【たふえね×卒業生】地域の声で紡ぐ未来~環境課題の今~「多角的な視点で描く、食と環境の未来 ~農林水産省・大出迪子さんインタビュー」
世界にはばたく卒業生
東京外国語大学でイタリア語を専攻し、留学を経て農林水産省に入省した大出迪子さん。国際交渉の最前線で培った経験から、食料安全保障、環境問題、サステナビリティに至るまで、幅広いテーマについてお話を伺いました。政策立案における多角的な視点の重要性や、社会全体が参画できる仕組みづくりへの思いなどを語っていただきました。
大出迪子さんプロフィール
東京外国語大学国際社会学部イタリア語科卒業。開発経済学を学び、3年次にはローマへの交換留学を経験。卒業論文では、イタリアのマフィアとそれに対する政府の政策対応をテーマに研究を行いました。在学中は女子バレーボール部や外語祭実行委員会委員としても活動し、学内外での多様な経験を積んでいます。卒業後は国家総合職として農林水産省に入省。家畜伝染病対策、国際交渉、食品規格の法改正など、国内外の幅広い政策分野に携わっています。近年はイギリスへの留学を通じて公共政策について学ぶ傍らでサステナブルファイナンスの研究プロジェクトにも参加し、環境・経済・社会の持続可能性を見据えた政策形成に取り組んでいます。
インタビュアー:たふえね
- 鈴木 真悠子(国際社会学部中央ヨーロッパ地域/ポーランド語 3年)
- 吉成 雫(国際社会学部オセアニア地域/ 1年)
- 田中バット アイシャ真李(国際社会学部南アジア地域/ウルドゥー語 2年)
- 宮下 希彩(国際社会学部 東南アジア第2地域/タイ語 2年)
────東京外大での学生生活を通じて、どのような経験や学びがありましたか。また、それらが農林水産省への進路選択にどのようにつながったのでしょうか。進路を考えるうえでの葛藤や、実際に農水省を志望された理由についても、ぜひお聞せいただけると嬉しいです。
私は東京外国語大学が2012年に学部改編をして「国際社会学部」ができた年のイタリア語専攻の1期生です。3年次から1年間、ローマに交換留学をしました。帰国後は、イタリアのマフィアとそれに対する政府の政策措置をテーマに卒業論文を執筆しました。学生時代は、女子バレーボール部や外語祭実行委員としても活動し、学業以外でも多様な経験を積むことができました。
農林水産省への進路を選んだ背景には、イタリア留学中の体験が大きく影響しています。2014〜2015年当時、中東情勢の悪化やテロの頻発により、イタリア国内では移民問題が深刻化し、社会不安が高まっていました。ローマの街中でデモを目にしたり、大家さんから「年々治安が悪くなっている」と聞いたりする中で、市民が安心して暮らすための制度や政策の重要性を肌で感じました。
その経験を通じて、社会の基盤となるルールづくりに関わりたいという思いが芽生え、公務員という進路を志すようになりました。さらに、自分がどんな分野に関心を持っているのかを見つめ直したとき、「食」というテーマが繰り返し浮かび上がってきました。
高校時代には、2008年の洞爺湖サミットで食料安全保障や食料自給率が議論されていたことに関心を持ち、日本の食料自給率の低さ(当時37%、現在もほぼ横ばいの38%)に衝撃を受けました。これは、国内で流通する食料の半分以上を輸入に頼っているということであり、輸入が不安定化すれば、食の供給そのものが危機にさらされる可能性があります。
また、イタリアでは、食を通じて人々が集い、つながる文化を体感しました。食には、文化的な魅力だけでなく、外交的な「ソフトパワー」としての側面もあります。大学の外交論の授業で学んだ「ハードパワー」と「ソフトパワー」の概念からも、食は両方の要素を内包する幅広い分野であり、政策の切り口として非常に魅力的だと感じました。
────農林水産省では、これまでどのようなお仕事に携わってこられましたか。多岐にわたる業務の中でも、特に印象に残っている取り組みや、やりがいを感じた仕事について教えてください。とくに、気候変動や生物多様性といった環境課題に深く関わる「食」の分野、そして食に関連する国際交渉の場面についても、ぜひお話しいただけると嬉しいです。
農林水産省では、1年〜2年に1回程度の人事異動があり、これまでさまざまな部署で業務を経験してきました。最初に担当したのは家畜伝染病対策で、国内での感染拡大防止や、空港・港での水際検疫の強化などに取り組みました。人やモノの移動が活発な現代において、感染症のリスク管理は非常に重要な分野です。
