2026年6月29日

身体と声とハーモニー

2026年6月もあとわずかとなった。日本列島はなぜか梅雨の最中に二つの台風の襲撃を受け、27日(土)に予定されていた終日授業(博士後期)が半分オンラインに変更され、半分キャンセルとなった。このところ休みもあまり取れずヘロヘロだったが、そんなわけで少し余裕が出て、28日(日)は身内の出る合唱の発表会を聴きに、花束を抱えて流山市文化会館へ行ってきた。
 合唱連盟設立30周年、市制施行60周年とのことで、土地の歴史をモチーフにした歌など、なかなか趣向を凝らした発表会であり、指揮者や関係者の方々、歌う人びとの楽しさや情熱が伝わってきて、とてもよい会であった。第二部には市の少年少女合唱団の歌も披露された。これが、子ども社会から遠く離れた(大学生とは長年つきあっているが)当方には、なかなかびっくりで、また面白かったのである。
 中高生かと思しきメンバーがすでに大人びた声音で披露してくれたのもよかったが、さらにその前列に並んだ小学生もしくは小学校に上がる前?かとも思しき数名の合唱隊の声音が、後列のお兄さん、お姉さんたちの歌声とは明らかに異なっており、うまく形容できないのだが、ああ、子どもの声はこんなハーモニーを生み出すのだ、子どもはこんな風に育ち、身体の大きさや体格の成長とともにこんな風に声が変わっていくのだと、しみじみ感じたのである。お兄さん、お姉さん世代も含めて子ども合唱隊の一人ひとりがそれぞれリズムを感じ、身体を揺らしながら真直ぐな瞳と真直ぐな声でのびやかに歌うのを聞くことは、どんな理屈にも優る人間賛歌への導きである。いやー、人間社会に希望があるとすれば、子どもたちの未来にこそである。ごくありきたりな結論に深く感じ入り、幸せを感じた休日であった(笑)。合唱団のみなさま、実行関係者のみなさま、素敵な音楽会をありがとう!

2026年6月14日

失われた5月(笑)

なかなか拙ブログをコンスタントに書き進める調子が出ないが、GWから5月の下旬までは、博士論文の審査(本審査の前に予備審査・事前審査というのがあって、少なくとも二度、読まなければならない)が4つとか、他にもいくつか必要あって博士論文やその草稿をいくつも読まなければならず、ほんとうに時間がないないと言っているうちに時が過ぎてしまった。よくあることだがそうした時期がようやく終わって一息つくとぶっ倒れ、回復して気がつけば、ええっ?!6月もなかばにさしかかっている。来週は夏至?! 夏に至るってか?! うああああああ

5月なかばには亡父の十三回忌の法要に、母、姉とともに無事、高野山に行ってくることができた。振り返れば、この十二年間、この世とあの世のあわいを見つめ、形の見えない何かにもがきながら、生の再調整に必死で取り組んできたのだった。喪の仕事は故人のためではなく残された者たちのためのものだと言われるが、あらためてこの一区切りが、思いのほか大切であったと感触している。平たく言えば、ようやく少し元気を取り戻したかもしれないということである。いやはや、遅っ!
5月下旬には2026年のセネガルのTaverskiの祭(一家に一頭の羊を買ってきて、家族や隣人たちと一緒に食したりするイスラムの祭、という粗雑なまとめにて失礼を)があり、昨年は6月の上旬で一緒に過ごしたね、懐かしいねと、ダカールやメディナ・サバの友人たちと連絡を取り合った。ほんとに懐かしい。共同研究はなかなか順調にとはいかないが、人と人とのつながりは、手間暇かけて心をこめてつくればそれなりにできてくるものだ。そろそろ「思想史」的にも本腰を入れ、今年度の終わり頃に予定している国際シンポジウム(3月15日から17日と、日程だけはしっかり決まっている)に向けて準備を進めたい。
世界の状況はどんどんとんでもない方向に進んでおり、がっかりしたり腹立たしかったりすることは多々あるが、まーそれでもとにかく、身近な人びととの何気ない交わりにふと勇気をもらったりしながら、日々は続いていく。とまとめておこう。うぬ。

2026年4月29日

年度末出張から新学期の怒涛の日々...

