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現場の声を伝える 〜二人の卒業生ジャーナリスト〜 平野高志さん・田中正良さん対談

世界にはばたく卒業生

2023年10月28日(土)に開催された東京外国語大学 建学150周年記念式典において、本学出身の2人のジャーナリスト、平野高志さん(ウクライナ・ウクルインフォルム通信)と田中正良さん(NHK)が対談しました。今回のTUFS Todayでは、その対談内容の一部をご紹介します。

平野高志さん(以下、「平野」)

鳥取県出身。2004年、東京外国語大学外国語学部ロシア・東欧課程ロシア語卒業。2013年、リヴィウ国立大学修士課程修了(国際関係学)。2014年から在ウクライナ日本国大使館専門調査員、2018年よりウクルインフォルム通信日本語版編集者。ウクライナのキーウ在住。

田中正良さん(以下、「田中」)

東京都出身、千葉県育ち。1992年、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。日本放送協会(NHK)に入局。横浜放送局、報道局国際部、ナイロビ(海外派遣)、パリ支局、上海支局、中国総局(北京)、ワシントン支局に特派員として駐在、2016年よりワシントン支局長。2018年より「ニュース7」編集責任者を担当、国際部専任部長。2021年より「ニュースウオッチ9」のメインキャスター、記者主幹。

司会:中山俊秀副学長(以下、「中山」)

10月28日に行われた式典における対談の様子

東京外大を志したきっかけ

中山 :お二人で対談いただく前に、本学との関わりの点を少しお伺いできたらと思います。まず、どのような経緯で本学へ進学したのでしょうか。

平野 :父が高校の地理教師で家にいろいろな国の本がありました。高校生の頃、それらの本の中からウクライナに興味を持ち、ウクライナのことをもっと知りたいと思いました。東京外大にウクライナ語を教えている先生がいるということを知り、ウクライナ語専攻がなかったのでロシア語専攻に進学しました。

田中 :幼い頃からどこか未知なる世界に行ってみたいという「遠く」への憧れがありました。自分の世界が狭かったからだと思うのですが、昔から遠い世界に憧れる癖がありました。当時中国は、天安門事件(1989年の)が起きる前の素朴に感じられた時代で、NHKラジオ講座で中国語を学んだり中国の写真などを見たりしているうちに関心をもち、東京外大の中国語を志望しました。

中山 :どのような学生時代を過ごされましたか。

平野 :書籍や論文などでいろいろなことを勉強しました。ロシア経済が専門の鈴木義一先生や開発経済学が専門の田島陽一先生のゼミで卒業論文の準備をし、中澤英彦先生の授業でウクライナ語を学びました。地方から出てきた私には東京がまず未知の世界でしたが、友人たちとの触れ合いや先生からの学びで世界を広げていくことができました。長期休みにはウクライナやいろいろな国を旅行しました。若くて時間もたくさんあり、大学を通じて視野を最大限に広げることができました。価値のある思い出です。

田中 :在学中、海外にも出てみたいと思い、ベルギーに2年間滞在しました。私が専攻していた中国語でも英語でもない国でしたが、恩師であった輿水優先生に相談をしたところ、背中を押してくださいました。今の私の形を作っていただいたと思っていて、感謝の気持ちでいっぱいです。

前方左端が田中さんの学生時代。国際法ゼミの斎藤恵彦先生と仲間の写真(1992年3月)

ウクライナの様子

田中 :平野さん、お久しぶりです。「ニュースウオッチ9」の担当になってから2回ウクライナを訪れまして、平野さんとは、今年の2月24日のウクライナ侵略から1年というタイミングに、キーウでお会いしました。平野さんは、ウクライナに滞在されて何年くらいになるのでしょうか。

平野 :15年になります。

田中 :今、世界の目が中東の方に向いていますが、ウクライナのこともみなさん心配されていると思います。最近のキーウの様子はいかがでしょうか。

平野 :キーウに関して言えば、今月に入ってからの空襲警報は3・4回のみですが、ハルキウなど南部では毎日のように警報が鳴っていて、ロシアからのウクライナへの攻撃は続いています。

平野さん。ミサイル着弾地点の視察(2023年8月)

田中 :キーウの皆さんが今一番気にかけていることは何ですか。

平野 :戦争の行方だと思います。この冬を乗り切れるかももちろん心配ですが、その点に関しては、自分たちの努力で乗り切れるという思いがあります。一方、戦争がどのように終わるのかは見えてきません。反転攻勢もこの先何年になるのか、中長期的な不安があると思います。

田中 :私は短期間ウクライナに滞在しただけですが、防空警報がなると、ストレスはかなりのものでした。ロシア軍による侵略が始まって1年8ヶ月になりますが、そのストレスが積み重なっているのではないでしょうか。

