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学長鼎談:社会の変化に応じていく

世界にはばたく卒業生

現在本学で経営協議会委員を務めていただいている加藤青延様と松田千恵子様。加藤様は、本学中国語学科卒業後、NHKに入局。北京支局長などを歴任後、NHK解説委員(中国担当)となられ、2017年より本学経営協議会委員を務めていただいております。松田様は、本学ドイツ語学科を卒業後、金融業界等を経て首都大学東京教授(経営学)となり、2004年より本学監事を、2012年より本学経営協議会委員を務めていただいております。本学卒業生として、また経営協議会委員として、お二方ならではの目線で本学をどのようにご覧になっているか、本学が今後目指していく方向性などについて伺いました。


立石博高学長(以下、立石学長) 本日は、東京外国語大学 経営協議会委員の加藤青延様と松田千恵子様にお越しいただきました。お二方とも本学の卒業生で、国際的な場でご活躍をなさっています。よろしくお願いします。

加藤青延様(以下、加藤様)

松田千恵子様(以下、松田様)

よろしくお願いします。

——学生時代の勉強について・・・

立石学長 加藤さんは1978年に本学の中国語学科、松田さんは1987年に本学のドイツ語学科を卒業されています。お二方は学生時代どのように過ごされていたのかお聞かせ願えたらと思います。

加藤様 中国語学科でしたが、言語だけでなく社会科学にも興味がありましたので、そちらの方も一通り勉強しました。当時の中国語の教材は、中国の価値観がそのまま反映されているものが多かったですね。内容自体が日本社会から見れば、相当異質なものでしたから、言葉を覚えるというより、異文化と接触するというイメージでした。ただ、香港からの留学生たちからは生きた広東語を直接教わりました。そのコネで、アジア・アフリカ言語文化研究所が開いた広東語の言語研修にも無理やり参加させてもらいました。

立石学長 松田さんはいかがですか。

松田様 私は高校で3年間フランス語を学習していて、そこでまずヨーロッパに興味を持ち、その地域の言語をもうひとつぐらいやりたいと思い、大学でドイツ語を専攻しました。ただ、ドイツ語とフランス語は言語の種類が違うので、とても苦労しました。それでもヨーロッパの文化に魅了されていましたので、その地域の違う言語を2つ学べるというのは、私にはとても楽しかったです。在学中は比較文化に興味があったので、フランス語学科とドイツ語学科を行ったり来たりしながら、卒論はフランスとドイツの童話の比較をテーマとしました。

——学生時代の経験で特に役立ったことは・・・

立石学長 大学4年間の広い意味での学生生活で役立ったことがあればお伺いできたらと思います。また、もし社会人になってから苦労したことがあれば、一緒に伺えたらと思います。

加藤様 「東京外大の中国語科を出ているから、あいつは中国語が相当できるはずだ」というすごいお墨付きをもらいました。その看板が逆にプレッシャーになりました。英語は少し話しただけで周囲に力量が判ってしまいますが、当時は中国語が判る人は職場にはほとんどいなかったので、いい加減な中国語でもバイリンガル並みに完璧だと思われて、最初は有頂天でした。ところが入局6年目に通訳なしで中国に放り込まれて化けの皮がはがれかかりました。その場は何とかとり繕いながらも、評価と実力のギャップを埋めようと死ぬような思いをしたことを覚えています。実は学生時代に習っていた中国語はアナウンサーが話すような模範的な標準語でしたので、地方の方言なまりの言葉を耳にしても最初はチンプンカンプンでした。それでも何とか乗り越えてこられたのは、今にして思えば、やはり大学で4年間みっちり基礎を学んでいたからだと思います。

立石学長 周囲からできるのが当然と思われていると、どうしても自己研鑽をしなければならないというところがありますね。ところで、サークルから何か得られたことはありましたか。

