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世界の龍・竜・ドラゴン特集〜良き辰年を祈念して〜

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新年、明けましておめでとうございます。

皆さまのご健康とご多幸を心からお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2024年の干支は辰年。辰(龍・竜)は、十二支の中では唯一、想像上の生物です。新年最初のTUFS Today特集は、今年の辰年を祈念して、本学の教員が世界で出会った龍・竜・ドラゴンを紹介します!

中国、春節の廟会の露店

春節(旧暦正月)の廟会(縁日)の露店。龍は、中国でかつては皇帝の象徴、今でも神聖な「動物」として大切にされています。2006年は戌年でしたが、干支や縁起物のぬいぐるみの中で、最も高い、中央の位置に一対の龍のぬいぐるみが置かれていました。

撮影地:中国北京・地壇公園(2006年)
撮影者:加藤晴子(大学院総合国際学研究院)

夕焼けの河をゆく龍

撮影地:中国ハルビン 松花江(2008年夏)
撮影者:橋本グマ雄一(大学院総合国際学研究院)

中国、600年ほど前の龍から現代の龍

元朝時代(13~14世紀)の遺物とされる鉄影壁

撮影地:北京・北海公園(2001年3月)
撮影者:山越康裕(アジア・アフリカ言語文化研究所)

18世紀に造られた九龍壁

撮影地:北京・北海公園(2001年3月)
撮影者:山越康裕(アジア・アフリカ言語文化研究所)

中国で1960~70年代に起こった文化大革命では宗教が否定され、寺院などのさまざまな宗教関連文化財が破壊されました。この地では、破壊された寺院を復興しようと地元のモンゴル系住民が寄進し、2009年に大伽藍が落成しました。屋根の四隅に龍が配置されています。

撮影地:中国内モンゴル自治区フルンボイル市エウェンキ族自治旗(2009年8月)
撮影者:山越康裕(アジア・アフリカ言語文化研究所)

オーストラリア、Bearded Dragonと私

撮影地:西オーストラリア
撮影者:H. S.

インド、数多の鎌首を持つナーガ

中央に五つの鎌首をもつナーガ王がレリーフされている

撮影地:コルカタ・インド国立博物館、2016年
撮影者:水野善文(大学院総合国際学研究院)

十の鎌首を持つナーガ

撮影地:デリーにある野外演劇場の一角に無造作に置かれているプレート、2016年
撮影者:水野善文(大学院総合国際学研究院)

インドの龍<解説>

「龍」と漢訳されたサンスクリット語の「ナーガ(nāga)」は、鎌首を拡げて威嚇する毒蛇コブラのことです。太古から蛇の類が雨、川、水を司っていると考えられていたらしく、のち西方から移動してきた自らをアーリヤンと称する人々を中心に紀元前1200年ころ成立した、諸神への讃歌集『リグ・ヴェーダ』には、自らが奉ずる雷霆神インドラが蛇形の悪魔を退治して、せき止められていた水を流し(大地を潤し)たと詠う詩節があります。当初は魔物扱いされた土着の崇拝対象が神の如く組み込まれつつ次第にヒンドゥー教が形成されていくのですが、毒蛇コブラも蛇神ナーガとして、様々な活躍が多くの神話に語られることになるのです。7世紀にはナーガを主人公とした『ナーガーナンダ(龍王の喜び)』(和訳あり)というサンスクリット戯曲作品が編まれたり、今日も雨季には「ナーガパンチャミー」というナーガ祭が広く執り行われるほど、親しく崇められる神となっています。 

ヒンドゥーの世界観ではパーターラという、地底界ですが極楽に見まごうばかりの豪華絢爛たる世界にナーガたちは住んでいるとされます。ここがまさに龍宮ですが、海底ではなく地底にあったのですね。他のヒンドゥーの諸神とともに仏教にも組み込まれ、仏教の守護者として、これまた多くの仏典に多様に描かれています。

釈迦涅槃図(縦240㎝×横130㎝、長野市(ナーガの市)・往生寺蔵、制作年代不明)
涅槃図の横たわる釈迦の足元右側で、釈迦の死を悼む龍王。人間の姿ですがインド由来の五鎌首のナーガが象徴された冠をかぶり、おそらく中国で表象されたと思われる龍を背負っています。

「ブッダが龍として生まれたときのお話し」

ブッダが過去世、龍の王子マハーダッダラとして生まれたときのことです。弟の龍チュッラダッダラは怒りっぽく乱暴で、龍の乙女たちを怒鳴ったり殴ったりすることもありました。それを見かねた父親の龍王は、チュッラダッダラを龍宮から追放するよう命ずるのですが、兄マハーダッダラが父王を宥めてとりなすことがくり返されました。三度目にはついに父王の堪忍袋の緒が切れて、兄弟二人とも追放し、他国の肥溜めに三年間住むよう命じたのです。

