2012年台湾総統選挙の見通し (3)
東京外国語大学 小笠原 欣幸
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  1.台湾は民主の灯台  

 台湾総統選挙の投開票まであと3日となった。1月14日,国際的な選挙イヤー・指導者交代イヤーのトップを切って台湾で大統領選挙の投開票が行なわれる。
台湾総統選挙は1996年に初めて直接投票による選挙が実施されて以来今回が5回目である。選挙は,決められた手続きに従って候補者が出馬し,公開の討論会を含む選挙活動を展開し,政見を述べ合い,支持票を競い合い,毎回76%以上の有権者が投票に参加している。多少のトラブルはあるが大統領の直接選挙は台湾社会に深く定着し揺るぎのないものになっている。新興国や紛争を抱える諸国が選挙を行なう際に国際的な選挙監視団が派遣されることがあるが,台湾ではそうしたものは必要ない。
 今年は中台の指導者選出が初めて同じ年に行なわれる。中国で江沢民から胡錦濤への指導者交代があった2002年は台湾総統選挙の年ではなかった。ケ小平から江沢民への権力継承があった1989年は,台湾はまだ民主化されず民選による総統選挙は実施されていなかった。今年,台湾では自由・公正な選挙によって次の4年間を託す大統領を選出する。一方,中国では次の5年間(実際には次の10年間)を担う最高権力者は事実上の密室において決定される。中台の指導者選出が偶然同じ年に行なわれることになり,台湾海峡両岸での政治体制の差に改めて注意を向ける人も多いであろう。
 台湾の選挙の実態には批判もたくさんある。政府与党が選挙で有利になるよう行政をねじ曲げたり,資金力にものをいわせて大量の宣伝を打ったり支持者を動員したり,地道な政策論争より民衆受けする安易な公約が多い,ネガティブキャンペーンが多い,社会的亀裂を強調して票に結び付けようとするなど台湾の問題点は多々ある。これらは先進諸国の選挙にも共通する諸問題である。
台湾の選挙の問題点として,票の買収についても触れておきたい。台湾の地方選挙では票の買収事件が頻繁に発生している。国政にかかわる立法委員選挙でも票の買収が一部の候補者により行なわれている。これは根深い問題であるが,自浄機能も不十分ながら機能している。前回2008年立法委員選挙では5人の当選者が選挙違反により摘発され,当選無効判決を受け失職した(4名は国民党籍,1名は親民党籍)。再選挙が行なわれた4選挙区はいずれも野党民進党の候補が当選し,選挙違反を出した政党が選挙民により「罰せられて」いる。全国規模で行なわれる総統選挙についてはここで言う狭義の意味での票の買収はない。しかし,現場で票を取りまとめる人物に「活動資金」として金が配分されそれを使って支持者を集め様々な活動を行ない票固めをするという動きは毎回ある。こうしたグレーゾーンの行為をどのように規制をしていくか議論が必要である。
 台湾の総統選挙に対しては多くの中国国民が関心を寄せている。中国メディアは台湾の選挙のマイナス面を強調し,批判的あるいは嘲笑的な評論を頻繁に掲載している。中国でインターネットが発達し人々が様々な情報に接することできるようになったと言われるが,中国大陸においては台湾のいくつものサイトが中国当局によりアクセスできないように遮断されている。しかし,12月3日台湾で行なわれた総統候補者のテレビ討論会は,[新浪]などのポータルサイトを通じて中国大陸にそのままネット中継された。中国のネット利用者が民進党の蔡英文主席の主張を断片的ではなくまとまった形で聞いたのは初めてであろう。中国当局が遮断しなかった理由はわからない。3人の候補者の政見討論会をネットで見た人は,その主張に賛同するかどうかは別として,海峡両岸の差異を感じずにはいられなかったであろう。総統選挙は台湾の最強のソフトパワーである。
もとより,台湾では選挙で最高指導者を選んでいるからといって中国も直ちに選挙を導入すべきだと考える中国国民は多くはないであろう。中国は中国のやり方で最高指導者のよりよい選出方法を模索していくであろう。しかし,台湾が一党支配体制を改変し今日の民主主義を築いた道のりは中国国民が知っておいて悪いことではない。西側諸国が中国に民主改革を求めても中国側の反応はかえってかたくなになることがある。しかし,同じく中華民族を中心とする社会である台湾で民主政治が実践されているという事実は長期的には様々な形で中国大陸に影響を及ぼしていくに違いない。台湾は中国の政治体制の暗い部分に光を照射し,航海の方向を示唆する民主の灯台の役を担っている。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  2.選挙の争点  