加藤様 サークルは、グリークラブに所属していました。入ったときは部員3名とつぶれかかっていましたが、それを20人まで増やして定期演奏会が開けるまでに復活させました。どうしたら人気のないクラブに人を集められるか、あれこれ試行錯誤して「目的のためなら手段を選ばない」というマキャベリの教えのような、悪知恵もずいぶん身に付けました。皮肉なことに学問という本業より、そんな実体験から学んだことの方が、その後の世渡りには役立ったかもしれませんね。(笑)

立石学長 そうやって学生生活をエンジョイする、主体的にいろいろな活動に取り組んでこられたのですね。松田さんはいかがですか。

松田様 一般教養など様々な分野で素晴らしい先生が揃っていたため、在学中にドイツ語やフランス語の他に、経済や国際法など社会科学の知識を随分と吸収しました。銀行時代には、ドイツの銀行を買収する話があったとき、東京外大卒でドイツ語ができる人がいるということで、入行わずかでいきなりドイツに数か月間赴任することになりました。男女雇用機会均等法が施行されたばかりの時代にそのような経験ができたのは、東京外大の出身だったからだと思います。いずれにしても、「外語大卒」という経歴は、とても目立つのですね。ただ、私は高校3年間フランス語漬けだったため、英語は中学までしか勉強していません。東京外大の卒業生は英語ができて当たり前と思われていましたし、金融の世界は英語が共通言語なので、英語には苦労しました。

立石学長 銀行に入行されたとのお話ですが、進路はどういうふうに決められたのですか。

松田様 とにかく総合職で定年まで働きたいと思っていました。また、国際的に仕事ができるということで業種や企業を絞りました。先ほどお話したように当時は男女雇用機会均等法が施行されたばかりで、多くの企業が女性の総合職の扱いを決めかねている中、比較的はっきりと方向性を打ち出していた企業に魅力を感じました。それがたまたま金融だったということです。

立石学長 先ほどのお話だと定年まで働きたいとのことでしたが、途中で退職されています。

松田様 はい。でもまだ働いていますよ(笑)。退職というより転職したのは、90年代の日本の金融危機で勤めていた銀行が国有化されたからです。大変色々なことを学んだ思い出深い場所ですし、今に至るまで金融や経営などの専門分野で働いてこられたのもそのときの経験あってこそです。ただ、大企業であっても潰れるときは簡単だということも実感しました。最近では、学生が安定志向になって、皆大企業に行きたがるという話もありますが、大企業に入ったら安泰ではなく、そこで何をやりたいのかを考えて仕事をすることが大事だと思います。

——東京外国語大学に期待すること・・・

立石学長 本学卒業生として、また経営協議会委員として、本学に期待することをお聞かせください。

松田様 歴代の学長のご尽力により、様々な仕組みなどが充実してきたと思います。今ここで学んでいる学生の方々は本当に幸せだと思います。その上で大学に期待したいこと。私はビジネスの世界にいましたが、ビジネスの世界でも、お金を儲けるだけではなくて、地域社会をよく知る必要があります。例えば、企業が海外企業を買収したときに、運営の仕方を考えるうえで、その国の文化や社会をかなり深く知らなければ経営に苦労します。皆さん簡単にグローバル人材などと言いますけれども、グローバル人材をつくるのはとても大変で、大学生のうちから意識して育てないと育たないと思います。東京外大はそれができる大きな魅力を持っている大学だと思います。一方でビジネスといったところに、何となくまだちょっと、一歩距離を置いているような気がしなくもないので、ぜひ踏み込んでいただきたいなというのが、ビジネス界から見たときの私の大きな期待です。

立石学長 ありがとうございます。今、学生のインターンシップを盛んにしていますし、経済界で活躍する方を講師にお招きした「グローバルビジネス講義」という講義を実施するなど、いろいろな刺激も与えるようにしています。文化、言語、社会という広く深い知識を持った上で、ビジネス界で活躍することが求められています。総合マネジメント力という言葉が最近よく使われるようですね。総合というのはまさにグローバルということですよね。

松田様 海外で求められている人材のレベルが上がっています。現地の言葉が話せて、現地の文化も分かって、結構マネジメントもできてといった、全てを満たす人はごくまれにしかいません。しかし、「そういう人、東京外大にいますよ」と言えれば素晴らしいと思います。ぜひそういう人材が求められているときに、卒業生以外の方でも、最初に思い浮かべる大学になっていただきたいと思います。