3月末にセネガル出張し、帰国するやいなや新学期が始まった。出張先で撮った写真を整理する暇もなく怒涛の日々が続いたが、GWでようやく一息つけた。ほっ
ダカール大との共同研究やメディナサバとの信頼関係は少しづつ進捗しているが、それは別建てのHP(https://wp.tufs.ac.jp/lma/)で、また報告したい。 この4月から外大に新しく赴任されたH先生にも共同研究へ入っていただき、「生態学と思想史」のアプローチで考えてきたことを、少しづつこちらと接合していけたらと考えている。
そういえばその流れでもあるが、カメルーン出身の思想家アシル・ンベンベ『地球共同体』の書評を『週刊読書人』に書かせていただいた(4月17日号)。そのきっかけで、期限が切れてそのままになっていた定期購読を再開した。同じく書評誌として二大看板(かつてはもう一紙あって三大看板だったそうだが)だった『図書新聞』が先の3月で終刊となってしまったので、最後の書評誌を、そして本を読む文化の存続を少しでも応援したい!とはいえ『週刊読書人』の購読は、紙版とウェブ(これは資料的価値が高い!と判断)のセットを申し込んだが...。

2026年3月24日

いくつもの旅立ちを送る

「暑さ寒さも彼岸まで」をかろうじて保ってようやく春らしくなった先の連休、20日は外大の卒業式であった。桜は開花したもののあいにくのお天気。しかし華やかな晴れ着姿の卒業生たちは晴れやかに、学びの日々から旅立った。おめでとうございます。身体を大事に、自分の生を歩んでいかれたし!

翌日は高校時代の恩師の通夜。今月の初め頃から急に体調を崩され、あっという間に逝ってしまった。昨今は通夜といっても夜通しどころではなく、受付仕事やら何やらで忙しいうちに、これまたあっと言う間に終わってしまった。樺太生の95年間は、数々のことがらに立ち向かい抗い、書き続けた人生であった。先生ほんとうにお疲れ様でしたと思うばかりである。

その翌日は、現役のままに早逝した同僚の米谷匡史さんを「偲ぶ会」。企画者の一人としてささやかな会を準備したが、当日は150人近くの人びとが集い、20人ほどの方々が故人の横顔や思い出を語った。業績一覧を共有し、冒頭では仕事の全貌を整理した報告がなされ、研究仲間やゼミ出身者が数多く参加して、さながらご本人不在の最終講義のようだったが、現役ゼミ院生たちが音楽や写真で彩りを添えてくれた。たぶんご本人の魂(マブイ)が来てていますよねという、とある方のお話しに深く頷き、喜んでもらえたかなとひっそり願った。

2026年3月17日

生態学との対話(少しカタい話)

短い2月はあっと言う間に終わって、3月もなかばすぎである。この間にあったことで書いておきたいのが、「思想史と生態学の対話」、すなわち2月のなかば過ぎに(拙ブログとの関連では徳島出張の直後に)行われた小さな、しかしとても充実した研究会のことである。午前中は神戸市外大のO先生が字幕を入れたドキュメンタリー『なぜ新型ウィルスが次々と世界を襲うのか:パンデミックの生態学』(2022年、フランス、マリー=モニク・ロバン監督)を観て、午後は思想史研究者と生態学研究者が短い報告を重ねた。映画はたいへんに面白く(そして生態学者たちの評判も上々で)、午後の諸報告テーマは多岐にわたり時間は限られていたものの、かなり興味深い議論が交わされた。
事の起こりは昨年2025年10月の社会思想史学会のセッションで、数理生態学者リチャード・レヴィンズの仕事を思想史側が受け止める試みであった。これも小規模ながらなかなかに面白く、そのときに聞いてくださった方々ともう少しゆっくり話そうということになった。それで今度は生態学の専門家とご一緒に、となったのだ。すこしづつ歩みを進めて、いつか何かの形にできたらと願っている。

研究会報告の一つが、最近刊行されたばかりの『マングース・ヒストリー:ひとつの島を守るということ』(東京大学出版会、2026年)に関するものであった。CoverMangooseHistory.jpeg

