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2023年9月 アーカイブ

2023年9月20日

お気楽極楽

「女には任せられない」というのも、
「世襲なら安心」というのも、
「女系天皇は認められない」というのも、
「純ジャパ以外は日本人じゃない」というのも,
「ノーベル賞を受賞した日系米国人は日本人」というのも、
「顔で投票して何が悪い?」というのも、
「元アイドルに投票して何が悪い?」というのも、
「朝日健太郎に投票して何が悪い?」というのも、
「吉村はんようやったはる」というのも、
「障害者は足手纏い」というのも、
「少数者の権利主張は鬱陶しい」というのも、
全部根っこは一緒。

Fact or opinion? fact or myth?

アメリカ合衆国に行き始めてから、数十年の間、現地のメディアや親が、子供に一貫して問う問いがあった。

(それは)
Fact or opinion?
(事実か意見か?)

(それは)
Fact or myth?
(事実か神話か)

そのように、小さい時から、「何が事実か」ということを考えさせる訓練をしているのだなあと、感心したものだった。

神話というのは、ギリシア神話とか、日本の創世神話とかいうものではなく、「人々によって広く信じられているが、事実ではない事柄」のような意味である。

この「事実か否か」という境界が、最近意図的にblurryにされていて、わからなくなってきている。

「ポスト真実の政治(Wikipedia)」
https://bit.ly/46kEFXy (漢字等が入るので短縮しています。)

というのが広まっている。

もはや、事実がどうかというのは蔑ろにされていて、「言ったもん勝ち」、「広めたもん勝ち」な感じになってきている。

これは、米国のみの問題ではなくなっていて、

そもそも日本では、事実か否か?というものを子供達に考えさせる訓練などしてきていないも同然だが、

「広く信じられていれば『真実』」という風潮は、米国に劣らず、かなり根強く根付いている感がある。

関東大震災時のデマによる朝鮮人の大虐殺は史実なのだが、それを否定したり、薄めて重んじない国会議員、地方自治体の首長がいる。

これは、米国で、「Black lives matter」の標語を伴った運動が広まったときに、それを打ち消すかのように「All lives matter」を言い出した人たちにも似ている。全ての人の命が大切なのは当然なのだけれども、権力によって差別的な待遇を受けていたのはアフリカ系アメリカ人なのだから、そこから目を逸らさせようとする動きは、やっぱり政治的に正くない。

ただ、実証可能な事実よりも、多くの人が信じる「真実」を支える土壌は米国にある。それは、宗教が強いことと、宗教が政治と分離していないことにも依ると思われる。

宗教的な信仰の対象というのは、多くの場合、科学的に実証可能なものではなく、古くからの神学者や修道者の言葉や、教派によっては最近の神学者の言葉が「納得できるもの」であるから信じられている面がある。

そこに、(神学者らによるものではないが、)実証不可能な「真実」や「ポスト真実」が入り込む余地がある。

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ドイツでは、ナチスの犯した様々な罪を学習することができるために、ナチスの遺構が残されていて、人々が訪れて学習することができるようになっている。

ドイツの「ARBEIT MACHT FREI(労働が自由にする)」というアウシュビッツの標語は(ポーランド領内ではあるが)今でも見ることができるが、

日本の福島での「原発は明るい未来のエネルギー」という標語は、現地の住民たちの意向によって、取り除かれてしまった。

ケガレを消し去るかのように。

同様に、オウム真理教のサティアン群などは、歴史的学習の場として残せば良かったのに、全て取り壊されてしまった。

上九一色村という地方自治体すら解体分割されてしまった。

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日本では、そもそも「事実か否か」ということを子供に問うということはあまりされていないと思われるし、既成の大宗教が大きい力を持っているわけでもない。

その曖昧な状況の中で、しかしながら、広めたもん勝ちな風潮は、声の大きな人たちによって加速されている。

それはテレビなどに出ている人だったり、
インフルエンサーと呼ばれる人だったり、

国というか、政権与党もそのような手法を使っていますよね。史実ではない「江戸しぐさ」を広めようとしたり、第二次世界大戦中の史実を教科書から抹消したりして。

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それから、大学等の研究機関に所属していない「研究家」がメディアに露出していたりします。その人たちの特徴は、自分の考えついたこと、発見したことと、先人による記述を丁寧に選り分けるという作業をしないことなどです。(発表メディアの制約にもよるでしょうが。)

