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話の内容ではなく、他のところに注目すること

家人が、外国人がラジオで日本語を喋っていると
訛りを真似しだすと何度か書きましたが、

その経緯は、想像ができます。

1つ目は、話の内容に興味が無い。
あるいは、訛りが気になって、内容が入ってこない。

ってことで、訛りを真似するって言う「遊び」を
してしまうんでしょう。

本人に面と向かってはしないんだろうけど、
本人に面と向かってしてしまったら、
アジア人に対する、ching chang chongと
同方向になってしまうし、シボレテにも
近くなるので、やっぱり差別性は孕んでいる。

「訛りが気になって内容が入ってこない」っていえば、
政治家さんが、記者会見で、日本語が母語でない
外国人の記者による日本語の質問に対して、
「Do you speak/understand English?」
みたいな返しをしたことがありましたよね。

それも同様の理由、且つ、外見で判断したのかも
知れない。

むかーし昔のことなのですが、実家のテレビで
ドラマを見ている時に、父に、

「よくあんなに長いセリフ覚えられるよな。
 俺にはできない」

って言われて、「なんでそんなこと言うの?」
ってしばしば思っていたのですが、

それも、「内容に興味が無い」か、
あるいは、「内容を聞こうにも、長いセリフを覚えている
ことの方がフック(異化)になってしまって、
聞けなくなってしまった」ってことなんでしょう。
今考えれば。

僕は、橋田壽賀子が俳優に言わせている、不自然に長い
セリフだろうが、内容を聞くことに興味があったので、
「いや、そんなことに同意を求められても...」と
思っていたのでした。

言語の訛りに関しては、日本語ででも、英語ででも、
他の言語ででも、非母語話者との交流を普段から
している人たちは、そんな「フック(異化)」に
引っかかったりはしないんですけどね。
あるいは、引っかかりそうになっても、
反応はできるだけ抑えようとする。

普段、そう言うことをしていない人たちは、
「フック(異化)」に流されちゃうことも
あるんでしょうね。

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2023年7月 3日 12:55に投稿されたエントリーのページです。

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