人間社会の都合で外部から奄美大島に持ち込まれた「外来」のマングースが生態系を破壊するため、その根絶が何十年にもわたって取り組まれ、最近になってついに根絶に至ったという「世界的快挙!」(ー帯の文言)の話しなのだが、小著ながら考えるポイントが満載である。たとえば、マングース対策事業が事業仕分けにかかり、「根絶させたら失業するから根絶させないんでしょう」と対策事業の引き延ばしを勘繰られたというエピソードには、研究会での報告時にも報告者に共感して強い憤りを覚えたが、生態学の問題はそんな風にも人間社会や経済と分かちがたく結びついている。奄美や沖縄については、まったく別の観点から考えてきたが、生き物の視点から照らし返してみると、かなり違った景色が見えてきそうである。


2026年2月16日

徳島ビギナー

先週は卒論・ゼミ論発表会が2日間にわたって開催され、無事にゼミの卒業式を行うことができた。それも書きたいことなのだが、それから週末には博士後期課程の共同サステイナビリティ研究専攻のミニ学会形式の発表会もあり、それも書きたいことなのだが、ともあれ昨日15日から一泊で徳島に研究出張に行ってきた。初めての徳島、イエーイ!徳島ビギナーである。
といっても到着するや否や徳島大のK先生のところに向かい、暗くなるまでひたすら翻訳打ち合わせをして、宿泊ホテルの場所へとK先生に案内していただく道すがら、少し街の様子をうかがっただけで、そのとき辺りはすでに暗くて写真も撮れず、明けて今朝は早い飛行機に乗るべくバスに乗って、つまり徳島を知るどころではなかった。(朝ご飯でいただいた「鳴門わかめ」はすばらしく美味であったが!)

それだけではあんまりだと空港バスの中から無理やり数枚のショットを撮った。えーいっ、超久しぶりに中山凡作集の掲載だっ!
Tokushimajoushi.jpeg
ええ、くっきりしたバス窓の青と座席、座席表示などの奥の方に、うっすらと徳島城址の塀が見え...ますよね...、一応。

yoshinogawa.jpeg
はい、こちらは吉野川を渡るところですねー。朝日が美しい。春はあけぼの(なんのこっちゃ)。徳島にはたくさん川があるとのことですが、やはり吉野川が大きくて圧巻でした。この写真からは全然わからないですがー。

airportHina.jpeg
はい、これは徳島空港に着きましたら大きなひな壇がありまして、まあ素敵と激写。とか、早く着いたので余裕をかましていて、ゆったりとチェックインしたら「保安検査場が混雑しています。早く来てください」との知らせ。はっ、何だろうと思いながら保安検査場に着いたら、修学旅行と思しき夥しい数の制服姿の男女が黒だかりのように行列をなしており... オーマイガッ 

2026年2月 1日

真冬のブレーカー故障

寒中お見舞い申し上げます。とご挨拶する季節もあと数日、暦の上では春が近い。それで小ネタだが当方が見舞われた真冬の災厄(大げさ)を書き留めておきたい。すぐに書こうとおもったものだが少し前、ちょうど大寒の頃のことである。
仕事を終わって帰宅し、暖房をつけ床のホットカーペットをつけお風呂をわかし夕食準備中の出来事である。テレビをつけ野菜屑の処理機を回しガス台をフル活用しながらレンジで何かを温めようとした瞬間だったか、ブレーカーが落ちた。2011年3月の震災後に契約アンペア数を落として以来、初めてのトラブルである。マジか!と動揺しつつ手探りで懐中電灯を探し当て、ブレーカーを上げ ーようとしたが上がらない!いくつかのスイッチを切り電源を抜き、いろいろ試したが主電源のスイッチが壊れているらしい。手探りでスマホを探し出し、24時間対応の業者さんに電話をしてみると「やはりブレーカーの器具が壊れているようですね。東京電力さんに連絡されたら、無償で直してもらえるはずですよ」とのこと。21時をゆうに超えた時刻である。こんな時間に来てもらえるのか?!!
ともかく東電の担当部署の電話番号を探して電話し「60分から120分お待ちください」との対応に、コートを着込んで暗闇の中で待つこと1時間弱。昔の人の暮らしはこんな感じだったのかな、とかろうそくとマッチは目に付くところに出しておこうとか、直らなかったらとにかく寝るかなどとあれこれ思う。やがて救いの主が到着し、無事に無償で器具を付け直してもらって事なきを得たが、ブレーカーの他の部分も耐用年数を大幅に超えていることが判明、今後修理をしなければいつ壊れるかわからないとのことだった(ぎょえええ、遠からず直すことにします)。
 
