2020年2月11日

Buttigiegのカタカナ化

Buttigiegの発音を、今日2020年2月11日時点のウィキペディア英語版は、
https://en.wikipedia.org/wiki/Pete_Buttigieg

/ˈbuːtəˌdʒɛdʒ/ と、音素表記とも、音声表記ともわからない書き方で
書いている。まあ、アメリカ英語を知る人には当たり前な
/t/の有声はじき音化[ɾ]は反映していないので、そこは
音素表記的ですね。

カタカナ化するときの可能性は、

ブ/ブー
ティ/タ/ダ/ラ
ジッジ/ジェッジ

をどう組み合わせるかですね。

「ブ/ブー」

に関しては、今のところ、文字メディアは、
 「ブ」一択にしている感があります。
ttと、後続子音が重ねて書かれているので、
短くした方がいいと考える人が多いのかも知れません。

「ティ/タ/ダ」

は、「ティ」か、「ダ」を良く見かけます。

「ブタ」は、豚に通ずるので、避けられている感が
あります。

これは、コリア系の전 [tʃɔn]さんが、チョンを避けて
ジョンと名乗ったり、

チンポー語が、ジンポー語になったり、
(これは中国語からの転写より、
 当該の言語の音を転写したという
 ことなんでしょうけど。)

というのと同じ流れですね。

後は、綴りに近い「ティ」にするか、
[ɾə]に近く、「ダ」にするか。
でも、「ラ」にまではしないんですね。

t, ttを、有声化、(はじき音化、)を反映した
カナにすることって、今まではあんまりして
いないですけど。

アニタをアニーダにしたり、
ベティーをベディーにしたりは
普通しないです。

なので、そこは新しい。

第二強勢のある[dʒɛdʒ]は、ジェッジ一択でしょうかね。

ということで、ブティジェッジと、ブダジェッジを
今後目にすることが多くなるのでしょう。

自分をカテゴリーに入れたり、他人を別カテゴリーで排除したり

こんなツイートがあった。

DJ Karaage粉 @adisomak 『パラサイト』のアカデミー賞受賞について「アジア人として誇りに思う」ってツイットを複数目撃したけど、作品が評価されたことに、なんで急に「アジア人な自分」がのっかれちゃうんだろ。功績のある人は無理やりでも「日本人」にしたがる心性と同じで、自分が線を引ける側だという傲慢さにゾッとする 午後2:57 · 2020年2月10日·Twitter for iPhone
DJ Karaage粉 @adisomak 「手柄」をあげたことに対して一斉にむらがる感じとか、「同じ◯◯人としてうれしい」とか言い出すの、ほんとにちょっと考えてほしいわ。逆に犯罪をおかした人なんかは、被疑者の段階でわざわざ外国籍の本名を報道したり平然とする社会だから気持ち悪いっつってんです。「日本人」、何様なのよ。 午後5:18 · 2020年2月10日·Twitter Web App

人は、誰かが何かいいことを成し遂げたときに、
自分も同じカテゴリーに含めることができれば、
そのカテゴリーを強調したりする。

今回のパラサイトでのオスカー受賞者を
「同じアジア人」と言ってみたり、

ノーベル賞を受賞した、
日本に起源を持つが、現在は米国籍の人を
「日本人」と、誤った呼び方をして
括ったりする。

他方、犯罪者などは、本当に在日コリア人だったとして、
本名を暴いてみたり、

コリア系ではない人を執拗に、「在日」呼ばわりしたりする。

--

私が以前アラスカで、インディアン言語の調査をしていたときには、
私に好意を持っている人は、「お前はインディアン dinehだ」と言い、

それほど好意を持っていない人は、「外人(白人) nǫǫdlee」と
言ったりしていました。

これも、似たようなメカニズムによるものですね。

2020年2月10日

「みんな同じでみんないい」のか?

