。
ボランティア先から割り当てられたのが香港でした。自分で決めたわけではないのですが、香港は行く前から楽しみにしていましたね。というのも、結構早い段階でインドネシア語に挫折してしまって(笑)。あとは、入学時から英語があまりできないので、英語をもっと使えるようになりたいと思っていました。専攻言語とまったく違う国に行って、心機一転、別のことをしてもいいかなという気持ちもありました。
実は、短期のボランティアで、1年生の夏に2週間くらいウクライナに行きました。その時に、2週間じゃ「お客さん」で終わってしまうと感じて、もっと腰を据えて長い期間ボランティアをしたいと考えました。1年間くらい休学してボランティアに行ってもいいかなって。東京外大生は留学を考える人が多いと思いますが、インターンやボランティアもありだなと。
―――ボランティアでウクライナですか。どういうことをされたんですか?
ウクライナでは、チェルノブイリ原発事故の影響が被爆3世にまでわたっているんです。でも、現状そういう人たちに十分な支援がおこなえていません。私の所属している団体が支援をしている人たちに実際に直接会ってお話をする機会がありました。そのほかには、当時、ウクライナとロシアの国境付近ではすでに戦争が始まっていたので、避難している東方難民の人々に会って、折り紙を一緒に折ったり一緒に歌ったり、少しでも楽しい時間を過ごしてもらえるような活動もしていました。
―――貴重なお話をありがとうございます。東京外大生と話しているといろいろな経験を聞くのですが、その中でもなかなか聞いたことのない話で興味深かったです。話を香港に戻しますね。香港には、いつ頃ボランティアで行かれたのですか?
香港には、2年生のときに1年間休学して行きました。最初の1か月はボランティアの事前研修に行き、香港に渡航したのは5月末頃です。香港は11月末くらいまでいたのですが、ちょうどその頃デモが1番ひどい時期でした。ボランティアの本部の提案もあり、11月末に台湾に移動し、3か月くらい活動をして日本に帰国しました。
―――香港ではどのようなボランティア活動をされていたのですか?
現地では、イベントの企画・運営が多かったです。香港の学生たちと一緒にイベントをしながら、価値観を共有したり、香港にとって必要なことやものは何か考えたりしました。
―――そのイベントの中で印象深いことはありましたか?
日本文化の企画をしてほしいと言われて、日本のお祭りを再現するのにお餅など食べ物をメインに出してみたら、香港の方から、「それ、ジャパニーズカルチャーじゃなくて、チャイニーズカルチャーじゃないの?」と言われたことがありました。日本文化って何だろうと考えさせられましたね。また、南アジアや中央アジアからの留学生はムスリムだったので、原料について聞かれてこともあります。いろいろなルーツをもつ方が香港で暮らしていると再認識しました。
―――滞在中にデモがありましたが、ボランティア活動に影響はありましたか?
地下鉄が止まったり、大学の中にデモ隊が立てこもって警察と衝突したことで校舎が破壊されてしまったり、ボランティア活動にもだいぶ影響がありました。移動自体が危ない時期もあり、人が集まれないこともありました。そういうときはオンラインで活動をするなど、できることをしていました。
―――現地でデモを見たり、学生たちが大学に行けなくなってしまったりした状況を間近で見て、どのように感じましたか?
これに関しては、言葉にするのが難しいですね。さまざまな面で、いろいろな思いが湧いてくる状況でした。ショックが大きかったのは確かです。自分と変わらない年の子たちが、政治的な問題について立ち上がっているのを見てすごいと思いました。それに対する警察の対応が本当にひどかった。人に向かって催涙弾を発射したり、女の子に馬乗りになって警棒で殴ったりしている映像をよく生放送で目にしていました。「こんなことってあるんだ」と思いましたね。日本の私たちの世代は、戦争と結構遠いじゃないですか。話としても抽象度が高いけど、目の前で起きていることをみると、こんなに人って残酷になれるんだと思いました。こんなことが香港だけじゃなくて、世界中で起きていると思うと衝撃というか、ショックでしたね。
―――僕もミャンマーのことを勉強しているので、その気持ちはとてもわかります。やっぱりショックですよね。僕の場合、留学した際に知り合った現地の学生同士が政治的な問題で立場が分かれて、文字通り絶交になることもあったのですが、香港でもありましたか?
相当ありました。私は日本人なので、良くも悪くも部外者でしたが、周りの子たちは当事者なので、常にそういう話しかしていなかったような気がします。香港の民主派は一枚岩じゃないので、スタンスの違いや、生まれた背景によっても対立が起きていました。友達同士で絶交とか、家族の場合だと別居などが常にあって、当時多くの人が多かれ少なかれつらい経験をしていたと思います。
―――途中から台湾に移られたとのことですが、台湾でのお話もお聞きしたいです。
やっていた活動は香港にいたときと似たようなものです。ボランティアの支部が台湾にもあるので活動はそのまま出来たのですが、英語が通じないところに行ってしまったので、中国語を少し勉強しました。大学生は英語を話せる人もいたので大学生同士のコミュニケーションはとくに問題なかったのですが、やっぱり言語って大事だなと痛感しました。
―――中国語はどういう手段で勉強されたんですか?
ボランティアも最後の3か月だったので、やりきらなきゃという気持ちになっていました。ボランティアの運営側もいろいろなことを経験させてあげたいと考えてくれていたので、実際にボランティア活動をする時間が多く、語学学校に行くなど時間を作って机に向かって勉強をする機会はあまりありませんでした。寝る前に動画を見たり、参考書を買って自分でやってみたりするくらいでした。でも、覚えたものをその場で使える相手がいるのは良かったです。
興味があるものを能動的に選択できるように
―――現地での生活やボランティア活動を経て、心境の変化などはありましたか?