器具の故障はともかく、震災後、一度にたくさん電気を使わないように心がけてきたつもりだったが、日々の寒さを前にあっさり緩みがでていたのだ。原発再稼働関連のニュースを見て日々苛立ちを感じていた自分に、いやお前もだろう!と突っ込まざるを得ない。やれやれ、ほんとうに春が待ち遠しい(笑)。

2026年1月10日

今年もよろしくお願いいたします!

新年明けまして2026年となりました。今年もどうぞよろしくお願いいたしますー。はい、そんな年末年始もがんばった卒論ゼミ生11名が昨日、無事に提出(今やオンライン提出)を果たしました!〆切30分前ぐらいに研究室のインターネット環境が不安定になり落ちるというまさかの事態が発生し、大慌てしましたが...・提出直後の晴れ晴れした表情のワンショットです!(来られなかったYかも祝ったかな)

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その後、借りていた本を返却したり資料を片付けたりした後に、みんなで近くの「なにわ」に移動して打ち上げ。こちらには春学期みてくださったK先生がお仕事後に駆け付けてくれて、一同大喜びでした。

そして今日は、このメンバーの大半が朝7時に集合してスキーに出かけたというまさかの行動。いやー、若いっっ しかし今頃、移動中のバスで眠りに落ちているのではないかと...

2025年12月19日

はや年の瀬にて

あっと言う間に11月が去り12月が来て、気がつけばなかばを過ぎている。ゼミ生たちには卒論やゼミ論の〆切が視野に入り、卒論にはゼミ内部の〆切もあったりしたので、なおさらのプレッシャーもあったようだ。はや年の瀬、2025年の終わりも近い。ホームページやブログという発信形態は時代遅れのようだが、それなりの良さもあるように感じてもいる。何かと気ぜわしく副作用も多い昨今のSNSとやらには手を出さず、もうしばらく時代遅れを続けていきたいと思う。それにしても、こんなわずかな頻度の更新では見てくださる方に申し訳ないので、もう少しは発信するように努めたい。(と、いつもながら「あすなろ」みたいなことを言っている)

2025年11月20日

外語祭の時期には

足早に秋が通り過ぎて、11月もなかばを超えた。本務校の学園祭、外語祭の季節である。今日は初日で、たまたま卒業生のSちんが訪ねてくれた。「円形」上に広がった各国料理を物色しながら近況などをきいた。ずいぶん迷っていくつか食べたが、美味しかったのはアフリカ料理のマフェとフフ。それで選んだわけではなかったのに、前者はなんとセネガル料理であった。びっくりー(向こうで食べたことはなかった)

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朝はかなり寒かったが昼頃には寒さが緩み、たくさんの人びとが楽しんでいた。先生方や職員の方もちらほら。退職されて久しぶりの先生や前学長さまにもばったりとお目にかかってびっくりした。お元気そうで嬉しかった。ただ、Sちんと別れて研究室でふと鏡を見たら、口元にフィリピンのバナナ春巻のチョコソースが...。学長様にご挨拶した時にもこの顔だったのか...。うわああ。。。

その後大学を出て移動中に、卒業生のMちゃんから電話。研究室の扉の表示を「すぐに戻ります」にしたまま慌てて出たので、それを見て近くにいると思ったそうだ。申し訳ないっ!そういえば数日前には卒業生のY(U)くんが転職報告に来てくれた。それぞれ卒業してから何年になるのだろう。それでもやはり外大生は、外語祭の時期に大学時代を思い出すのかもしれない。心がほっこり温かくなる。

各国料理に踊りに語劇と、美味しく華やかな外語祭は24日まで。お天気が続けば相当な人出となりそうですが、みなさまお時間あるようでしたら、ぜひともお出ましくださいませー。


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