不穏な時代のライフハック
ピエリア・エッセイ
巽 由樹子
国外出張に、やむをえず一歳の子供を同伴したことがある。乳児の旅に何が必要? 食べられる物は? 私一人で安全に連れ帰れる? 悩んで悪夢まで見る中で、これ、引き揚げの練習になるかな、と思った。突飛に聞こえるだろうが本気だった。祖母が引き揚げ経験者だったからだ。
祖母は終戦の年、六歳、五歳の男児と一歳の乳児(私の父)をワンオペで連れて、中国大陸から山口県の仙崎港に帰還し、鉄道を乗り継いで神奈川県の義実家に戻ったらしい。詳細は語らなかったが、後年、たとえキュウリ一皿を分け合うにも一本単位で代金を求める厳格さに嫁(私の母)を震え上がらせ、また、はるばる帰着した際の義実家の態度に温度差を感じて、終生にわたり不和となった。大人たちが「彼女は引き揚げで性格が変わった」と言うのを聞いて、何があったのかと幼時の私は恐ろしく思った。
後に引き揚げについてつぶさに教えてくれたのが、藤原てい『流れる星は生きている』だ。満洲在住の彼女は一九四五年八月九日のソ連参戦の日、一人で六歳、三歳、〇歳の子供を連れて日本への逃避行を始めざるをえなくなる。無蓋列車で朝鮮半島に下るものの北部の町で長く足止めされ、やがて半死半生で三十八度線をこえると米軍の送還事業で博多港に帰着し、信州の実家にたどり着く。裸足での逃避行で足裏に小石が食い込み化膿していく有様など、痛ましい局面は枚挙に暇ない。とりわけ印象に残るのは、子連れの母親が受ける悪意だ。共に帰還を目指す人々が、子供がうるさい、汚い、臭いと母親を糾弾し、食糧分配を減らし、隙をついては母親の持ち金を詐取しようとするのだ。先が見えない引き揚げの不安の中で、子連れは(そして老人や障碍者も)ターゲットとなる弱者だった。おそらく祖母も、そうした悪意を経験したのだろう。
近年は相次ぐ災害で、私が出張を逃避行の練習に結びつけたのも必ずしも空想ではなくなり、子連れ避難が防災マニュアルでとりあげられるようになった。東日本大震災等での逸話を集めた冨川万美『子連れ防災BOOK』(祥伝社、二〇二四年)や、天災からテロ、ミサイル攻撃までを想定する『東京防災』は、子供の同伴に役立つ持ち物、家族ばらばらの被災を想定した事前の取り決め事項、便利なアプリ等を紹介する。こうしたライフハックは、災害の多発どころか「新しい戦前」とまで呼ばれる時代に生きる私たちが、要領よく備えることを可能にする。ただしマニュアルは、見通しの立たない不安に陥ったときに、普通の人々が他者にどう悪意を持つかは教えてくれない。それへの想像力を兼ね備えるには、藤原ていの手記が、あるいは他の本が助けになるのではないか。
けれど、悪意を抱くことから逃れる方法はないのだろうか。ここで民俗学者・宮本常一の回顧録に触れたい。生涯にわたり各地を旅した宮本は、大戦中も農村や開拓地を回っており、北海道から東京まで五日間の鉄路で水しか飲めない経験もした。だが、先が分からぬ恐怖には見舞われていない。財界の要人で、後に日銀総裁と蔵相も務めた渋沢敬三が、自身の援助で研究していた宮本に見通しを示していたからだ。渋沢は日中戦争の時点で「収拾をつけることのできる政治家も軍人もいないから、おそらく近いうちに世界大戦になるであろう。そうして日本は敗退するだろう。……敗戦後に対してどう備えていくかを考えなければならない」と告げた。そのための食糧確保を目指して宮本は旅をしていたのである。
的確な情報は不安を抑制し、そこから生じる悪意が他者を排斥することにも一定の歯止めをかける。もちろん国家中枢から情報を得る機会は滅多にない。でも、本は手が届く情報源として、ここでも助けてくれる。収録されているのは様々な経験、工夫、法則、技術、感情、ユーモア――いわば人類多年のライフハックである。この特集は数々のその読み方をお届けする。そこには、不穏な時代に、私たちが自分を失わずに生きるヒントが見つかるかもしれない。
巽 由樹子(たつみ・ゆきこ)総合国際学研究院准教授 ロシア文化史
文献案内
藤原てい『流れる星は生きている』改版、中公文庫、2002年
『東京防災』東京都、2023年
宮本常一『民俗学の旅』講談社学術文庫、1993年
ピエリア pieria 2026年春号
特集「不穏な時代のライフハック」第Ⅰ部 視点の在処 掲載