さて、他国の肥溜めのなかで暮らし始めた二人でしたが、餌を探すため水面に姿を現すたび、その国の子供たちから「頭でっかち、しっぽに針もつ蛇は何者か?」と罵られてばかり。気性の激しい弟チュッラダッダラは、「俺たちを侮辱するあの子供らに我慢がならない。殺してしまおう。」と兄をけしかけます。ですが兄の龍マハーダッダラは、「他国で暮らしているときは、倉庫でも建てて受けた罵詈雑言をしまっておけばよい。知己得ぬ人々のなかで暮らしているとき、慢心は禁物だよ。異国に暮らしているときは、たとえ奴婢に侮られても、智慧を発揮して堪えるべし。」と弟を諭しました。

こうして三年が過ぎ、父王に呼び戻されてから後も、弟チュッラダッダラは決して自惚れなくなったのです。

(松村恒・松田愼也訳「ダッダラ龍兄弟物語」中村元監修・補註『ジャータカ全集4』(春秋社、1988)16-18頁を参照して要約・アレンジした)

(水野善文)

ブータン、宝石を握る龍

現地語でブータン王国は「Druk Yul(ドゥルク・ユル)」と呼ばれ、雷龍の国(Land of Thunder Dragon)という意味です。2011年にワンチュク国王夫妻が来日した際に、東日本大震災で被災した福島県の小学校を訪問した際に、龍の話をされたことが話題になりました。

ブータンはヒマラヤ山脈に抱かれた自然豊かな国で、チベット仏教が国教に定められています。パロにあるタクツァン寺院。400メートルの崖の上に建立されている。(写真:左)

ティンプー・ツェチュ(お祭り)のひとこま。「チャム」と呼ばれる仮面舞踊。僧侶が仏教寓話などを庶民にわかりやすく伝えるために始められたといわれる。(写真:中央)

ブータンの国花、ブルーポピー。ケシ科の高山植物で、標高4000メートル近くまで行かなければなかなか見ることができないため幻の花とも呼ばれる。(写真:右、撮影地:チェレラ(チェレ峠)パロ県とハ県の県境にある峠付近)

撮影者:小松謙一郎(留学支援共同利用センター)

シリア、聖ゲオルギウス修道院

シリアの首都ダマスカスの北東30キロの距離に位置するサイドナーヤーのマール・ギルギス(聖ゲオルギウス)修道院

聖ゲオルギウスは、3世紀後半に南シリア(現在のパレスチナ)で生まれ、古代ローマの弾圧に抗って殉教したキリスト教徒の聖人の1人です。人間の生贄を要求した毒竜(ドラゴン)を退治し、次の生贄に選ばれていた王女を救い、村人をキリスト教に改宗させたという伝説が残っています。伝説の場所は、トルコのカッパドキア、リビアなどとされていますが、中東(西アジア・北アフリカ)の各地には聖ゲオルギウスの名を冠した教会や修道院がいくつもあります。

その一つがサイドナーヤーの修道院です。修道院地下の洞には、聖ゲオルギウスが毒竜を槍で刺した際に残ったとされる穴があります。

ちなみに、ジョージ、ジョルジュ、ジョルジョ、ゲオルグ、ゲオルギー、ホルヘ、イジー、イェジーといった名前は、この聖ゲオルギウスに由来しています。

撮影地:シリア、サイドナーヤー
撮影者:青山弘之 (大学院総合国際学研究院)

英国、聖ゲオルギウスの祭壇画の一部

撮影地:英国ロンドン、V & A Museum
撮影者:山口裕之(大学院総合国際学研究院)

ドイツ、聖ゲオルギウスと竜の彫刻(15世紀末)

撮影地:英国ロンドン、V & A Museum
撮影者:山口裕之(大学院総合国際学研究院)

チェコ、プラハ城の聖ゲオルギウス像

プラハ城の内庭におかれた聖ゲオルギオス像。プラハ城の記録によると1373年にクルージ(現在はルーマニア領となったトランシルヴァニアの中心都市)のマルチンとゲオルクの兄弟によって制作され城に納入されました。カール4世がプラハ城を大々的に改築し、そこに大司教座にふさわしい大聖堂を建設していた頃のことです。像は中央ヨーロッパのゴシック彫刻の代表的な作品ですが、基になった彫像がトランシルヴァニアに起源があるのか、またはその頃プラハに集まっていた優れた職人・芸術家の手になるものなのか、いまだに議論が続いています。元来はプラハ城にある聖ゲオルギウス教会(10世紀)の前に置かれていたといいます。チェコスロヴァキア独立後、プラハ城は大統領府になりますが、この像の背後には一枚岩からなる巨大なオベリスクが建てられました。共和国の統合を象徴するものです。オリジナルは現在、プラハ城博物館に展示されています。

撮影地:チェコ・プラハ(2017年3月撮影)
撮影者:篠原 琢(大学院総合国際学研究院)