先日、ブログにこう書きました。

「みんな違ってみんないい」 ではなく、 「みんな同じでみんないい」 っていうのが、特に右寄りの人、保守層の目指す 日本の根本的な原理なんじゃないかと思ったりします。

(それが、日本会議のようなカルトや
 親学のようなカルト道徳に裏打ちされている
 可能性もありますが。)

この原理に従うと、やっぱり、一部の人の例外を認める
「夫婦別姓」や、「同性婚」はそもそも議論の俎上に
載せられないってことなんじゃないかなあと思っています。

このネモトを揺るがさないと、議論は進まないんじゃないかと
思っています。

このラインで、
「単一民族神話」や、
「万世一系神話」が
繰り返し繰り返し、特に与党政治家の口から
出てきます。

単一民族って、あーた、一般的な知識としても、
それも、日本の主要な人口、
即ち、アイヌではない和人、
ウチナーンチュ(等の琉球諸集団)
ではないヤマトゥンチュも、

元々いた狩猟最終民の縄文人に、
数の上でかなり勝る農耕民族の渡来人がきて
混血してできた人間集団であることは
常識的でもあるし、ちょっと調べれば
わかります。

(参照: DNA研究で「縄文人と弥生人」が分かってきた
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/jomon-man-dna_b_7601964.html )

渡来人の来る前の縄文人は、文化面と、形質面で、
中々下位区分をすることは難しいでしょうが、
それこそ記録にほとんど残っていないけれど、縄文人は、
どんな言語集団に分かれていたのかは、
想像することしかできません。
(ヤンフネンは、数百の言語に分かれていたと
 推測しています。)
(日本語の中にも、同じ意味を表わしていそうな
 語が2つ(あるいはそれ以上)あることが見て取れるという
 指摘もあります。それは多言語に起源が行き着く
 可能性を秘めています。)

純ジャパと俗に呼ばれることもある和人且つ
ヤマトゥンチュも、歴史に辿れる形で
混血民族です。

形質面では、縄文人と渡来人の特徴は異なるところがあって、
耳垢が湿っているか、乾いているか、
体毛が濃いか、薄いか、
背格好が低身長でずんぐりむっくりか、高身長で細身か、
二重瞼か、一重瞼か、
濃い顔立ちか、薄い顔立ちか、などなど、

多くの和人且つヤマトゥンチュも、
両方の特徴を、混ぜこぜに持っているでしょう。

最近、「純ジャパ・混ジャパ」などという
挑発的な用語を使って、炎上しちゃった案件が
ありましたが、その純ジャパってのは、
元々、わかっているだけで二つの集団が
混ざってできているものなのです。

我々が今知ることができる範囲を超えて、
もっと多くの集団が混ざっている可能性も
もちろんあります。'

こんな鼻濁音もあるのか

前川守賢 - 遊び庭(あしびなー)
https://www.youtube.com/watch?v=nf3Zh245Er0

今日のRBCiラジオ、「民謡で今日拝なびら」で、
出演者は、座喜味米子さんと、前川守賢さん。
(民謡で今日拝なびら | RBCiラジオ | 2020/02/10/月 16:00-17:00  http://radiko.jp/share/?sid=RBC&t=20200210160000

最初の曲、前川守賢さんの「遊び庭」を掛けた後に、

♪あしびなーに んな ゆてぃくー♪
(遊び庭に 皆 寄って来い(集まって来い))

の「んな」は、「んな [n̩ˑna]」であって、
「'んな [ʔn̩ˑna]」ではないって前川さんが
説明しているんだけど、

それに、座喜味米子さんが、「鼻濁音の「ん」ですね」
って応じていて、

「それを鼻濁音って呼ぶこともあるのか!」と
ちょっとびっくりしました。

じゃあ、声門破裂音がある[ʔn̩ˑ]の方は、
何て呼ぶんだろう。

正確に定義されるべき音声学用語ではなく、
市井の人たちの間で使われている言い方に
ちょっと興味を持ちました。

2020年2月 6日

エッセイ

1。
映画「his」を観てきました。
https://www.phantom-film.com/his-movie/

完全に同性愛者の実生活からは乖離した
フィクションとしてのBLではなく、
フィクションながら、ありえる話として、
ゲイを描いているように見て取りました。

しかしながら、宮沢氷魚が美しすぎて、
「3」次元の次元数が、小数点以下漸減して、
脳内で、「2」あるいは「2.5」に近づいてきてしまう
錯覚も、何度も襲ってきました。

