夕刊文化の終焉か
以前に拙ブログで何度かご紹介したこともあるが、当方の高校時代の恩師、K先生は樺太のご出身で、樺太論の著書もある。そんな先生が樺太連盟で『樺連情報』の編集をされていた時代に継続して作っていたメモ書きが、『樺太覚書』としてオンラインと冊子体で公開されたのが、昨年である。https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/87292
それを見たM新聞の記者さんが先ごろ、先生にインタヴューを行い(かつての教え子メンバー2名で立ち合い、多少ご協力をさせていただいた)、夕刊にコラムを書いてくださった(2/6)。
ところが、である。第一に掲載日の夕方、弟子たちはそれぞれ近隣のコンビニや駅の売店へと買いに走ったものの、昨今「夕刊」というものは、M新聞だけでなくそもそも置かれていないことが判明したのである。まあ、朝刊もそうかもしれないが、夕刊はもっと売れないのだろう。コンビニや駅の売店に毎日何部かを配達して置き直してもらうだけの労力にペイしなければ、商品の棚から消失するのは当然である。各紙、比較的落ち着いて読める面白い読み物が載っているという夕刊文化の時代は、とうに過ぎていたのかもしれない。
さらにいえば、わずかな協力の謝礼?として掲載紙2部をお送りいただいたとのことだったが、それがようやく職場の郵便受けに到着したのを発見したのは本日、なんと4日を経過してからのことであった。これまた昨今、郵送で手紙や資料を送る人は激減してきており、郵便の集配の曜日や回数も減少の一途であったのだ。手紙とメール、もらって嬉しいのはどちらかと問えば答えは前者とたやすくこたえられるが、これまた大いなる時代遅れなのかもしれない。いずれもわかっていたことながら、このたびあらためて現実に直面し、状況の厳しさを痛感した次第である。