その後、国際部に異動し、国際交渉やODA(政府開発援助)などの国際協力業務を担当しました。着任してすぐに新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発出されるというタイミングでしたが、徐々にウズベキスタンやロシアとの技術協力案件の形成、EUなどとの農作物・食品輸出に関する貿易ルールの交渉など、幅広い業務に携わるようになりました。また、フランス等で開催された日本食イベントの企画をサポートするなど、日本の食文化を海外に発信する取り組みも行いました。
その後は、日本農林規格(JAS)法の改正を担当し、有機のお酒をJAS規格の対象に含める法改正を実現しました。有機食品市場は環境や健康への意識の高まりとともに拡大していますが、当時はお酒がJAS法の対象外で、第三者認証制度が存在しませんでした。そのため、有機と表示しても信頼性が低く、特に海外輸出の際に不利な状況がありました。たとえば、日本酒は海外でも人気がありますが、有機認証の有無によって価格が3〜5倍も変わることがあります。この法改正により、お酒も信頼性のある有機認証を受けられるようになり、輸出促進にもつながりました。
さらに、食品関連事業者による環境・人権への配慮の取り組み支援にも携わりました。特にEUなど環境規制の厳しい地域への輸出では、企業はCO₂排出量や生産過程での環境負荷、人権侵害の有無などについて説明責任が求められます。これに対応できないと、取引停止や輸出不可といった事態にもなりかねません。したがって、日本企業の取引機会を拡大するためにも、企業に対してさらなる環境・人権問題への配慮を促す必要があります。しかしながら、大企業と中小企業では対応力に差があるため、いきなり法規制で縛るのではなく、まずはガイドラインの形で目標を示し、必要な支援を行う取り組みを進めました。
このように、食に関する政策は、気候変動や生物多様性といった環境課題とも密接に関わっており、国際交渉の場でも重要なテーマとなっています。
────これまで国際関係業務に携わる中で、印象に残っている場面や出来事は数多くあったかと思いますが、その中でも特に心に残っているエピソードを一つ、ご紹介いただけますか。
特に印象に残っているのが、国際部に在籍していた際、EUによる食品規制の突然の導入に対応した経験です。ある日、EUが新たな衛生規制を発表し、原材料に動物性成分(粉乳、かつお節、卵、魚粉など)を含む食品の域内輸入を制限する方針を打ち出しました。目的は、動物衛生や公衆衛生の観点から病気の蔓延を防ぐことでした。
この規制は、日本の食品輸出に大きな影響を及ぼす可能性がありました。日本の加工食品には「だし」など動物性原材料が多く使われており、味噌汁、マヨネーズ、ソース、インスタント食品、冷凍食品など、幅広い商品が規制対象となってしまいます。事実上、日本からEUへの食品輸出がほぼ不可能になる懸念がありました。
企業からの強い要望も受け、日本政府としてEU側に対し、「このままの形で適用されると困る」と正式に申し入れを行いました。交渉では、衛生上のリスクが低い原材料や、含有量が極めて少ない場合の除外措置などを求めました。結果として、当初懸念されていたような全面的な輸出停止には至らず、最悪の事態は回避することができました。
このような事例は、防疫分野では珍しくなく、ある国が突然ルールを変更することで、企業活動が制限されることがあります。その際には政府間の交渉が不可欠となり、現場では大きな緊張感が伴います。この経験を通じて、国際交渉のダイナミズムと、政策が企業や生活者に与える影響の大きさを改めて実感しました。
────これまでの留学経験や、霞が関での業務を通じて、ご自身の考え方や価値観にどのような変化があったと感じますか。
霞が関で働く中で常に感じているのは、「社会には本当にさまざまな立場の人がいる」ということです。行政は、すべての人を公平に扱う責任があり、特定の人だけを優遇することはできません。行政活動の原資は税金であり、納税者である国民全員に利益を還元していく必要があります。そのため、誰かが不利益を被るような政策はつくれないという前提があります。