最後は「こういう終わり方するか〜!」と思いました。
観た人が、各々、その後のストーリーを想像できるような
余韻のある終わり方だったなあ、と。

いずれにせよ、もはや「笑い飛ばされる対象」としてのゲイでも、
「非業の死を遂げる」ゲイでもなく、
普通に生活、それもど田舎で生活しているゲイを描いて
いたなあ、と。

私生活での宮沢氷魚も、私の前のブログで書いたように、
学習してアライになったのではなく、ネイティブなアライなのですが、
ど田舎で、思わぬ人が、これは学習してアライになった人なのでしょうが、
アライになっていくのが小気味よかったです。

--

2。
「みんな違ってみんないい」
ではなく、
「みんな同じでみんないい」
っていうのが、特に右寄りの人、保守層の目指す
日本の根本的な原理なんじゃないかと思ったりします。

(それが、日本会議のようなカルトや
 親学のようなカルト道徳に裏打ちされている
 可能性もありますが。)

この原理に従うと、やっぱり、一部の人の例外を認める
「夫婦別姓」や、「同性婚」はそもそも議論の俎上に
載せられないってことなんじゃないかなあと思っています。

このネモトを揺るがさないと、議論は進まないんじゃないかと
思っています。

--

3。

日本赤十字の、献血キャンペーンでの、巨乳キャラ
宇崎ちゃんに関する、フェミニストからの「違和感表明」
ばかりが目立っていますが、実は、赤十字が「甘く見ている」のは、
女性ではなく、ヲタク男性じゃないかと考えています。

赤十字は、「できれば、いろんな病気に感染している可能性の少ない
血液」が欲しいのです。

「二十歳の献血」もその一環だし、大学や学校によく献血車が
来るのもその一環でしょう。

私が想像するに、詰まるところ、ヲタク男性は、
ドーテーが多そうだから、「血がキレイそう」ってことではないかと
想像しています。

これは、「血が汚染されている可能性の高い」と彼らが思う
男性同性愛者を排除することと両極端をなしています。

これは、私のブログで書いた、「カテゴリー」による「区別」です。

「汚染されていそうなカテゴリー」よりは、「キレイそうなカテゴリー」が
好まれているという、そういう単純な図式なのじゃないかと。

--

4。
家父長主義、男性中心主義から、人権を重要視した多様性のある社会へ。

遅々として進んでいませんが、今の(西洋を中心とした)世界と、
その1つの末端である日本は、その変化の過程にあるのではないかと。

その変化の過程の中で、家父長主義、男性中心主義では問題と
ならなかった、様々な行動パターンが、「ハラスメント」と
認識されるようになってきているのではないかと、
(この辺りの社会的事情に関しては、私は学識のあるものではなく、
 ただ生活する一市民ですが)考えています。

--

5。
某大学の諸サークルで、同大の女子が排除されるということが
問題として報じられていました。

そのようなサークルは、他大学の女子は入部させることが多いようです。

これって、身も蓋もないことを言っちゃうと、
男子が、マウンティングできる相手の女子とじゃないと、
ちかしい関係になりたくないっていうことじゃないかと思います。
マウンタビリティーが大事なのです。

そんな、マウンティング・マインドの男子たちが多く
日本の国の省庁の官僚になっているんですよね。
女子に対してだけでなく、誰に対しても
「マウントを取らずにはいられない」人たちなんじゃないかと。

政府が旧態依然としていて、変革していかないことの
ネモトにはそんな事情もあるんじゃないかと。

それこそ、僕の「カテゴリーによる認識」ですが。

--

という僕は、その大学の学生・教職員になったことは無いですが、
ゲイであるという、30年以上前には、言うことも憚られる、
言えば必ずマウントを取られる「カテゴリー」に分類される
人間でしたから、他の属性で、マウンティングが取りやすそうな
ものを、意識的、無意識的に、身につけてきてしまったのではないかと
思い、ちょっと悲しくなったりもします。

