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「国際機関で働く」松本夏季さん、宍倉未記さん インタビュー

世界にはばたく卒業生

右:松本夏季さん 左:宍倉未記さん

東京外国語大学の卒業生の進路は多様ですが、国際機関の職員、外務省職員、公務員・準公務員(国際交流基金・JETROなど)、NGOなどで活躍する卒業生も多くいます。

藤原杏さん

今回のTUFS Todayでは、現在、国際機関等で活躍している卒業生お二人にお話を伺いました。1人目は、国連ハビタットスーダン事務所に勤務する松本夏季さん(本学英語専攻卒業)、2人目は、一般財団法人日本国際協力システムに勤務する宍倉未記さん(本学ペルシア語専攻卒業)です。

取材は、国際社会学部 中東地域/ペルシア語1年生の藤原杏さんが担当しました。

国連ハビタットハツルーム事務所勤務 松本夏季さん(本学英語専攻卒業)

——現在はどのようなお仕事をされているのでしょうか?

国連ハビタットという機関のハルツーム(スーダンの首都)事務所に勤務しています。国連ハビタットは都市化や居住の問題を専門にしている国際機関です。スーダンでは難民、国内避難民など人の移動が多く、ダルフールの紛争が終わって帰還される方も多いので、元々いるホストコミュニティと言われる人と戻ってきた人や新しく入って来た人が共存できるような環境づくりをしています。私は広報として勤務していて、具体的にはホームページの編集やショートビデオの作成を通して、こういった活動を紹介しています。

学生時代、国連のインターン仲間とジュネーブにて(一番左が松本さん、2011年)

——現在のお仕事に就職されるまでの経緯を教えてください。

大学院の時は当時あった国連職員を養成するコースへ通っていて、大学院の最後の一年の時にインターンで半年間ジュネーブの人権高等弁務官事務所(OHCHR)に行きました。その時は国際会議のアレンジやイベントの手伝いをする他に、人が足りていない部署で研究書籍の編集、校正をすることもありました。今思うとそういったことも今の広報の仕事に近かったですね。日本に帰って来て外大に残るか、就職するか博士に進むか考えました。国際協力の仕事はしたいと思っていたので、結局は難民を助ける会というNGOに就職しました。最初の数年間は東京で広報やプロジェクトマネジメントの仕事をしていました。その後シリア難民支援の担当で1年半くらいトルコに駐在しました。トルコではプログラムコーディネーターとして働き、現地職員の人事管理や事務所、事業全体の運営をマネジメントする役割を担っていました。難民を助ける会には約6年務めました。その頃ウガンダのUNDPから広報で来ませんかと声がかかって。難民支援をしている新しい部署で、日本政府の資金で事業を実施しているため、英語で広報ができて、JICAや大使館など日本の機関とも橋渡しできる人材が欲しいとのことでお受けしました。それで去年一年間はウガンダにいました。そのあとハルツームでのハビタットの仕事に応募して、今年の1月からスーダンで働いています。トルコでの経験があるので、今もプロジェクトマネジメントの仕事をサポートすることもあります。フィールドスタッフからのレポートをまとめたり、事業申請に必要な書類を作成したりしています。

——国際機関での仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?

高校1年のときに隣からのもらい火で家が火事にあったんです。家族は無事だったのですが、1・2週間避難生活を経験し、その後区営住宅に移りました。父の仕事も家での自営業だったためその間仕事もできない状態でした。その時に「風に舞い上がるビニールシート」という小説を読んで、UNHCRという団体があり、難民支援をしていると知ったんです。自分は難民とは違い、周囲の人と言葉も通じるし家族も生きている。それでもこんなに大変なのに難民はどれだけ大変なんだろう?と思いました。そこからUNHCRの仕事に関心を持って国連職員を意識し始めました。

——外大に入った理由は何でしたか?また、大学生活はどのようなものでしたか?

国連で働くには英語ができなければいけないと思い、英語が勉強できそうな外大を選びました。音声学など、様々な観点から言語としての英語と向き合うことができるのもいいと思いました。週6コマある英語の講義で培ったライティング力は現在の仕事にも役立っています。スピードも必要な広報を専門にやっていけているのは、外大の授業で、ひたむきに英語と向き合う時間があったおかげです。また今でも文書をまとめる時にソースを調べたりしますが、信頼できる情報元や国連関係の書籍を探すのはゼミでの経験が活きていると思います。英語以外の授業だと国際法関係や難民法の授業が好きでしたね。教授陣が充実していて、集中講義も含め、いい先生ばかりでありがたかったです。

——国際機関で働くために必要なことは何ですか?

