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2013年3月 アーカイブ

2013年3月 6日

「何でもやる」はこっちのセリフだ!

先日、N銀の次期総裁候補の某氏が「デフレ脱却のためには何でもやる」と言ったとかメディアが報じていたが、権力側の人間が「何でもやる」というのは実にコワイ。ゾッとする。やめてくれ!の心境である。「何でもやる」のはそうした力を持たない側の言葉だけであってほしい。
そんな折、拙著を読んでくださったというM日新聞の記者さんからご連絡をいただいた。全国紙に掲載?!いやいや当方そんな立派な者ではございませんと言って逃げたいところであるが、とにかく3.11以降、デモでもニコ生出演でも「何でもやる」ことに決めたのだから、ここで逃げるわけにはいかないのであった。そんなわけで本日、竹橋にある本社にうかがってインタヴューを受け、ご担当様U氏の上手な質問とリードに沿って、小一時間といわれていたところをべらべら2時間半もしゃべって無事に(?)終了した。いつもながら、臆病と気遣いが突っ走りのマシンガントークになるという、われながらよくわからない状態である。まーとにかくこれをご担当さまが文章にまとめてくださって、来週木曜(14日)の夕刊に顔写真付きの記事で出るそうである。きょえええ;しかし以前のニコ生出演のときに「中山、美容院に行かなかった」とコメントされたことに鑑み、今日は事前に美容院に行ったので、髪がはねているということだけはない。M日新聞をとっていらっしゃるみなさまは、来週みてくださいませ。ヨロシク! 

2013年3月13日

掲載日が延期

過日、拙ブログに書かせていただいたM日新聞さんのインタヴュー記事、掲載が明日14日(木)夕刊ではなく、明後日15日(金)夕刊に延期になったそうですー。万が一「みてやろう!」と思ってくださった方は、明後日よろしくお願いいたしますー。

2013年3月16日

一日「識者」になる

おかげさまで(?)M日新聞さんの15日夕刊に、でっかい写真とともに大きな記事を載せていただいた。ご担当U様ありがとうございますー。そういうことは重なるもので、T京新聞からTPPをめぐってしばしば語られる「国益」が何を意味し何をごまかしているかについて意見を、ということで昨日取材を受けたら、今朝の朝刊にすでに記事が出た。ひょええええ早いー 担当K様ありがとうございますー。「識者に聞いた」というが、きわめて常識的なことしかお話ししておらず、気恥ずかしい限りである。「一日で終わるベストセラー」といわれる新聞様に一日識者(一日駅長みたいなもんだな)にならせていただきました;実は取材の当日になってから「顔写真を載せます」と言われたので備えがなかったが、髪の毛のハネはうまい具合に処理してあった(そこがポイントか?)。またその前日にはA旗さんから本の取材があったので、そのうちもう一つ出るのだが、まーこのあたりにしておきたい。いやはや 異な体験をさせていただき、ありがとうございました。

2013年3月24日

上関・祝島&敦賀方面行ってきました!

昨年の六ヶ所方面出張に続いて、今年はNN科研の関連メンバー6名で上関・祝島&敦賀方面に3泊4日の出張に行ってきた。二つの場所は必ずしも近くはないのだが、日頃はなかなかそんな機会もないので、移動に半日近くという強行スケジュールで何とか突破した。
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(左は田の浦の上関原発建設予定地付近、右は道筋に突然こういったモノが出現する祝島、どっちもクールですねー)
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(祝島では朝、有機農業を営む氏本農園さんを訪問しようと宿を出たら、なぜかそこで氏本さんに遭遇!写真右側のほうに「車」とともに写っていらっしゃいます)

どちらの場所でも基本的には脱原発関係のさまざまな人びとからお話をうかがったのだが、敦賀ではもんじゅの見学もさせてもらった。案内をしてくれたNさんは元その設計にも携わっていた技術屋さんとのことで、愛着の滲み出る説明がとても興味深かった(とはいえ、高速増殖炉実現の夢を今なおまったく諦めていない様子には、やはり違和感がー)。違和感と言えば、まぶしいほどに美しい海辺に異様な人工物がどーんと存在していること自体、そもそも相当な違和感を与えている(下記写真は美浜のダイヤモンドビーチあたりからの風景。美浜原発を見渡す海岸の看板に「ゴミを出さないエコ運動を推進しよう」と書いてあるのは、ほとんどブラックジョークであった。核のゴミはいいってか?(笑)。
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原発立地や予定地はどこも海に面しており、もともとの生活の糧が漁業である場合が多い。原発をめぐる闘いにおいて「漁協」という地元のコミュニティの果たす役割やあり方(そして「漁業権」の問題)が決定的であることを改めて認識した。(小浜の反原発運動については妙通寺のN嶌哲演さんがが小出裕章さんとともに書かれた『いのちか原発か』(風媒社、2012年)が重要な論点を多く示している;N嶌さんにサインいただきました。わーい!(ミーハー?))