--

6。
「間違い探し」という遊びがあります。

あれって、2つの絵を比べて、違っているところを
見つけるものですが、正確には、

「違い探し」

ですよね。決して間違えてるところは、1つも無い。

「違っているのは間違い」というのは、
上で書いた、
「みんな同じでみんないい」というイデオロギーと
連なっています。

--

7。
某ジャニーズのグループのラジオ番組を聴いていたら、
リスナーから募った「心理テスト」とやらをやっていました。

テレビ番組などでは、Fラン大学の心理学教員を連れてきて、
「専門家のお墨付き」を付けつつ、
「心理テスト」を放送したりしているわけですが、

もはや、人々は、そんな「専門性」すらも求めておらず、
「偶然」で「分類」されて、「ご宣託」を受けることに
快感すら覚えているのではないかと思わざるを得ません。

案外「バーナム効果」に浴してしまうことを
望んでいるんじゃないかと。

占いの御宣託に一喜一憂したり、
おみくじに一喜一憂したりしている人多いですよね。

「いや、それは、マジじゃないから」
「話題を作るためだから」

と、コッチがマジになって批判することを
いなす人たちもいますが、
実は、実のところ、かなりマジにご宣託を
受け取っている人も多いんじゃないかと思っています。

日本人の宗教観って、そういうトコロなんじゃないかと。

何千年の歴史を背負い、かっちりとした体系を持った
神学に裏打ちされたものを提供する旧来の組織宗教ではなく、

ランダム性によって出てくる、ご宣託や占いの方に、
「神秘さ」を感じて陶酔してしまうのではないかと。

(おみくじは、旧来の組織宗教の一部が提供するものですけどね。
 でも、それは何か神学に裏打ちされたものではないですよね。)

2020年2月 1日

カテゴリーによる差別

新型コロナウイルス 伊の国立音楽院「すべての東洋人へのレッスン中止」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story-coronavirus-france_jp_5e338415c5b69a19a4ac9d4f?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

カテゴリーによる区別・差別的扱いは何も珍しくない。

日本でも、「中国人」というカテゴリーを切り離すことによって、
今回の新コロナウイルスパンデミックを収めようとする
商人などがいる。

すべての「客」にウイルスチェックをすることは煩雑だし、
また、ウイルス量がまだ少ない感染者はチェックをスルーしてしまう。

だから、カテゴリーで切り離して、安心しようとする。

日本で、「中国人」を切り離そうとすれば、
イタリアでは、「東洋人」を切り離そうとしたって、
何も不思議ではない。

--

赤十字社は、未だに、男性同性愛者による献血を排除している。
当該の男性同性愛者が、お互いに決まったパートナーとしか
性行為をしない、閉じた関係であっても、
そんなことにいちいち関心を寄せず、

カテゴリーとして、男性同性愛者は排除している。

異性愛者は同様の排除は受けていない。

--

お給金をもらっている人が、商材となるウリ専ではなく、
客同士がお互いに商材となる、ゲイのハッテンサウナ、
某所のオーバン会館では、(今も続いているかわからないが)

HIVのパンデミックの初期に、「外国人お断り」という
カテゴリーによる排除を行った。

これも、全ての客に、ウイルスの抗体検査をすることは煩雑だし、
検査をしたとしても、感染から、陽性になるまでに、
3ヶ月から6ヶ月のウインドウピリオドがあるから、
徒労である可能性がある。

だったら、感染者が「多そうな」外国人を排除すれば、
日本人は安全、ということだったのであろう。

しかし、なんたる皮肉だろうか。

今や、同店は、日本人同士で、コンドームによる
感染予防をせずにいたしたい人たちが集まるように
なっているらしい。

それは利用者の、出会い系サイトでの呼びかけで
見てとることができる。

ここ数年で、やっとPrEPをする人も出てきたが、
大半は、PrEPをするわけでもなく、
ただ、コンドームによる感染予防をしない日本人であろう。

実情はどうであれ、感染者の館になっているように傍からは見える。

今や「HIVでは死なない」「U=U」などというスローガンも
あるが、様々なウイルスの亜型や、薬剤耐性を持ったウイルスに
複合感染をしたら、いろいろ厄介なはずなのにねえ。