田中さん(左)、ウクライナのキーウでクリチコ・キーウ市長インタビュー後(2022年5月)

平野 :クリミアが占領されて、東部に攻め込まれたのが2014年。ウクライナの人たちは、ロシアに攻め込まれてから10年間が経過していると考えています。ウクライナの人と国外の人との感覚の違いの一つですね。昨年の2月24日に全面的な侵攻に変わりましたが、この10年、ロシアの侵略意図は変わっていません。これを変えないことには根本的な解決はないというのがウクライナ人たちの思いです。侵略の対象となり続けて10年間、これを解決できないのは大きなストレスだと思います。

キーウ被害(2022年11月)

ウクライナから情報発信

田中 :平野さんは、現在、国営のウクルインフォルム通信で日本語で情報発信するための取材や編集をされていますが、日本語チームはどのくらいの体制なのでしょうか。

平野 :日本語チームは私1人ですが、何十人もいる弊社所属の記者の情報をもとに記事を書いています。1日に大体10本くらい記事を書いています。大きな事件があったとき、例えば昨年の2月24日は、通常の3倍ぐらいの30記事を書きました。重要なニュースがあれば休みであっても朝から晩まで仕事をしなければならないのが1人体制のつらいところではありますね。

田中 :ウクルインフォルム通信で働きたいと思ったきっかけがあるのでしょうか。

平野 :2014年のロシアによるクリミア占領や、ドンバス地方への侵攻当時、ウクライナからの情報が届かず、ロシアの情報ばかりが発信されていました。そのため、侵略された人たちの考えや気持ちが伝わっていないという問題がありました。現地の情報と日本に伝わっている情報にも乖離があり、当時私は大使館に勤めていたのですが、ウクライナからもっと情報発信をしなければいけないと感じていました。そのような時に大使館にウクルインフォルムの総裁から日本語での発信をするための適任者を紹介してもらえないかとの相談があり、そこで私は大使館との契約が終わった後に、そちらで働くことを決めました。

平野さん(右から2番目)、大使館勤務時代。大使と大臣の通訳

戦争の行方

田中 :平野さんは、ウクライナはもちろん、学部時代はロシア地域を専攻されていて言語的文化的にも造詣が深いと思いますが、この戦争の行方をどうご覧になりますか。

平野 :ウクライナの人たちがまだまだ領土を最後まで奪還し続けると言い続ける限りは、この戦争は終わらないと思いますし、ロシアがこの辺でやめたいと言ってもウクライナがやめたがらなければ終わらない。ウクライナには続ける権利があると思います。自分の領土を取り返すのであって、それは自衛権の範囲です。占領されている領土には人がいて、そこでその人たちが待っている。その人たちのことを思ったらそう簡単にはやめられない。2015年のときにロシアとの間で結んだ停戦合意はロシアによって破られて侵略が始まりましたし、ロシアが力を改めて蓄えてしまったら、また、同じことが起こってしまいます。ウクライナ人たちの思い、士気の高さ、そして願望は今のところ小さくなっていないと思います。

ハルキウ被害(2022年10月)

田中 :現在、中東でもイスラエル・ハマスの戦闘が勃発しております。アメリカでは議会が大混乱していますし、大統領選挙も来年に控えています。支援の継続といった点でも、いろいろな変数がありますが、ウクライナの戦争が続く中で、日本はそれなりの支援をしてきていると思います。ウクライナの方々は、日本にどんなことを期待していると思いますか。

平野 :まず日本に対する感謝は非常に大きいと思います。アジアの中では間違いなく一番感謝されていると思います。日本は、2014年のときにもたくさん支援をしました。日本の当時の政権はロシアと仲良くする政策をとっていましたが、現政権はそれも大きく変えました。ウクライナに寄り添う支援をしているということを、ウクライナ人たちはとても強く感じていると思います。期待という点では、日本は技術大国なので、日本の技術を戦後の復興に役立てたいと思っているようです。地雷除去についても日本の技術に期待しているのではないかと思います。他方で、ウクライナ人たちにとって理解に苦しむのは、例えば防空システムのような人の命を守るものも供与してくれないことだと思います。日本では、防空システムのミサイルに弾薬が入っているので「殺傷武器」と整理されてしまっています。しかし、それはウクライナの人にとっては人の命を守るためのものであって、それを共有してくれないのは何でだろうとなかなか理解できない。ウクライナの人の思いが日本の人に伝わっていない部分じゃないかなと私は思っています。