インドネシア語も引き続き履修しましたが、より中国語や広東語に惹かれるようになりました。あと、デモの経験が自分の中で大きかったので、民主化運動や中国と香港や台湾などの地域の関係性や社会に興味を持つようになりました。勉強をする対象がガラッと変わりましたね。ゼミも倉田明子先生の中国歴史研究ゼミに入りました。
心境の変化としては、さらに真剣に勉強に取り組むようになったことだと思っています。専攻する言語をインドネシア語にしたのはなんとなく決めたものでしたが、香港は実際に行って興味を持ったので、ゼミの選択にしても授業の選択にしても、本当に興味のあるものを能動的に取れるようになりました。今は楽しく勉強できていると感じます。
―――実際に自分の目で見たり、経験したりしたことがモチベーションにつながることが多いんですか?
そうかもしれないです。あと、帰国してからゼミ選択ができたので、2年生のタイミングで香港に行けたのも良かったです。国際社会学部は2年生の春にはゼミを選択する必要があるので、長期留学に行く人たちは、ゼミ選択が終わって3年生の途中から海外に行くことが多いですよね。私みたいに実際に経験をして興味を持てるようになるタイプの人は、イレギュラーではあったけど2年次に休学するのもありだと思います。
方向転換も悪くない
―――中村さんは、専攻地域から離れた領域のゼミで学ぶことになったと思うのですが、東京外大生の中には同じようなことを考えて悩んでいる人もいると思います。専攻言語・地域から離れた学びを考えている人に対してアドバイスはありますか?
私の場合、東南アジアと東アジアは人の行き来もある地域なので、すごく研究分野が離れているわけではないんです。東アジアと東南アジア世界を多面的に見られるきっかけになったと思っています。インドネシアの勉強も無駄になっていません。例えば、インドネシアでも政治的な対立が激しかった時代があって、今の香港のデモと必ずしも別物というわけではありません。たとえ地域が全然違ったとしても、似たような事象は地球上どこにでもありうるので、何かでつながってくるかもしれない。ここまで勉強してきたし、新しいことに方向転換するのはもったいないと思う人も多いかもしれませんが、本当に興味のあるものが別にあるのなら、元の勉強とつながったらラッキーくらいの気持ちで、方向転換するのもありだと私は思います。その方が結果的にモチベーションも上がりますしね。
―――ありがとうございます。東アジアと東南アジアを多面的に見られるようになったというお話は、東南アジア地域専攻の自分への叱咤激励のように感じました。歴史的にも東南アジアと深い関係にある東アジア、特に中国についてはきちんと学んでいこうと思います。ここまで、大学でいろいろな学びをされていると思うのですが、将来像や進路など考えていることはありますか?
いろいろな方向転換があった結果、とりあえず何をやってもどうにかなるとわかったことは自分の中で大きいです。どこに行っても生きていけそうだなと。将来は、抽象的なものになってしまうのですが、場所にしろ、言語にしろ、物事に縛られない生き方をしたいと思っています。大学を卒業して就職してって流れじゃない生き方もありなんだなというのが、インドネシアやウクライナ、香港、台湾での生活を通じて実感できたことの1つでもあるので、より主体的に自分のやりたいこと、やるべきことを選択できるようになりたいです。
選択することをためらわないで
―――最後に、受験生にアドバイスをお願いします。
東京外大は、出願時に地域や言語を選ばないといけないですよね。それって人生の1つの選択のように感じるかもしれません。でも、入学してみたら私みたいに方向転換も可能だし、勉強したい言語はほとんどなんでも勉強できます。私はインドネシア語から中国語をやりたいと思っても学べる環境があったし、専攻語とは離れた領域のゼミでも選択できました。そういう環境なので、東京外大に行きたいと思ったら、とりあえずでもなんとなくでもいいから地域と言語を選んで受けてもらえると嬉しいなって思います。選択することをためらわないで欲しいです。
―――貴重なお話をありがとうございました!
インタビュー後記
中村さんとは以前、若者を中心としたアジアの民主化運動に関するイベントでご一緒させていただきました。インドネシア語専攻でありながら香港に渡航し、中国近現代史がご専門の倉田明子先生のゼミにも所属していると聞き、どういった経緯があったのだろう?、と興味を持ったのが今回の企画の始まりでした。ご協力いただきありがとうございました。中村さんのお話にあったように、とくに国際社会学部はゼミ選択が2年次の春であり、自分の専門について考える機会になる一方、大いに悩むのも事実です。一方で中村さんは、直接現場に赴き見聞きしたものから必ず何かを感じとり、そこから自身の興味や関心を形作り、専攻語の地域から離れることもいとわず果敢に挑戦されている印象を受けました。話を伺っているこちらが励まされるような、そんなインタビューでした。
本シリーズは今回で3回目となりました。予定では、第5回をもって終了となります。残り2回も引き続きお読みいただきますよう、よろしくお願いいたします。
取材担当:山本哲史(国際社会学部東南アジア第2地域/ビルマ語4年)
編集後記
はじめに、中村さん、インタビューにご協力してくださりありがとうございました。留学ではなく、ボランティアで海外に行った経験を聞くことは初めてだったので、とても貴重な時間でした。現地で実際に体験したことをきっかけに、自分の学びたい方向が定まったというお話をする中村さんはとても生き生きとしていて素敵でした。たしかに、東京外大は進路を決める段階で専攻語を1つ選ばなければいけません。しかし、実際に入ってみたら専攻語以外の言語を勉強したり、専攻地域以外のことを勉強したり出来る環境があります。また、長期留学や休学、ボランティアなど、やりたいことに挑戦するための選択肢の幅が広いことも東京外大の魅力の1つだと改めて感じました。
取材担当:太田愛美(言語文化学部ドイツ語4年)