2020年1月27日

ネイティブ・アライ、親密関係保護説

再び宮沢氷魚と「his」。

https://movie.walkerplus.com/news/article/220805/

1つ前のブログ記事には、radikoで「宮沢氷魚」でタイムフリーを
検索した結果が出ています。

数日で、今聞ける番組は聞けなくなりますが。

宮沢氷魚は、LGBTに偏見を持っていたのが、
当事者に出会うことによって、段々と偏見が無くなっていったという
習得アライではなく、

もっと若いときから、インターナショナルスクールで、
周りにカミングアウトをしているLGBTがいて、
それが当たり前であり、偏見を持ったことがないという、
ネイティブ・アライであるようだ。

(アライ [ally] というのは、LGBTQ+当事者ではないが、
 その人達に連帯する非当事者という意味です。)

そんな自分にとっては当たり前であるLGBTが、
世間の中では、自分とは比べ物にならない生きづらさを感じていることが
わかってきたという。

習得アライが悪いということを言っているのではないですよ。
でも、生育環境によっては、最早、偏見を一度も持ったことがない
ネイティブ・アライが生まれてくる時代になってきているということが
言いたいのです。

(以上、習得アライとネイティブ・アライというのは私の造語ですが、
 他は、ラジオ放送、ニュース記事で読み聴きしたものを
 要約しています。)

数年前に、ミュージカル「RENT」が日本で上演されて、
その出演者と、LGBT当事者が壇上にあがって
上演後トークをしていたことがあったのですが、
ある出演者が、「自分の周りにはLGBTはいないっす。
知らないっす」と言って、全く興味が無いようでした。
いやいや、その時の座組にいたじゃないの!
クローゼテッド・ケースではなく、オープンな人が!
みたいに思ったものでした。
そんな無知偏見者のような人たちも、
段々とpasséのものになっていくんでしょう。

(以上は、私の観察と意見です。)

閑話休題。

木村草太教授が、ラジオで、同性婚訴訟について話していました。

ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB | 文化放送 | 2020/01/25/土 13:00-14:55
http://radiko.jp/share/?sid=QRR&t=20200125132905
#radiko

(これも、1/25から1週間のみの公開です。それ以降は聞けません。)

まだ広がっていない概念ですが、同性婚訴訟を突き詰めていくと、
結婚の依拠するところに、2つの説が出てくると。

「親密関係保護説」と、「生殖関係保護説」。

生殖関係保護説とは、子供を作るカップルが結婚することを
保護するべきだという説。

親密関係保護説とは、親密な関係にあるカップルが結婚することを
保護するべきだという説。

よくよく考えると、従来からの異性婚であっても、
生殖することだけが保護されているのではなく、
結婚した2人の、様々な事柄が保護されている。

子供を持たない・持てないカップルもいるし、
血縁によらない養子を育てているカップルもいる。

そう考えると、生殖関係保護説だけを主張していると、
主張の基盤がどんどんと崩れ去ってしまう。

他方、親密関係保護説を取ると、同性婚をことさら
排除することに、根拠が無くなる。

政府はその辺りが(言語化されてはいないだろうけれど)
争点になることは望んでいなくて、
のらりくらりと、説明をせずにはぐらかし続けてきている
というのである。

(以上は、ラジオ放送からの要約とパラフレーズです。)

2020年1月26日

映画「his」を語る宮沢氷魚・アイヌ語工学

今、radikoのタイムフリーで「宮沢氷魚」で検索すると、
映画「his」

https://www.phantom-film.com/his-movie/

のことを語ってる番組が出てくるよ。

http://bit.ly/3aJffH4 <-- radikoのタイムフリー画面。
2バイト文字が入っているので短縮しました。

前世紀の、「ラ・カージュ・オ・フォル」とかの
「オネエをどう演じるかが難しかった」っていう
話でもなく、

Priscilla, the Queen of the Desertみたいな、
「女装ばんざーい!」でもなく、

「同級生」みたいに、非業の死を遂げるのでもなく、

BLみたいに、フィクションとしてお耽美するのでもなく、

もっと現実味のあるゲイたち(それもちょっと近未来型)の
葛藤しながら生きる生き様を描いているようである。

(まだ観てないですけど!<笑>)

ラジオ番組に出る、宮沢氷魚は、LGBTに偏見を持たない
育ち方をしてきたネイティブなアライに思えるけれども、
大人に近づくに連れて、LGBTはこの社会では
多くの生きづらさを感じざるを得ないということを
自分の周りの友人たちの中に、目の当たりにしてきた。

また、番組で待ち受ける側のパーソナリティーも、
番組の構成上なのかもしれないけれど、
(アライになる過程を全く見せず)
アライであることがハナから当然になっているのが、
ンン十年前には想像だにできなかった情景だなあと
感慨深いです。

早く観に行かなキャッ!

