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畑とコンクリート

ピエリア・エッセイ

出町 一恵

 数年前の夏、自宅のベランダから見える教会の広い庭の一部が突如、野菜畑と化しました。酷暑の中、腰の曲がったシスターが水をやり雑草を抜いて手をかけていましたが、思えばロシアのウクライナ侵攻やらエネルギー価格高騰やら、欧米での利上げやらで円も弱くなり、頑固だった日本のデフレマインドも剥がれはじめ、買い物に行く度に物価が少しずつ上がっていくのを感じ始めた頃でした。緑地が食料生産のための畑に転じるとは、なんだか戦時中のようだと感じたものです。

 世の中の状況がどのように揺るごうと、自分と周りの人間が食べていくために工夫するというのは、豊かな国でも貧しい国でも人々が考えることです。家庭菜園をライフハックと呼べるか定かではありませんが、家の敷地の片隅でトマトを育てる、台所の窓辺で育てたハーブをパスタに入れるなどと考えれば、お洒落なライフハックに聞こえなくもありません。そういえば、2018年、金融危機の折に訪れたガーナでは、友人が家の裏庭にプランテンバナナの樹を植えたのだと自慢げに見せてくれました。

 GDPやFDIといった数字はともかく、人々が毎日十分に食べられることが豊かになるということでしょう。開発経済学と開発援助という実務分野は密接にかかわっているのですが、しかしどちらも「豊かになることを助けてくれる知恵」とはかけ離れたものになってしまいました。開発経済学という学問分野には様々な思想と政治的背景が流れ込んでおり、国や時代によってその力点は異なり、学派と呼ばれるものも多くあります。

 ロレンツィーニの『グローバル開発史』によれば、戦後の開発援助政策を支え、またそこから強く影響を受けた学問分野が近代化論・経済成長論です。冷戦下の「開発」すなわち「発展」は、東においても西においても「近代化」であり「工業化」でした。新しい技術と大量資本を用いた、国家主導の大規模なダムやコンクリート道路建設が、戦後しばらくの間は開発の代名詞でした。「豊かになるためには大金が必要です、お金がなければ借金しましょう、私たちのやり方を信じれば幸せになれます。」……政治と思想が絡んだ経済開発は、ライフハックどころかちょっと不穏にも聞こえます。

 近代化論への批判が高まった1960年代終わり頃には、開発と自然環境の関係や、人口と食料についての議論も出てきました。ブラウンの『緑の革命』は、高収量品種や肥料を使った近代農業の普及による食糧生産増大に焦点を当て、人間の胃袋を満たすという視点で開発を考えています。しかしこちらも、ライフハックどころではない、国家規模の農業技術導入の話です。スコットが『モーラル・エコノミー』で描いたような農業近代化以前の農民たちのリスク回避の知恵と行動は、食料生産効率向上の目標によって塗り替えられていきました。

 ちなみに、教会の菜園は高齢のシスターの手に負えなくなったのか、ときたま外国人の若者が手入れに来るようになりましたが、あまりに強い陽射しと気温の高さに作物は萎び果て、そのうち畑は重機で均され、コンクリートの広大な駐車場に変わりました。より高い利便性を求める人間と気候変動の前に、ライフハックは手も足も出ないのかもしれません。

出町 一恵(でまち・かずえ) 総合国際学研究院准教授 開発経済学

文献案内

サラ・ロレンツィーニ『グローバル開発史――もう一つの冷戦』三須拓也、山本健訳、名古屋大学出版会、2022年

レスター・R・ブラウン『緑の革命――国際農業問題と経済開発』逸見謙三監訳、農政調査委員会、1971年

ジェームス・C・スコット『モーラル・エコノミー――東南アジアの農民叛乱と生存維持』高橋彰訳、勁草書房、1999年

ピエリア pieria 2026年春号
特集「不穏な時代のライフハック」第Ⅰ部 視点の在処 掲載

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