学長対談:元留学生として日本の大学について思うこと
世界にはばたく卒業生
ゲスト:薄井シンシア様(シャングリラホテル東京パブリックアフェアディレクター)
国費留学生としてフィリピンから来日し、本学の附属日本語学校(現・留学生日本語教育センター)で1年間、外国語学部特設日本語学科で4年間学んだ後、貿易会社で2年間勤務。その後、17年間の専業主婦を経て、現在、シャングリラホテル東京で勤務されています。前職のANAインターコンチネンタルホテル東京では、入社3年で営業開発担当副支配人になるなどの経歴をお持ちです。元留学生として本学や日本の大学について思うこと、ライフワークバランスなどについて伺いました。
立石博高学長(以下、立石学長) 本日は、現在シャングリラホテル東京でパブリックアフェアディレクターとして勤務されている薄井シンシア様にお越しいただきました。薄井シンシア様は、20歳で国費留学生として来日し、本学の留学生日本語教育センター(当時:附属日本語学校)で1年、その後外国語学部へ進学し卒業されました。よろしくお願いします。
薄井シンシア様(以下、シンシア様) よろしくお願いします。
——地域活性化のための大学・・・
立石学長 本日は府中キャンパスまでお越しいただきありがとうございます。
シンシア様 私には成人した娘が一人おりますが、以前こちらのキャンパスの近くのアメリカンスクールに通っていました。東京外国語大学が移転してきて、この辺りは当時とはだいぶ変わったのではないでしょうか。娘が通っていた頃に来ているはずなのですが、駅を降りた時の印象がかなり違いました。それでも、今が夏期間のためか、少しのんびりとした印象ですね。
立石学長 そうですね。本学が移転したのが2000年でしたから、今年で17年になります。移転当時に比べるとお店などは増えてきたように思いますが、やはり大学は学生がいて活気がある時期と春・夏・冬休みのように閑散とした時期とがあるので、なかなかレストランや食堂の営業には不向きなようですね。
シンシア様 そうですね。その点は、アメリカの大学の経営に学ぶところはあるかもしれません。地域の活性化のために、一年中大学に人がいる状況を作るなどの工夫をしています。例えば、アメリカの大学などですと、夏の期間は、パブリック・エデュケーションとしてさまざまなサマーコースやプログラムを実施して、さまざまな国から多くの留学生を受け入れるようにしています。そのようにすると、正規学生が休みの期間もキャンパスに多くの人がいる状況を作り出せます。キャンパスに活気があれば、自然と地域も潤います。ひいては大学の活性化にもつながっていく。戦略的に経営しているのですね。
立石学長 本学もサマープログラムは実施していますが、講座数はまだ限られていますね。正規学生の数に比べるとまだまだ受講生が少ないのが現状です。海外から日本語を学びに来る学生も少ない。どういったプログラムを留学生に提供できるかについても、今後ご提言いただければありがたいと思います。
シンシア様 プログラム内容も日本語に特化したものでなくても良いと思います。
——知日派として世界で活躍・・・
立石学長 本学に在学されていた当時のことをお伺いできればと思います。どういうきっかけで本学に留学することになったのでしょうか。
シンシア様 本学には1980年に入学しました。国費留学生として来日しました。
立石学長 国費留学生ということは、フィリピンの日本大使館で試験を受けて選抜されて来られたのですね。
シンシア様 はい。フィリピン大学在学中でした。フィリピン大学では英文学を専攻していました。たまたま少し興味があって日本語を勉強していたところ、先生から日本の国費留学について紹介を受けました。当時はフィリピンではまだ、海外留学といえばアメリカでしたし、私は英文学を専攻していましたので、日本留学にはそれほど興味がありませんでした。どちらかと言えばアメリカ留学に興味がありましたが、私の父は女の子にわざわざお金を出して留学させる必要はないという考え方でした。そこで、国費留学であれば家族に負担をかけることもなく留学できるので、日本留学試験を受けることを決意しました。
立石学長 来日して、まず本学の附属日本語学校(現・留学生日本語教育センター)で1年間の予備教育を受けたのですね。
