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清算されない負債 ―ミャンマー山地民の「 支援 トッ」の仕組み

ピエリア・エッセイ

生駒 美樹

 「借りたもの(負債)を返さない」ことよりも「貸したものを返すよう求める」ことが不道徳とされる社会があると聞いたらどう感じるだろうか。「負債は返さなければならない」という常識が根づいた社会で育ってきた多くの人にとって、この考え方は奇異にうつるかもしれない。しかし、「借り(負債)」を清算しないことで、人びとの関係を結び、強化し、生存を保障することがある。

 私が調査を行ってきたミャンマー北東部のシャン州ナムサン郡は、標高1500〜2000メートルの山地に位置し、住民の多くが少数民族タアン人である。ナムサン郡はミャンマー最大の茶産地として知られ、村の斜面一面にチャ園が広がり、収穫期には朝から晩まで人びとがチャ摘みをする。この地域で人びとの暮らしを支えているのが、「支援(トッ)」と呼ばれる仕組みである。

 「支援」とは、チャ園を多く所有する農家が、チャ園を持たない、あるいは小規模なチャ園しか持たない世帯に、米や油、石鹸、少額の現金などを無利子・無担保で渡すことである。「支援」を受けた側は、その農家のもとでチャ摘みに従事し、その報酬で「支援」を受けたことによって生じた負債を返していく。このように「支援」は、チャ摘みにおける労働力確保と労働者の生活保障を同時に実現する仕組みである。

 「支援」にかかわるやりとりはすべて貨幣価値に換算され、農家の負債帳簿には「ワーガウン月(ミャンマーの暦)白分13日/米/1袋/25,000チャット/ピューさん」といった記録が詳細に書き込まれている。そのため一見すると商業的な関係のようにみえるかもしれない。しかし、興味深いことに、この負債はいつまでたっても清算されることがない。数十年にわたり清算が行われていない例も珍しくない。

 彼らにとって帳簿は、返済を迫るためのものでも、負債を清算するためのものでもない。年に4回ほど、農家と労働者は一緒に帳簿を広げ、そのシーズンの収支を確認する。黒字になる世帯もあれば、赤字のまま終わる世帯もある。それでも、黒字分が現金で支払われることも、赤字分の返済を求められることもない。農家は、「負債を返してと言うなんて、恥ずかしくてできない」と言う。労働者世帯は貧しいからこそ「支援」を頼んでいるのであり、返済を求めることは、その生存を脅かす行為だと受け止められる。だから農家は、労働者世帯の負債が膨らんでいても追加の「支援」を断ることはない。もし断れば、「冷たい人だ」という評判が立ち、労働者が他の農家のもとへと移ってしまいチャ摘みの労働力を確保できなくなってしまう。このように「支援」は、貧困世帯の最低限の生存を保障する強固な仕組みである。負債は帳簿に残るが、それは関係が続いていることの証しでもある。

 このような清算されない負債のあり方は、スコット(1999)が『モーラル・エコノミー』で描いた共同体の成員すべての生存を最優先する道徳と重なる。また、「他者を信じ、他者に負う」営みの可能性を追求する『負債と信用の人類学』(佐久間寛編 2023)の議論とも通底する。松村圭一郎(2021)の『くらしのアナキズム』が描くように、国家の制度に頼らず日常の実践で秩序をつくる営みもここに通じている。

 現代の私たちは「借り(負債)をつくらないこと」「自立すること」を求められがちだ。しかしタアンの人びとは、あえて清算しない負債を抱え込みながら、互いに生きてきた。ここでは負債とは、清算すべきものではなく、将来の支え合いにつながるものである。貸し借りの網の目の中に身を置くことこそが、生存のための戦略となる。「負債を清算しないこと」は、不確実な時代を生きるためのライフハックにもなり得る。

生駒 美樹(いこま・みき) 世界言語社会教育センター講師 ミャンマー地域研究

文献案内

ジェームス・C・スコット『モーラル・エコノミー――東南アジアの農民叛乱と生存維持』高橋彰訳、勁草書房、1999年

佐久間寛編『負債と信用の人類学――人間経済の現在』以文社、2023年

松村圭一郎『くらしのアナキズム』ミシマ社、2021年

ピエリア pieria 2026年春号
特集「不穏な時代のライフハック」第Ⅰ部 視点の在処 掲載

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