田中 :ところで、本日、見せたいものがあって準備していただいたものがあると伺いました。

平野 :こちら、キーウで行われた慈善マラソンの景品なのですが、薬莢(やっきょう)で作ったメダルです。慈善マラソンとは、マラソン参加者の人たちが参加費を払い、その参加費をウクライナ軍の装備品や軍用車を購入するための費用に充てることを目的に開催しているマラソン大会です。その参加者に対する参加賞のメダルが、この薬莢になりました。今日これを持ってきたのは、ウクライナの雰囲気がよくわかると思ったからです。マラソンをするだけの安定が、少なくともキーウには確保されている。軍を支援するための慈善イベントとして開かれている。そして、そのときの景品として出てくるのは、この薬莢。ウクライナの今の現実をとても象徴的に表しているものじゃないかなと思い、今回これを持ってきました。

慈善マラソンの景品だった薬莢で作ったメダルを見せる平野さん

田中 :キーウ、それからウクライナの現場感がありありとわかるお話でした。本当に東京外大の同窓生として、こんな大変なところで頑張ってるっていうことを大変誇りに感じました。ぜひまたキーウで、お話を聞かせていただければと思います。

東京外大に期待すること

中山 :最後に、お二人に2点お伺いできればと思います。まず1点目ですが、世界ではさまざまな難しい問題が起きていたり、あるいは世の中が大きく変化したりしていますが、そのような時代に東京外大で培われた力がどのように生きていると感じますか。

平野 :私の問題意識の始まりは、2014年のクリミア占領にあります。そのときにロシアからの情報が日本の情報空間に多く流れ込みました。その中には偽情報やプロパガンダも多く混ざっていたにもかかわらず、フィルターをかけることができなかった。ウクライナから発信することができる人がほとんどいなかったんですね。それを私は発信することができた。なぜできたかというと、現場からの、その人たちの言葉が大切だ、というような思いがあるからです。大使館の仕事では外務省にしか伝えることができなかった。だから、2018年にこの仕事を始めました。いずれまたウクライナとロシアの間に大きな問題が起こるだろうと思っていましたし、そのときに誰かがウクライナの人たちの声を伝える体制を作っておかなければならないと思いました。いかに現場の声を伝えることが大切か、ということに理解があった、それは東京外大のときに学んだことだと思います。

平野さん(前列右端)、ウクルインフォルムの同僚との記念写真(2023年9月)

田中 :以前、北京オリンピックや上海万博が開催された頃に、北京の中国総局と上海支局でそれぞれ2年間、計4年間勤務をしたことがあります。現地の人との会話では、言語だけではなく、そこには文化があり歴史がある。東京外大で、文化や文学も含め先生方に深く教えていただきました。小林二男先生の授業で魯迅などを読み解いたり、亡くなられた斎藤恵彦先生の国際法のゼミで社会科学の知見も学びました。中国語は会社に入ってから学ぶ人もたくさんいますが、その地域に関する深い知識、そしてその地域に対するパッションは、東京外大で学んで、とても力になったと思います。

中山 :こういう時代に東京外大にどのような役割を期待しますか。

平野 :地域研究の「専門家」になるというのは、その国、そこの文化・空間の中の声を、必要なときに必要な人にきちんと伝えるだけの文脈、言葉、背景というものを理解していることだと思います。さらに東京外大では、普遍的な学問知識もしっかり身につけられる。その地域の特殊性と、普遍的な学問の知識というものの両輪を東京外大では、学部生のときから学ぶことができる。大きな国だけではなくいろいろな小さな国についての専門家を東京外大にはこれからも育ててほしいなと思っています。

田中 :先ほど式典で放映された世界の協定校などからのビデオメッセージを見て感動しました。欧米だけでなく、アジア、アフリカからこれだけ多くのメッセージが寄せられている。このネットワークですね。ビジネスではメリットのあるなしでのお付き合いに限られてきますが、アカデミズムというフィールドの中で、とても広範な善意を持った付き合いがある。これは東京外大の「アセット」(資産)だと思います。大事にしてほしいと思います。それから、知の蓄積がたくさんあると思いますので、先生方の知見を、メディアなどを通じて、社会にもっともっと広く共有していただけたらありがたいと思います。学術論文や書籍ももちろん大切ですが、テレビで3分・5分ほどお話していただくだけで、一定数の方々を刺激する可能性があります。日本の将来、アジア、世界の将来にとって、何かいい作用が起きるのではないかと思っています。

田中さん(右)、ワシントン駐在中、ホワイトハウスの報道官オフィスで、当時のサラ・サンダース報道官(現在アーカンソー州知事)と(2018年6月)

中山 :ありがとうございます。お二人のように現場で活躍されてる方々が、東京外大の財産だと思いますし、東京外大への祝福です。現場は危険と隣り合わせだと思いますが、これからもお体に気をつけながら、ご活躍をいただければと思います。東京外大としても応援してますし、また皆さんの活躍を通して、自分たちが作り出せてきたと言ったら僭越ですが、そういうものをありがたく見させていただきます。今日はどうもありがとうございました。

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