2013年3月30日

新聞モテ期、終了

キヨスクで買えなかったため未見だったA旗を昨日ようやく落掌。24日(日曜)の書評欄の一角である。かなり情けない感じの顔で写っていた(まーこんな顔ですが、まず気になるのは写真ですねー、はは)。本の紹介はごくまっとうなものであった。平凡社の編集Mサマからは「素っ気なさすぎ?」とのコメントいただいていたが、いや字数の問題などもありますし。いずれにせよこれでようやく新聞モテ期が無事、終了した。取り上げてくださったみなさま、見てくださったみなさま、ありがとうございましたー。しかし新聞の威力たるやすごいもので、思いがけない人からも「見ましたよ」と言われ、おそるおそる「何を見ていただきましたのでしょうか...」と尋ねる始末。またゼミ生諸氏はじめ若者は新聞の夕刊なんぞ見ないだろうと思っていたら、ネットで見たという人もあり。ああ世代差かー。

2013年3月 2日

60分でわかる『経済ジェノサイド』

今日はデモ友たちが調布の西武公民館の成人学級「教育フォーラムのどらか」で「『経済ジェノサイド』の著者を囲んで」と題する読書会(?)を企画してくれた。ビラ中の顔写真は、去年の某デモの帰りにみんなで撮った写真の抜粋である(ぶぶ、なつかしい!)。春二番の強風吹き荒れる中を、デモ友のみなさんばかりか、結構たくさんの市民の方々が来てくださった。ありがとうございます!!和室に机を並べてパソコンとプロジェクターをつないで、お茶を配って、和気あいあいの雰囲気である(早くから準備を手伝ってくださったデモ友のみなさま、多謝)。こちらも気合を入れて「60分でわかる『経済ジェノサイド』」を準備したのだが、小一時間話した後、明日のおひな祭りにちなんで桜餅その他のお菓子も配られ、後半は自由討論と相成った。これが実に充実していて、こちらもとても勉強になる。ともかくアベノミクスのあからさまな「経済ジェノサイド」のやり方にみな憤懣やるかたないのだ。黙って認めたりするわけにはいかないと、随所で確認し合った。しかしそれでも、保育園問題をめぐって杉並区、足立区などのおかあさんパワーには希望の光が見えるし、脱原発の論点には国際社会からの後押しもある。現状を嘆いている場合ではない。「ではまた来週」(はい、もちろん3.11直前のデモや集会ですね)ということで、しつこく声を挙げ続けるしかない。ガンバロー!

さる2月28日はワセダ若手の研究会で、中村征樹編『ポスト3.11の科学と政治』、コリン・ヘイ『政治はなぜ嫌われるのか』をテクストに。科学技術社会論(STS)と政治学の立場から、現代の「政治」の問題を考察するというテーマであった。前者のレジュメを担当したが、STSの人びとは科学技術による合理性がいかに不十分で、いかに社会的合理性と接合するかを試みているし、政治学者はひとびとの政治離れ、投票率の低下(これはいわゆる「新自由主義」の時代以降に顕著だという。うぬ、拙著も大いに共感する視点。要するに経済的な思考が政治をだめにする)を真剣に受け止め、成功しているかどうかはともかくとして、次の一手を探っている。いずれのテクストにも、今いかに「政治的に」はたらきかけていくかのヒントがいろいろ込められていて、示唆的であった。要は科学や技術による知識とその合理性が暴走するのを、現場の知によってどこまで食い止めて行けるのか、である。上記の書の一節からだが、それは「現場の意見も聞きましょう」というレベルのものではなく、現場知に科学的知識とおなじく一貫性があり、対等なものだという認識に基づく決定的な拮抗である。出席者がみんなでゲンバチ、ゲンバチだよなとやたらにつぶやいていた。(現場知、なのだがなんだか音がおもろい)

2013年3月 8日

告知!(リマインダー)

