東京外国語大学 総合文化研究所

所員 出版紹介2011

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ロラン・バルト 中国旅行ノート

ロラン・バルト著、桑田光平訳、筑摩書房、2011年3月9日

書評:松浦寿夫(『総合文化研究』第14-15号)

1974年、ロラン・バルトは前衛的季刊誌『テル・ケル』のメンバーともに毛沢東政権下で文化大革命を推し進める中国を訪れる。北京、上海、南京、洛陽、西安をめぐる行程のすべてを彼は克明に記録し続けた。そこでは、書や料理、色彩や風景、訪問先での見聞が記される一方、エロティシズムや“襞”の欠如に嘆き、政治的な配慮に苛立ちながら、中国に「フランス」を照射しようとする。ついに書かれることのなかった中国版『記号の国』へのノートとして2009年に発表された新草稿、本邦初訳。

筑摩書房 ウェブサイトより

 

 

未知へのフィールドワーク:ダーウィン以後の文化と科学

ジリアン・ビア著、鈴木聡訳、東京外国語大学出版会、2011年1月1日

書評:加藤雄二(『総合文化研究』第14-15号)

19世紀から20世紀にかけての知的・思想的激動の時代に、最新の科学的知識と発見は社会と人間にどんな影響をもたらしたのか。自然科学と人文科学の相互関係を豊かな創造性を秘めた異文化間コミュニケーションとしてとらえようとする、英文学・文化研究の泰斗による意欲的な探究。

 

 

 

 

ベンヤミン・アンソロジー

山口裕之編訳、河出書房新社、2011年1月6日

書評:西岡あかね(『総合文化研究』第14-15号)

危機の時代にこそ読まれるべき思想家ベンヤミンの精髄を最新の研究をふまえて気鋭が全面的に新訳。重要なテクストを一冊に凝縮、その繊細にしてアクチュアルな思考の核心にせまる。

 

 

 

 

藤原定家

村尾誠一著、笠間書院、20011年3月1日

書評:黄少光(『総合文化研究』第14-15号)

藤原定家。あの『百人一首』の編者。若くして才能を発揮し、「達磨歌」と揶揄される前衛歌を詠んだ。古典の世界の上に立ち、失われた王朝美の再現を目指す唯美的歌風が後鳥羽院の推輓を受け、『新古今和歌集』の撰者の一人となる。以後、歌壇の第一人者として君臨した。承久の乱後『新勅撰和歌集』を撰し、また王朝の古典テキストの継承に多大の功績を果たし、子孫から神のように崇められてその権威を中世に長く誇ったことで知られる。国宝の漢文日記『明月記』数十巻を今に残す。

 

 

 

村上春樹と夏目漱石─二人の国民作家が描いた〈日本〉

柴田勝二著、祥伝社、2011年7月1日

書評:朴翰彬(『総合文化研究』第14-15号)

夏目漱石と村上春樹は、ともに「国民作家」というべき、日本を代表する作家である。従来、二人の作品は「個人」の側面から語られることが多かった。しかし、彼らが国民作家である最も大きな理由は、ともに自身が生きている時代社会のあり方とその行方を、作品に盛り込みつづけたことにある。そもそも、漱石と春樹には、時代に対する意識とその表現方法に共通項が多く見られる。本書では、その観点から作品を読むことで、彼らが日本をどのように見ていたのか、明治から現代にかけて、この国で形を変えて繰り返されるものと、新たに生まれてきたものを見ていく。

 

 

他人まかせの自伝:あとづけの詩学

アントニオ・タブッキ著、和田忠彦・花本知子訳、岩波書店、2011年5月24日

書評:石井沙和(『総合文化研究』第14-15号)

パリのカフェの小さなテーブルで、ふと耳元によみがえった亡き父の声。それは夢で聴いた声であり、そこからある物語が生まれた──。現代世界文学の旗手として注目される著者が、自作を手がかりに創作の契機を綴ってゆく。フィクションと現実を行き来するように語られるエッセイは、それ自体ひとつの作品として豊かな味わいをもつ。


岩波書店 ウェブサイトより

 

 

パンダ

プラープダー・ユン著、宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年3月11日

書評:岡田知子(『総合文化研究』第14-15号)

君の生まれ星はどこ?

地球に生まれ落ちたのは間違いだった。 ある日突然そう悟った主人公が、みずからの故郷の星を探して帰還をめざす。タイのポストモダン文学の旗手による、現代社会への鋭い諷刺の精神と、人間への愛と寛容に溢れた新世紀の物語。 「パンダ」というあだ名をもつ青年の額には怪しいできものがある。そのできものに隠されたものを抉り出そうとすると、なかからオレンジ色の物体が現れた。それは青年の生まれた故郷の星と連絡を取り合うための通信器官だった―タイのポストモダン文学の旗手が放つ、真摯にして滑稽、ペーソスと現代文明批評に溢れた傑作長編! 

 

ロラン・バルト─偶発事へのまなざし

桑田光平著、水声社、20011年12月1日

書評:松浦寿夫(『総合文化研究』第16号)

バルトの「私」は軽い。それは、新しい「私」を求める軽さである。だが、その根底には、「私」にまとわりつく意味への疲労がある…。新進気鋭の若手研究者の手による、新たなロラン・バルト論。

 

 

 

 

出版紹介(年度別)