ポーランド、ヴァヴェルの竜にまつわる伝説

ときどき火を噴くヴァヴェルの竜の銅像

ポーランド南部の古都クラクフにあるヴァヴェル城のふもとには、竜の銅像が建てられています。なぜなら、この町には昔から語り継がれてきた竜にまつわる伝説が残っているからです。伝説によれば、この城の洞窟にいつの頃からか住みつくようになった竜が、やがて大きくなって、家畜や付近に住む美しい娘をさらっては食べてしまい、人々から恐れられていました。とうとう困った王様は「恐ろしい竜を退治した者は、王の娘と結婚できる」という御触れを出しました。ところが、勇敢な騎士や勇士が次から次へとかかっていっても歯が立たず、竜のあまりの恐ろしさに逃げ出す始末。そこで武器も何も持たない貧しい靴職人の若者が名乗り出て、智恵を絞り、竜の退治に挑みます。見事に竜を退治したこの賢い若者が王の娘と結婚し幸せに暮らしたそうです。伝説で恐れられていた竜は、今やこの町の人気マスコットとして、お土産物屋さんで人気の商品となっています。

歴代ポーランド国王の居城であったヴァヴェル城

この伝説は、かつて本学外語祭のポーランド語劇でも演じられました。ちなみに、この伝説をもとにした絵本は日本語でも出版されていますので、日本の子供たちもこの絵本を通して、この伝説に触れることができます:『クラクフのりゅう』(文・絵:アンヴィル奈宝子)偕成社、2020年。

撮影地:ポーランド共和国クラクフ市(2023年3月)
撮影者:森田 耕司(大学院総合国際学研究院)

ポーランド、毎年初夏に行われるドラゴン・パレード

「ヴァヴェルの竜」は現在ではクラクフのアイコンとして人気を博し、毎年初夏にはドラゴン・パレードが行われます。

地元の劇団が2000年に立ち上げた(古都においては)まだまだ歴史の浅いイベントですが、参加グループそれぞれの想像力の結晶であるドラゴン(山車)の行進に、大人も子どももテンションが上がります。

撮影地:ポーランド共和国クラクフ市
撮影者:福嶋 千穂(大学院総合国際学研究院)

エチオピア、エチオピア版シバの女王伝説と龍退治

エチオピア北部に住むキリスト教徒の間では、『旧約聖書』に登場するシバの女王はエチオピアの女王であったという伝説が信じられています。エチオピア版シバの女王伝説を漫画のような形式で描いた絵画は土産物の定番で、その冒頭では女王の父親が人々を苦しめていた龍を一計を案じて退治する様子が語られます。その方法は「酒を飲ませた山羊を龍に食べさせ、酔ったところを斬る」というもので、ヤマタノオロチ伝説と酷似しています。遠く離れた日本とエチオピアで同じような内容の龍退治が語り継がれているのは興味深いことです。


撮影地:エチオピア
撮影者:石川 博樹(アジア・アフリカ言語文化研究所)

ラテンアメリカの竜、パタゴニア地方の民話・伝説

パタゴニア地方(チリ、アルゼンチン)のマプチェ族の民話に出てくる吸血生物ピウチェーンは空を飛んでいる蛇のようということで、竜に見えなくもありません。ピウチェーンはマプチェ語で「人間を枯らす」という意味で、襲われると血を吸い取られてしまうと言い伝えがあります。吸血コウモリのチュパカブラの変種のようです。[出典:ホセ・サナルディ(文)、セーサル・サナルディ(画)『南米妖怪図鑑』(ロクリン社)]

マプチェ族の伝説には、パタゴニア・ドラゴンとも呼ばれるカイ・カイ・フィルがいます。「半分は馬でもう半分は蛇」の生き物で、海の底に住み大洪水を起こすと言われています(名前はほぼ同名の南米の恐竜が由来か?)。ライバルはトレン・トレン・フィルで、地中にいて地面を隆起させて洪水を阻止します。[出典:アドルフォ・コロンブレス『アルゼンチン民衆文化における不思議な生き物』など]

写真:ヌエバ・インペリアル(チリ南部の都市)の広場にあるカイ・カイ・フィルとトレン・トレン・フィルの像(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kai_Kai_y_Txeng_Txeng.JPG

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「われわれは宇宙の意味について無知なように、竜の意味についても無知である。しかし竜のイメージには人間の想像力と相性のよいところがあり、そのことがさまざまな場所と時代の竜の出現を説明する。」[出典:ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』(柳瀬尚紀訳、河出文庫)] ※ボルヘスはアルゼンチン出身の作家。

(久野 量一、大学院総合国際学研究院)

日本、諏訪大社の龍神

長野県諏訪郡の諏訪大社 下社 秋宮の幣拝殿の彫刻(立川和四郎富棟)

撮影地:長野県諏訪郡の諏訪大社
撮影者:山口裕之(大学院総合国際学研究院)

東京外国語大学上空

東京外国語大学府中キャンパス上空のこの雲、龍に見えませんか。

撮影地:東京外国語大学府中キャンパス、2023年12月28日
撮影者:大学広報スタッフ

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