--

NHKラジオ第1の「NHKジャーナル」の
1/21の放送分に、

https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0045_01

「アイヌ語消滅の危機に立ち向かうポーランド人」

っていう報告があります。

ポーランド人の准教授と大学院生が、
「言語工学」の技術を使って、
アイヌ語を残そうとしています。

(我々文系の言語学徒にも、別方向から
 やるべきことはありますが。)

2020年1月 6日

gender、SOGIに関連して日本語でラベルが無く範疇化も無い事柄

ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオを聞いていたら、
「兄が妹に説明する」というストーリーの、
メタウォーターのCMがありました。

12:34 18秒ぐらいから始まります。

ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオ | 2020/01/06/月 11:00-13:00 http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200106123416

(放送から一週間以上経ったら、radikoでは聞けませんので、
 この番組の大体同じ時間(同じ曜日??)に探してみてください。)

これって、英語で言うところの、mansplainだなあと。
正しいか、正しくないかは置いておいて、
「男が女に説明する」という構図を、英語ではこう言います。

https://news.mynavi.jp/article/20131230-a030/

説明するというだけでなく、マウンティングをするということも
同時に行われています。

ラジオはテレビほどには人の関心を引きにくいということも
あるのでしょうけど、もし多くの人が知るところとなったら、
数十年前の、「私作る人!僕食べる人!」と同じくらいの
大問題になる可能性を秘めているCMではあります。

こういうmicroagressionは、もちろん男女間でのみ起こるもの
ではなく、様々な社会的関係の間で起こることでしょう。

(年上から年下へとか、高学歴からそうでない人へとかも
 あるでしょう。声の大きい人から、小さいへとかも。)

でもまあ、ステレオタイプ的に、男から女に行われることが
多いので、mansplainなんていうかばん語が英語では生まれています。

これ、日本語では、ラベル付けも、範疇化も(今のところ)
行われていないなあと思うのです。

--

よく、ゲイの出会い系の自己紹介文に、
「普段の生活ではノンケです」
というようなことばが並べられていることがあります。

それには、「隠しているだけで、ノンケ活動している
わけではないんじゃないの?」とか「オッパブとか
行ったりするのかよ?」というツッコミが可能なのですが。

まあ、普段の生活で、「ゲイであることを隠して生活している」
ということを端的に表わすことばが無いので、
「普段はノンケです」と、どうしても書いてしまう人が
後を絶たないのでしょう。

これも、ニュアンスはかなり違うかも知れないのですが、
英語でいうdownlowっていうのにカバーされているところも
あるかなあとか思ったり。

downlowというのは、主にアフリカ系北アメリカ人や、
ヒスパニックの人々の間で、「普段はノンケとして生活していて、
でも、ときどきホモ活動をする人たち」のことを指しています。

アフリカ系北アメリカ人や、ヒスパニックの場合、
性的指向はゲイであっても、異性結婚して異性と家族を
築いていることが多いので、それは、日本の「普段はノンケ」
っていうのとは違うかも知れません。

でも、普段はゲイであることを隠して社会生活を行っている
という、downlowの中心義に関して言えば、共通していると
言えます。

そこから第二義的に、異性婚をして家族を作るか、
異性婚はしないけれど、同性愛者であることをとにかく
ひた隠しにするだけかという違いは生まれてくるでしょうが。

(ところで、既婚ゲイというラベルがありますが、これは、同性婚がもし
 法制化されたら、意味が大幅に変わってしまう可能性の高い
 ラベルです。)

--

中国語に、同妻(Tóngqī トンチー)ということばがあります。

https://www.vice.com/jp/article/kzn4av/chinas-tongqi-the-millions-of-straight-women-married-to-closeted-gay-men