加藤様 私も全く同感です。東京外大は、非常に評価が高い大学だと思います。そのブランド力はぜひ活かしていただきたいと思います。

立石学長 都心から遠いという距離的なハンディと財政的なハンディはありますが、それらをクリアしながら頑張りたいと思います。

加藤様 常々感じている1つは、どこの大学もみな「少子化」という壁に悩まされていることです。それに対処するためにどう生まれ変わるか、必死に模索しています。留学生や帰国子女を招き入れグローバルな視野を追求する大学が増えているように思います。他の大学がだんだん東京外大に近づいてくるという怖さを感じますね。実業界は今、大学に「即戦力」になる人材の養成を求めています。しかしそれは逆に言えば、それだけ企業が人材養成の力を失ったと言うことになります。特に国際社会を相手に「即戦力」となる力を養成するという面で先頭を走っている東京外大には、100年以上の歴史の中で培ってきたパワーを最大限発揮して圧倒的な強さを見せてほしいです。そして社会のニーズに最も応えられる牽引役として日本をリードして欲しいと願っています。

立石学長 ありがとうございます。

加藤様 それともう1つ感じているのは、人生100年時代の到来です。定年がどんどん延長され70~80歳まで働かされるようになるかもしれません。そんなに長いこと一つの職場に務めるのはあまりにしんどいことでしょう。そこで、どこかで1回途中退職して一息つくという小休止を求める人も出てくるのではないか。そのリセットの時期に知識を学び直し再スタート切ろうと考える人が増える時代が必ず来ると思います。30代、40代の節目にさらなるキャリアアップできる。そういうシステムを大学側にもつくっていただけるといいなと思います。実は、そういうシステムには東京外大が一番適していると私は思っています。特にほかの大学で学ばれた方にとって、東京外大で新たに補えるものはものすごく大きいと思います。既に1回社会人として経験を積まれた方を、よりグローバルな知識で強化し、さらに強く逞しい国際対応可能な人材に変えていく、そういう意味でのキャリアアップの場としても大学を活かせるようになればいいなと思っています。

松田様 キャリアアップといえば、修士ももちろんですけれども、博士需要も結構高まっているような気がします。MBAをはじめ、修士はだんだんありふれてきて、もっと勉強したいという人も増えていきます。もっと知識を深くつけないとついていけないということもあります。本当におっしゃるようなニーズは高まるばかりのように思います。

加藤様 社会の変化に大学がどう応じてゆくかが重要であると同時に、大学が社会をどう変えてゆくかも大変重要なことだと思います。

——女子学生へ一言・・・

立石学長 第一線で働かれている松田さんから女子学生に対してのメッセージがあればお願いします。本学は他の大学と比べて女子学生の比率が大きいため、参考になると思います。

松田様 今は何でもできるので、ぜひ何でもやっていただきたい、ということをまず伝えたいです。ただ、女性は必ずライフイベントが早く来るので、人生の選択肢に早くから直面しがちです。しかし、そこで辞めないで、やりたいことをやってほしいと思います。また、女性は管理職になるのをためらうことが多いと言われます。上層部から「君、できるんだから、もっとやってみない?」と言われても、怖くてできないとか、忙しくなるから嫌だとか、いろいろな理由でためらってしまう人も残念ながらいます。真面目な人ほど完璧にできないと思いがちなので、あえて私は「偉くなると仕事減るよ」と言っています。単なる作業者だと、自分の作業や時間をコントロールしにくいですが、上に立てば、それらを自分で決めることができます。そういう意味では本当に、もっと偉くなることをしたたかにめざしてほしいと思います。これから先、単にいわれたことをこなしていればいいという労働者には男女問わず厳しい世界となるでしょうし、東京外大が輩出するのはそういう人たちではないはずです。

立石学長 お二方のご意見をお聞かせいただきありがとうございました。ご意見にお応えできるよう、引き続きさまざまな取り組みを行っていきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

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