AAR Japanでのネパール緊急支援(写真:Peter Biro/IRC 2015年)

語学力はもちろんですが、体力も必要だと思います。災害後の緊急支援などでは特に、2,3週間現場に入り、休みなしで働いて事業の方向性を決めて帰らなければならないといったハードな出張もあります。そういった出張もこなせる体力とタフネスが必要だと思います。あとは当事者意識です。私が外大にいたときは実務者としての意識はなく、難民の方々に対しても、自分の論文のテーマ、研究対象として見ていたところがあったと思います。難民を助ける会にいたときに東北の被災地に行く機会があって、被災者の方々が初対面の私に自身のつらい体験を話してくださって。その時、自分はこの話を持って帰って書かないといけないんだ、そういう仕事だっていうのを分かってなかったと気づきました。同じ人間でみんな家族がいる。それぞれのバックグラウンドがあるけれど、普通に暮らしていたのに何かのきっかけで今つらい目にあい、将来どうしていいか分からない状況になっている。そういったことは自分にも起こりうるし、自分の大事な人たちにも起こりうる。そういうことを東北で気づかせていただいたことが、今の仕事にも生きていると思います。ただ、それを学生のうちに経験するのは難しいかもしれません。バックパッカーで色々な場所へ行ったりしていたら、最初からもう少し当事者意識を持って仕事ができたのかもしれないと思っていて。学生の時にそういったところに行って、生活を経験させてもらうのもいいのかなとも思います。

——最後に、外大生にメッセージをお願いします。

国連での仕事に憧れてくれる人は多いですが、実際は華やかな仕事ではありません。国際社会の歯車となり、忙しく働くのが実情です。それでもやっていきたいという熱意と気力を学生のうちに養っておくと、息が長く頑張れるのではないでしょうか。なぜこの仕事をやりたいのかという原点を見つけておくと、仕事をしてからもいろいろなトラブルを楽しみつつ働けると思います。

——貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

一般財団法人日本国際協力システム勤務 宍倉未記さん(ペルシア語専攻卒業)

——現在はどのような仕事をなさっているのでしょうか?

私は、一般財団法人日本国際協力システム(JICS)で働いています。JICSは日本で初めての調達の専門機関です。日本政府が政府開発援助(ODA)の無償資金協力を相手国政府に供与した際、相手国政府の調達代理人として 、供与された資金を用いて機材等を調達する役割を担っています。近年、日本のODAにおいては、相手国への裨益のみならず、日本の国益にも資するようなWin-Winの関係構築を意図した案件形成が行われています。具体的には、相手国政府の要請に基づき、優れた技術を持つ日本の中小企業製品や東日本大震災の被災地で製造された製品等を調達する案件が挙げられます。JICSはこれらの案件の円滑な実施に向け、相手国政府と密にコミュニケーションをとり、要望に応じて製品調達のための公正な入札を実施するとともに、援助資金の管理を行っています。ただ、私は今そういった調達の仕事からは少し離れ、新規事業開拓室に所属し、主に開発途上国への海外展開を検討している中小企業様を、コンサルタントとしてサポートする業務に従事しています。例えば、日本の中小企業が海外展開しようとしても現地のビジネス環境や自社製品のニーズがあるかわからず、二の足を踏んでしまうケースがあります。これに対し、現地の社会問題・開発課題の解決に貢献するような製品の導入に関しては、JICAやJETRO等の支援により、基礎情報調査や現地展開の実現可能性調査を行うことができます。そこで、長年ODA事業に従事してきた経験を活かし、開発課題・ニーズの分析、公的資金獲得に向けた企画書作成、ビジネス展開計画策定、現地調査等のサポート業務を企業様に提供しています。

——新規事業開拓室では、実際にどのような事例があるのでしょうか?

3Dプリンターを活用し、低価格で義足を作るという技術を開発しているスタートアップ企業と共同し、JETROの「日ASEAN新産業創出実証事業(事業化可能性検証事業)」に応募し、採択された事例があります。
同事業では、フィリピンにおける3D義足製品化の実証を行いましたが、JICSは応募書類作成、関連法規制調査、現地講演会調整、最終報告書編纂等、側面支援を中心に事業の最初から最後まで一貫して協力させていただきました。

——現在の仕事に就いた経緯はどのようなものでしたか?

在学中に、パキスタン国連広報センターでインターンを経験

中学生の時に9.11が起き、その後アフガニスタン紛争、アフガン難民の問題に関心を持ったことからUNHCRに憧れて国連職員になりたいと思っていました。また、アフガン難民を支援したいと考え、ペルシア語をやりたかったのもあり、当時国連職員を養成する国際協力特化コースとペルシア語専攻の両方があった外大に進学しました。国際協力特化コースに進んだ大学院1年次にパキスタンの国連広報センターにインターンに行ったのですが、それがちょうど3.11の東日本大震災直後で、パキスタンの人達から自分の国が大変な時にここで何をしているの?と言われ、返す言葉もありませんでした。そこから日本のためにもなる仕事をしたいと思うようになりました。また、インターン経験から現場で働きたい気持ちが強くなったため、国際協力ができる、日本にも裨益する、かつ現場で働けるという三点を考えて、JICSに入りました。

卒業式は民族衣装で出席

——外大で学んだことで生きていることはありますか?