すでに拙ブログにも書かせていただいているが、週末は2011.3.11 から二年という区切りに向けて、全国いや世界の各地で催しがあるようだ。さしあたり東京では3月10日(日)17:00- の国会大包囲!があり、それに先駆けて「原発ゼロ☆大集合」が13時から日比谷野外音楽堂で行われる(http://coalitionagainstnukes.jp/?p=2415)。主催者さんも今日は官邸前抗議をなしにして、鋭意準備中である。一方、明日9日は「さようなら原発1000万人アクション」の関連で、14時から明治公園にて集会&その後のデモ行進がある(http://sayonara-nukes.org/2012/12/121220/)。さらに明日はパリでも大規模な集会が予定されていると506付近の院生Hくんが教えてくれた。Reseau Sortir du Nucleaire)のサイト:http://www.sortirdunucleaire.org/ やヒューマン・チェーンのサイト:http://chainehumaine.org/ に詳しく載っているとのこと(日本でも明日20時半ころから、http://www.ustream.tv/channel/iwj-paris で生中継が見られるらしい)。このネットワークは昨年3月11日にも同様の企画を主宰し、6万人を集めた。海外からの応援。嬉しいではないですか!東京での試みも、一過性の「記念日」としてではなく、絶対に一歩も引かないことをあらたに決意し示す機会となるよう、何とか支えていきたい。

2013年3月12日

タクシーの中から脱原発を叫ぶ...?

先週末の集会&デモ、無事に終了いたしましたー。一応それぞれ1万5千人と4万人というそこそこの人数も集まり、2年前の3.11に思いを馳せながら脱原発への闘いの継続を確認した。しかし...とにかく天候がハンパなかったのである。9日はまさかの「6月並みの気温」!明治公園をびっしりと埋め尽くした参加者はどちらかというと年齢層高めであり、暑さが辛そうであった。鎌田さん、大江さん、澤地さん、それぞれ心のこもったスピーチをなさっていたが、当方も暑さでモウロウとした。
一転して10日の天候は荒れ模様。いや、集会開始の13時すぎには前日と変わらぬ晴天だったのが、やがて空が曇り始めて気温が急降下、デモが出発するまで日比谷公園内で膠着しながら(これが異様に長かったのだが、デモ友3名のみなさんに会えたのはほぼ奇跡に近い)待っていた際には、黄砂かPM何とかかわからないもの ーあとで聞けば煙霧とやらー が宙を舞い、強風も吹き荒れ、視界がさえぎられた。デモ行進中には小雨もパラついて、文字通りオールウェザーであった(使用法まちがってますか)。

デモ行進が一区切りついたところで、「国会大包囲」17時からに備えて一服しようということになった。官庁街にはカフェもないのでタクシーを拾って銀座まで。しかし乗り込んだわれらの出で立ちは、タクシーの外でデモを続ける人々から手を振られるほどに、目立つものであった(たしかにみんな十分黄色かったし、プラカードやバッヂなどもフル装備だった)。手を振り返しはしゃいだ気分になったわれらは「こんどいつかのデモでは、こうやってタクシーの中から脱原発を叫ぶのも効果的かもねー」と大音量で話していたが、そのときの若いタクシー運転手さんの怯えたような表情は忘れ難い。お兄さんゴメン、怖がらせました... ともあれ銀座でお茶&スイーツ備給し(おほほほ、女ですもの)再び取って返して、今度は「官邸前抗議」のノリで2時間、国会前での抗議集会である。やがて日も沈み、この頃、N谷ボスやT塾大のKセンセイも合流したが、いかんせん寒い。着られるだけのものを着て、カイロも貼ってなんとかがんばったが、終了時間頃には真冬並みの寒さとなっていた。去年の3.11郡山での集会も冷えたが、今回は夏の温度からの急降下というオマケ付きであった。

ところで10日朝、集会に出かけようと準備をしているところへ友人某から携帯メールが入り、「M日新聞の書評読んだ、嬉しい」とー。どえっ?!で、出てる? 慌ててコンビニに走り、なんとか無事に一部ゲット。記名の書評ではなかったが、わりと目立つ場所に専門っぽい感じで好意的に書いていただきました。ありがとうございますー。いや書評に限らず、いただくコメントはほんとに何でも嬉しい。みなさん控えめにおっしゃるのだけれど、どんなに短いものでも、その都度いろいろ考えるヒントをいただき、わがまずしき思考が少し豊かになる。ありがたいものだなとつくづく思う。 

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