(研究機関に所属していても酷いセオリーを垂れ流す人はいますけどね。)

また、番組などのコメンテーターも、タレントが使われたり、また大学所属の研究者であっても、自分の専門のことしか発言しない人よりは、縦横無尽に、様々な「意見」、それも番組制作側が言って欲しいことを言ってくれる人の方がもてはやされます。

アダルト不快語よしなしごと

アダルトGなよしなしごと、及びそのほかの不快にさせかねないことを書きますので、不快になるかも?と心配な方は、下を読み進めないようにしてください。


1. GMPD顔専っていう人がいた。ジーエムピーディーかおせん(LHHHHHH]L LHHH=)ってことなんだろうけど、ちょっとした拍子に、ジーエムピーディーがおせん(LHHHHHHHHHHH=)と読んでしまった。前者は、GMPD専門かつ(イケてる)顔専っていう意味だと思うけど、後者だと、(身体がGMPDかどうかは大事ではなくて、顔が)GMPD(っぽい)顔の人専門っていう意味になりそうです。

どうでもいいことでした。

GMPDとは、ガチ・ムチ・ポチャ・デブの頭文字語で、その界隈の人には、それぞれ違いがあるそうなんですが、遠い人から見ると、「全部おんなじじゃん」となるやつです。

2. G界隈の社会方言で、スジ筋とスリ筋という用語がある。前者は、そんなに沢山筋肉のついたボディービルダーみたいな筋肉質ではなくて、一見細く見えるけれど、脱いだら筋肉質な、「スジばった筋肉質」という意味です。(昭和か、平成初期の用語でしょうね。最近あまり聞かないです。)後者は、それよりも更に細めな「スリムな筋肉質」という意味です。(こちらはまだ聞きます。)

外界の用語だと、ソフトマッチョとか言うやつでしょうかね。また、ボディービルディングの中でも、最近別立てで競われているフィジーカーに近いでしょうか。(でも、競技に出ているフィジーカーは、スリ筋、スジ筋という人たちよりは、もっと沢山筋肉つけてらっしゃいますけどね。

それはそれとして、スジ筋とスリ筋って、子音が一個違うだけなので、子音が一個違うだけのオノマトペのペアなんかと同じ効果も兼ね備えたペアだと思うのです。バリバリとバキバキみたいな。

3. 最近の若い人の言葉のツイートかポストで、「クソ食った」というのがありました。これは、(LH H]LL)で、「クソ」は強めの副詞的な要素ですね。「沢山食べた」という意味です。

もしこれを、(LH]LLL)と発音しちゃうと、名詞の「糞」が指し示すものを食ったという意味になります。

前者は、「クッソ食った」と、促音を挿入することができますが、後者ではそれができません。

また後者では、「クソー食った」と、「ソ」を伸ばすことができます。これは、「を」が発音されているとも考えられるし、目的語を表わす、母音の長音化とも考えられます。この長音化は、副詞の場合できません。

4. 「境界を曖昧にする」
境界を曖昧にする、あるいは、境界を繋ぐ架け橋的なものを創出するということが行われています。

1つは、「健全な」と言われるマッサージと、ガチでフーゾクと捉えられる売り専を繋ぐもので、マッサージ(最後のリフレッシュあり)というやつです。リフレッシュ(あるいは稀にハッピーエンディング)の内容、時間的割合がどの程度になるかは、お店によって、また施術者によって違いがあるようです。

とはいえ、家族やパートナーなどに、「マッサージに行ってくる」というのは、「売り専に行ってくる」というよりは、かなり軽く言いやすいのかな?と思われます。

それとは別方向なのですが、最近、パーソナルトレーニングで、トレーニングした後にエロなご褒美があるという業態が出てきています。これは、「トレーニング業界」の業態から広がってきたものかな?と当初思っていたのですが、いや、もしかしたら違うかもと考え始めています。

最近は、これはフーゾクの中での、シチュエーションで特化したフェティッシュをお持ちの方向けのサービスなのではないかと。

とはいえ、これも、パーソナルトレーニングと謳っていますから、家族やパートナーには、「パーソナルトレーニング行ってくる」と言えますね。w

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