シンシア様 はい、1年間、日本語を毎日勉強しました。1クラス8名でした。はじめの3ヶ月はとにかく日本語だけを勉強し、その後、日本語で世界史などを勉強しました。本当に日本語だけで1年間の学部進学のための予備教育を受けました。語学のプログラムとしては最高のプログラムだったと思います。人生であれほど勉強したことは他にないと思います。その後、国費留学生は日本国内のさまざまな大学に進学しますが、私は日本語のさらなる学習を希望しまして、本学外国語学部の特設日本語学科に進学しました。
立石学長 日本留学の機会を得て知日派になった方が、アジアで多く活躍しています。日本の企業が海外に進出して行く際にもそのような方が活躍していて、現在、日本の国際化にとってとても重要なパートナーになっています。そうした意味では、日本が国費で学生たちを受け入れてきたことは、10年後、20年後の日本にとってすごく貴重な資産となっているわけですね。
シンシア様 そうですね。そういった意味でも、留学生に対するケアは、もう少ししっかりおこなうべきではないかと思います。留学生受入れの数や学費負担だけではなく、就学支援はもちろん、キャンパス生活や就職支援などの充実も必要ではないかと思います。在学中の支援の充実は、卒業後の大学への思いや結束力にも影響します。現在は当時と比べて支援が充実しているのだと思いますが、少なくとも30年前はあまり良い印象ではありませんでした。
立石学長 その点については、本当に耳が痛い。これからの大学の方向性を考える上で、非常に重要なご指摘です。
シンシア様 娘がアメリカのハーバード大学を卒業していますが、ハーバード大学では、卒業後に皆、大学に対して多額の寄付をします。それは、大学に対しての恩恵と熱い思いの表れですね。在学生に対するケアがきちんとしているので、結束力が強くなるのだと思います。それと「ブランド力」ですね。私は国費留学生として日本政府に多額の投資をしてもらったわけですが、それでも全く就職ができませんでした。「国費留学生」というブランド価値があまりなかったことも大きかったのだと思います。これは、個々の大学の問題ではなく、文部科学省など日本全体で考えることだと思います。
——学生支援の充実・工夫・・・
立石学長 10年ほど前に国立大学は法人化されました。現在は、財政的にますます厳しい状況です。
シンシア様 財政が厳しいということは、学費は補助できても、生活費の補助までは難しいということですね。
立石学長 はい、学生生活の充実のために、良いアイデアがあればお伺いできたらと思います。
シンシア様 私の娘がアメリカの大学に通っていた時は、キャンパス内で2年間アルバイトをしていました。ハーバード大学では、学生の生活費を間接的に援助するために、キャンパス内でのアルバイトを充実させています。日本の大学などでもよくある図書館の受付などのアルバイトから、トイレ掃除などのアルバイトまで、さまざまなアルバイトがあるようです。そしてキャンパス内アルバイトを通じて在学生同志が専門分野を超えて知り合いつながります。アルバイトもチームで行いますので、そこで結束力が生まれるようです。
立石学長 おもしろいアイデアですね。
シンシア様 大学は、「学ぶ」ということが1つの目的ですが、もう1つ大切なことは「人生のネットワーキング」です。日本の大学はまだまだそこが足りていないと思います。卒業後のネットワーキングの場もあまり提供されていないのではないでしょうか。アメリカの大学は、その辺りが戦略的にいろいろと仕掛けられていると思います。卒業後に世界のどこにいても、常に大学とつながっている感覚があるようです。
——日本人学生と留学生の交流・・・
立石学長 シンシアさんが在学していた頃、日本人学生との交流の機会はいかがでしたか。
シンシア様 そうですね。あまり盛んではありませんでした。体育の授業などでは交流がありましたが、言語的なコミュニケーションの問題で、何となく日本人学生と留学生がお互いを避けるような印象がありました。現在、留学生の数は増えていると思いますが、その点はどのような工夫がなされているのでしょうか。