専攻していたペルシア語を使うこともあります。以前いた部署ではイラン・パキスタン・アフガニスタンにおける調達案件を担当していました。イランに出張し、政府関係者とお話しするとき、基本は英語での会話ですが、ペルシア語を話すと喜ばれてかなりコミュニケーションが円滑になりました。先方政府がペルシア語を使って小声で話し合っていることから懸念点などの裏情報が得られたときもありました。
また、学生生活は授業料免除とバイト代と奨学金だけで6年間やっていて、経済的に苦しいなか働きながら卒業できた、自分の力で修了できたということが自信になったと思います。現地に中長期に渡り出張、滞在し、先方政府と交渉する仕事はなかなか大変ですが、学生生活で養ったタフさと一つのことをやり遂げたという自信が役に立っていると思います。

——国際協力の仕事に興味を持ったきっかけは何でしたか?

私の母は台湾出身で、小学校の高学年のころ両親と離れて2年くらい台湾の祖母の家に預けられていた時がありました。言葉は少しは喋れましたが、読み書きは全然できないまま現地の小学校に編入することになり、小学校5,6年生の国語のクラスでは小1の教科書から全部やって、なんとか追いついて卒業しました。いきなり環境も友達も変わって当時は辛かったです。しかも、同級生の中には、日本と台湾の歴史や過去の戦争の痛みについて問題提起してくる優秀な子がいて、そういう痛みを持つ人がいるというのは日本にいたら気づかなかったし、漠然と戦争はよくないなと思ったことが原点かもしれません。また、小学校6年生の頃、「世界がもし100人の村だったら」*が流行っていて。日本の家族や友人と離れて暮らして寂しかったのですが、それを見て自分よりもはるかに辛い思いをしている子ども達がいるのを知りました。そして、そういう苦しい状況にある子ども達は医者になって家族を養いたいだとか、大きな夢を持っているんですよね。その手助けができたらと思うようになりました。中学校で日本に帰国し、9.11をきっかけにアフガン難民をどうすれば助けられるのだろう?と考えるようになった頃、国内避難民の保護についてUNHCRで大きな改革を行った緒方貞子さんが、アフガニスタンの復興支援でも活躍されていて、日本人で難民支援や平和構築でこんなに活躍している人がいるのかと憧れるようになりました。これが国際協力に本格的に関心を持つきっかけだったと思います。

*「世界がもし100人の村だったら」は、インターネット上でチェーンメールのように広まって、世界的に流布した世界の人々の相互理解、相互受容を訴えかける「世界村」(en:global village)について示唆を与える文章のことである。2001年前後から世界的に広まった。(フリー百科事典『ウィキペディア(wikipedia)』より)

——仕事のやりがいや、仕事をするにあたって必要なことは何ですか?

パキスタンにて。先方政府担当者(右・女性)、JICS現地スタッフ(左・男性)と

国際協力に対するイメージというと、ボランティアとか無償の奉仕の精神という学生の方も多いと思います。しかし何事もお金がないとまわらない。お金を生み出す活動はすごく重要だと学んだのが今の仕事のやりがいです。調達の本業の方では資金援助で学校や病院を作り、人々の喜ぶ顔を見れるのが喜びの一つです。現在いる新規事業開拓室では双方良しというか三方良しの事業を作っていくことです。日本企業は自分たちのビジネスを成り立たせる、現地の方は質の高い製品・サービスを入手できる、そしてそれが 社会的な貢献にもつながっていく、そのすばらしさを知れたのが良かったです。学生の時はバイトもしていてお金に苦しんでいたはずなのにお金の重要性を全く分かっておらず、国際協力とは人を助けることだと思っていました。お金がないと何にもできないということを学生のうちは全然理解も実感もできていなかったです。新規事業開拓室に入り、日本企業をサポートしながらお金をもらう立場になって初めてお金を稼ぐってこういうことなのだと学べました。そういう視点では、国際協力を志す学生はやりたいことを実現するためにマンパワーや資金力など、本当に何が必要なのかきちんと考えることが重要だと思います。

——外大生、高校生にメッセージをお願いします。

いろんな国に学生のうちに行った方がいいと思います。仕事をする上でコミュニケーションは本当に大切で、自分が発した言葉の意図と相手の受け取り方のギャップを小さくしていくことがいい仕事に繋がります。それには、様々な国に行って色々な人と話をして自分で見てみることが大事だと思います。そういう経験を時間がある中でできるのは大学生活だけだと思います。あとは遊んでおいたほうがいいです。私自身学生時代は飲み会によく行っていましたが、飲み会もコミュニケーションの一つです。社会人になってからも飲み会は頻繁にあり、そこでの会話が仕事に繋がることもありますから。いろんな人と触れ合う機会を惜しむことなく、自分に投資するのがいいと思います。

——大変勉強になりました。本日はありがとうございました。

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