政策を立案する際には、それがどのような人々にどのような影響を与えるのかを多角的に考える必要があります。一部の人にとってはプラスでも、別の立場の人にとってはマイナスになる可能性がある。そうしたバランスを丁寧に見極めながら、できるだけ多くの人にとって納得感のある政策を目指すことが重要だと感じています。
イギリス留学を経て改めて実感したのは、社会を変えていくためには「できるだけ多くの人が参加できる仕組み」をつくることが不可欠だということです。最初は大企業が牽引役になることもありますが、社会の本質的な変化には、中小企業や個人消費者、市民としての個人など、あらゆる主体の参加が必要です。
そのためには、制度設計の段階から資金面や能力、実行可能性を踏まえ、「誰でも参加できるか」「どうすれば参加しやすくなるか」といった視点を常に持つことが求められます。政策は単なるルールではなく、社会全体が動いていくための土台であり、包摂的な仕組みづくりが鍵になると感じています。
────環境問題やサステナビリティの観点から、大出さんご自身が特に重要だと感じている政策課題についてお聞かせください。また、今後の展望や、これから取り組んでいきたいテーマがあれば教えてください。
環境や人権に関する企業の取り組み支援に携わる中で強く感じたのは、大企業と中小企業の間にある取り組みのレベルや実行力の差です。大企業には資金・人材・知見があり、自ら対応策を講じる力がありますが、特に食品業界では約85%が中小企業で構成されており、同じような対応を求めるのは現実的ではありません。
環境問題は、一部の企業だけでなく、業界全体で取り組まなければ効果が限定的になります。たとえばCO₂排出量の削減も、製造段階だけでなく、原材料の生産や物流など、サプライチェーン全体での対応が求められます。そのためには、すべての企業が実施可能な仕組みが必要ですが、大企業向けの制度設計では中小企業が取り残されてしまいます。
中小企業向けの対応策として、第三者認証の活用なども考えられますが、環境系の認証には多様な種類があり、評価項目や方法、信頼性もまちまちです。国としてどこまでビジネスの中に踏み込むべきか、逆に踏み込まない場合にどう信頼性を担保するか――こうした課題に対して、誰もが使える汎用性の高い仕組みをどう構築するかが重要だと感じています。
環境政策にはさまざまな立場や意見があり、実行可能な基準の設定は非常に難しい課題です。基準が低すぎれば大企業には物足りず、高すぎれば中小企業には実行不可能になる。そのバランスをどう取るかが、今後の制度設計の鍵になります。
このような課題の解決には、産業界・行政・アカデミアの三者による対話と連携が不可欠です。行政はルールをつくる立場ですが、現場で何が可能かを最もよく知っているのは産業界であり、ルールの設計や評価方法に関する技術的知見はアカデミアにあります。三者が密にコミュニケーションを取りながら、現実的かつ効果的な制度を築いていくことが、持続可能な社会への一歩になると考えています。
────農林水産省でのご経験の中で、東京外国語大学での学びがどのように活かされていると感じますか。
東京外国語大学では、さまざまな文化に触れる機会があり、留学を経験する学生も多くいます。私自身も留学を通じて、「自分の常識が世界の常識ではない」ということや、立場が変われば価値観や視点も大きく異なるということを実感しました。これは、東京外大での学びの中でも最も大きな気づきだったと思います。
この視点は、行政の仕事に就いてからも非常に役立っています。行政は、国民全体を対象とする制度や政策を扱うため、自分とはまったく異なる背景や立場の人々の存在を常に意識する必要があります。私たちは大学教育を受ける機会に恵まれましたが、そうでない方々も多くいます。異なる立場にある方々の視点に立ち、何を必要としているのかを考えることが、政策立案の出発点になります。
また、国際交渉の場では、日本の国益を守ることが基本ですが、交渉を成立させるためには、相手国にもメリットがなければなりません。相手国の事情や立場を理解し、どこまで要求できるかを見極めるには、相手の目線に立って考える力が不可欠です。
このように、異なる立場から物事を捉え、自分自身の価値観や視点を相対化する習慣は、東京外大時代に培ったものであり、今の仕事にも確実に活きていると感じています。
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