立石学長 近年本学では、日本人学生と留学生が「ともに学ぶ」ことのできる環境づくりに努めています。その仕掛け作りはさまざまですが、例えば、出会いの場です。学生が主に講義を受ける「研究講義棟」という建物の4階に、「イングリッシュラウンジ」と「マルチリンガルラウンジ」というものを作りました。それらのラウンジは、日本人学生と留学生が会話を通じて互いの言葉や文化を学び合う場として活用されています。1度ラウンジで知り合うとそれを機に友達になり、ラウンジの場を離れても交流を持ち始めます。
シンシア様 当時に比べると、とても改善されていますね。
立石学長 日本人学生にとっても、日本語や日本のことを留学生に教える練習は、とても重要な機会です。海外に留学をすれば日本のことを聞かれます。日本発信力という点でも、海外へ留学する学生は日本のことをきちんと伝えられるような人材になっていかなければならないと思っています。そのため、英語による日本紹介の授業も提供しています。そしてその授業にはまだ日本語があまり理解できない短期留学生なども参加しています。同じ授業を受けることでも新しい交流を生むことができます。
——女性の活躍について・・・
立石学長 本学は現在、7割近くが女子学生です。女性が企業など社会で活躍するために、どういう資質を大学時代につけさせるべきとお考えでしょうか。
シンシア様 逆にお伺いしたいのですが、日本の女性が何を求めているのでしょうか。私が17年間専業主婦に専念してこの年で復職した一番の理由は、娘にとっての一つのロールモデルになりたかったからです。育児に専念しても復職できることを娘に見せたかったからです。それと、復職して50代の人たちが仕事に従事することで、若い世代のワークロードを軽くしないとならない、という思いもありました。娘は、アメリカの大学を出て高いモチベーションを持って日本に帰国して外資系の銀行に就職しました。銀行の花形といえばインベストメントバンキングですが、そこにはほとんど男性しかいないようです。それでは女性はどこにいるのかというと、ミドルオフィスだそうです。サポート役です。優秀な大学を出ても、それほど高いポジションを希望していないのかもしれません。日本の女性は実際、何を求めているのでしょうか。
立石学長 時間というのは合理的に使えば生まれますが、やはり限られたものです。その中で自分の人生と仕事のバランスを取りたいということでしょうか。
シンシア様 私は、女性の社会進出について取材依頼をよく受けますが、いくつかの依頼を断っています。なぜかというと、このあたりが共有できないのです。ライフワークバランスとよく言いますが、ライフワークバランスとは、1日、1週間、1カ月で取るものではない。人生を通してのライフワークバランスでよいのではないかと思っています。育児に専念する期間があって、その後、キャリアを作ってもよいのではないかと思っています。若い女性の方に言いたいのは、自分にとってベストなのは何かということですね。仕事をしながら育児するというのも良いし、私のように育児に専念する期間があっても良い。大事なのは、日本社会が変わることです。いつでも安心して戻れるという社会をつくれるかどうかです。女性だけではなくて、男性への育児支援についても言えることです。
——若者へ「冒険しなさい」・・・
立石学長 若者にとって何を期待していますか。何をすべきでしょうか。
シンシア様 冒険しなさいということです。若者だけではありませんが、皆、安全パイばかり選んでいる気がします。若いうちにどんどん冒険してどんどん失敗してください。
立石学長 シンシアさんは、たくさんの部下を抱えていらっしゃると思いますが、どのような能力を部下に求められているのでしょうか。
シンシア様 一番求められる能力は、フレキシビリティーです。経歴ではなく、その人のポテンシャルですね。過去ではなく未来の可能性です。若い人たちには、知識を求めるのではなくて、知識の検索の仕方を学んでほしいと思っています。そして、そういう力を得るために必要なのが好奇心。世の中に興味を持ってほしいです。
立石学長 本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
シンシア様 ありがとうございました。