事情は様々でしょうが、不本意に隠れゲイ男性の妻になってしまった
女性を呼ぶことばです。

この「同妻」の側からライフヒストリーが語られたりすることは、
日本では、(すでに行われているかも知れないけど)私はまだ見たこと、
聞いたことが無いなあと。

そもそもそんなラベル付けも、範疇化もほとんど行われていないように
思えます。

そんな同妻、未来の同妻に目をやることって、日本ではまだまだ
少なく、逆に、そんな「被害者」のことは考慮に入れずに、
同性愛男性に「異性婚をしろ」という、家族や社会からの
プレッシャーだけは存在するなあと。それはひいては、
「同妻」という被害者を作ることでもあるのだけれど、
それがほとんど意識されていないというのが日本の現状なのでしょう。

2019年11月 4日

Men's Idol再考

先日は青土社だけを責めてしまった
「Men's Idol考」でしたが、
http://vakxsergiev.blog68.fc2.com/blog-entry-5395.html

カタカナの「メンズアイドル」で検索したら、
ゴマンと出てきますね。

と言うことは、これは、社会学、カルチュラル・スタディーズ界隈とか、
青土社が編み出したものではなく、日本では、既に定着しているんですね。

これは、従来からの用語で言えば和製英語だし、
最近の応用言語学の用語で言えば「中間言語」でしょう。

ただ、和製英語というのは、完全に日本語という
システムの中の一部分であるのに対し、

「中間言語」と言うのは、外国人(ここでは日本語人)が
英語(などの外国語)を学ぶ際に、正しい形を
学び損ねて産出する誤用の束のことですので、
厳密には違う物です。

先日のブログでは、Men's Idolという表現が生まれた
幾つかのプロセスを推定しました。

再度、それを整理し直してみます。

どれも、英語を学ぶ日本人が産出したものであれば
「中間言語」でしょうし、

単に、日本語のシステムの中にある、外来語のそのまた
一部だとすれば、外来語(但しローカライズされたもの)
ということでしょう。

「仮説1」
日本語話者が、英語を学ぶ際に、「の」と「's」の違いに
気がつかないで誤用をしてしまったという説です。

前のブログのように、日本語の「の」には、同格(apposition)
用法というのがありますが、英語では、同様の同格を表わすのに
「's」は使わないということです。

(1) 看護師の女性

(2) *nurse's woman

というのは誤訳であるということです。

より自然な翻訳の1つは、

(3) a female nurse

でしょう。

Men's Idolに戻ると、「MenであるところのIdol」という
お積もりだったのかな?というのが「仮説1」の推測です。

それでも、複数形のidolsになっていないのは、
もし、これが本チャンの英語として使っているつもりの場合は、
尚、痛々しいです。

「仮説2」

メンズはもはや和製英語であって、「複数の男性」を
意味する言葉として定着しています。

もはや、ほとんどの用例では、「's」の属格的な意味は
出てこないです。

英語にはない、「ボリューミーな」とか、「エンカウント」なんかと
同じ類の物です。

となると、「's」を使わない、英語の同格表現っぽく
和製英語を繋げて、

(4) メンズ(であるところの)アイドル

ということなのではないかと。

どうしても英語に近づけたい私は、

(5) *メンズ・アイドルズ

じゃないか?とも思うのですが、どうやら、
メンズは、メンズとしてしか使われず、
複合語の一部をなす場合を除いては、「メン」すら
自立した名詞としては、和製英語では
使わない感があります。

他方、アイドルの方は、複数のマーカーを付けた
「アイドルズ」の方が使われていなくて、
アイドルが、単数・複数のどちらともとれる文脈でも
使われるのでしょう。

和製英語では、単複両方が揃っていることの方が
おそらくは少数派で、

子供は、キッズですね。キッドは稀です。

女性は、ウーマンと、ウイメンが揃っている例外です。
更には、ウイメンズまであります。

レディーと、レディース(レディーズではない)
は意味が分化しているかも。

レディーは、淑女の意味で、

レディースは、女性ものの衣服か、(過去の)女性の珍走団の
ことでしょう。

ということで、メンズアイドルとは、和製英語で、
メンズとアイドルを同格で繋いだものなのでしょう。

その際に、「ズ」は、日本語の「の」っぽいものかな?
と意識する人もいるだろうし、そうではなくて、
メンズ(複数の男)の一部だと考える人もいるでしょう。