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 東京外国語大学「日本専攻」の歩み

3-2. 特設日本語学科の時代U

目次
特設日本語学科の学生たち 〜御三家と各国の政治事情〜
特設日本語学科の行事
特設日本語学科と日本人学生



・特設日本語学科の学生たち 〜御三家と各国の政治事情〜

 留学生課程時代にはイラン、東南アジア、オーストラリア、ニュージーランド等いろいろな国からの留学生がいました。特設日本語学科設置の前後からは、台湾・韓国出身学生が次第に増大し、 更に日中国交正常化を経た1970年代後半には中国出身学生が増え、中国、台湾、韓国からの留学生は「御三家」と呼ばれました。
 入試においても漢字圏の「御三家」出身者は成績優秀であり、合格者が「御三家」出身に集中することへの対策として、ある程度の得点を得た者であれば非漢字圏出身者を優先合格させる 試験成績の調整が行われました。しかし非漢字圏の受験者の減少もあり、思うように成果は上がらなかったと言います。
 専門課程に入り非常に目覚ましい研究を行う留学生も少なくなく、アイヌ語の起源や空海の言語哲学の研究等、審査員を驚かす卒業論文を書く学生も現れました。
 また留学生ゆえの事情として、なかには母国の政変などの事情により帰国を余儀なくされる学生も一部にはいたようです。南ベトナム出身の学生が1975年サイゴン陥落後に退学・渡米することや、 フィリピン出身の学生が独裁政権打倒のために帰国することもあり、日本語学科・日本課程の時代にも、チャウチェスク政権時代に来日したルーマニア出身の学生が政変直後に退学することや、 韓国出身の学生が1986年のフィリピン民主化闘争の時期に「フィリピンへ行きます」と休学することなどもあったようです。


・特設日本語学科の行事

 特設日本語学科では、留学生が日本文化に触れる機会として、見学旅行や課外講義が開催されていました。毎年1回開催された見学旅行では、金沢、木曽、会津若松、奈良、飛騨高山など各地に足を運び、 留学生・教職員が親睦を深めました。1977年度の行事記録、伊豆へのオリエンテーションや名古屋への見学旅行のほか、文楽鑑賞やスキーなども開催されていました。 スキー教室も開催され、雪国での生活体験がほとんどない留学生にとって貴重な機会となったようです。
 また外語祭においては、留学生による「日本語劇」と催され、多くの観客の魅了したようです。また料理店では留学生が自身の出身国の本場の料理を振る舞い、連日盛況であったと言います。

【資料】昭和52年度行事記録 (『特設日本語学科年報1』1978年3月)
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特設日本語学科1年生六義園へ(1970年5月7日) 1978年2月弁論大会


・特設日本語学科と日本人学生

 新設学科については、当初「日本語学部設置計画案」を引継ぎ、日本人と留学生各15名の計30名での構成が検討されていました。しかし学内においても本学は「外国語」を専門とする大学であるから、 日本人が「日本語」を専攻する学科は望ましくないとの意見も少なくありませんでした。そのため、特設日本語学科では留学生課程と同様に、留学生のみ30名とされました。
 しかし設置後も、特設日本語学科教員を中心に、日本人学生受入れの必要性を求める議論は継続します。菊池武弘・窪田富男・国松昭・松田徳一郎によって記された 『特設日本語学科の構想と問題点』(1969年9月)では、「母国語を客観的に認識し研究することは、それ自体の意味をもつだけでなく、日本人の外国語の研究・教育にとっても歓迎すべきこと」であり、 日本人学生の受入れは「本学科のために欠くことのできない条件」とされました。また日本語教師の社会的必要性が高まっているなか、これからの日本語教師は、「単に母国語として日本語を話す者、 あるいは外国語専攻者や国語国文の専攻者がそのまま教師として通用する時代は過ぎ、外国語としての日本語研究に専門的知識をもち、専門的訓練をつんだ者が要求されている」と主張し日本語教師養成の意義が 主張され、加えて、留学生の観点からも「四年間を外国人だけのクラスで教育を受けることは、来日の効果や意味をおおはばに減殺することになろう」との点が指摘されています。 こうした議論が次の日本課程設置の議論につながっていきます。


【資料】『特設日本語学科の構想と問題点』(1969年9月)
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コラム−日本人学生の追加に向けた計画
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コラム−附属日本語学校
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1969年度見学旅行日光・四万・榛名方面
(1969年10月28日-30日)
1969年度見学旅行日光・四万・榛名方面
(1969年10月28日-30日)
1970年度見学旅行
妙高・戸隠方面
(1970年11月11日-13日)
1971年3月13日
越生・吉見百穴見学旅行



    
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