 拙稿「2012年台湾総統選挙の見通し(1)」で書いたように,馬英九総統が進めてきた対中政策について台湾の選挙民がどのような判断を下すのかが最大の争点である。中でも,中台の関係改善・交流拡大の基礎となった「92年コンセンサス」をめぐる馬英九候補と蔡英文候補の立場はまったく異なる。「92年コンセンサス」は,1992年の中台双方の窓口機関の間で事務レベルの折衝過程で形成されたとされる。
 日本のメディアの中には「92年コンセンサス」を「大枠で一つの中国を確認するとした合意」と簡略化した説明をつけているところがあるがこれは不十分である。これは中国側の解釈である。台湾側は「一つの中国の中身についてそれぞれが(中華民国と中華人民共和国と)述べ合うことで合意した」と解釈している。中国側は,江沢民時代はこの台湾側の解釈を否定してきたが,胡錦濤時代になって台湾側の解釈を否定も肯定もしない方針に切り替え国共連携に道を開いた。国民党の側も解釈のズレをあえて質さないようにしている。「92年コンセンサス」とは中台間の解釈の違いを棚上げする合意という意味も持つ。これを「大枠で一つの中国を確認するとした合意」としてしまうと,中台間の政治的駆け引きもわからなくなるし,江沢民政権と胡錦濤政権の対台湾政策の違いも見えなくなる。
 蔡英文は「92年コンセンサス」は存在しないと主張する。その意味するところは,「92年コンセンサス」と書いた合意文書はないし,中台の間でそもそも解釈が異なっているのだから合意などないという論理である。一方,中国側は「92年コンセンサス」は両岸の交渉の基礎であり,それがなくなれば交渉を進めることは難しくなり,これまでの成果も失われかねないという趣旨の発言を繰り返し行なっている。馬英九が再選された場合は,「92年コンセンサス」を基礎とする現在の中台関係が維持されるであろうが,蔡英文が当選した場合は中台間に摩擦が生じることは避けられないであろう。摩擦がどのような規模でどのような性質のものになるのかは中国の対応しだいである。蔡英文は中台の交流を停止させないとも言っているので政権についてから現実的な対応を打ち出すのかもしれないがリスクはある。
 選挙期間中の論戦を通じて馬英九と蔡英文の主張がかみ合うことはなく,両者の違いが鮮明なまま投票日を迎える。馬英九が再選された場合は,台湾の選挙民は中台の関係改善・交流拡大の継続を選択したことになる。蔡英文が当選した場合は,台湾の選挙民は中台関係が多少ぎくしゃくしても台湾の主体性を重視する選択をしたことになる。
 次に争点となったのは経済格差および福祉政策である。この議題では,馬英九が成長重視,蔡英文が福祉重視というスタンスの違いがある。支持の傾向を見ても,グローバル化の競争の中で所得が伸びない層および地方で蔡英文への支持が高く,国際的に展開する企業,中国ビジネスに関係する企業の多い地域,および公務員など安定した職の多い地域で馬英九への支持が高い。ただ,どちらも社会的に立場の弱い層への政策を掲げているので,政策だけを見るとそれほど大きな差は見えない。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  3.選挙の盛り上がりそしてラストスパート  

 選挙戦が盛り上がっているかどうかは個々人の感覚で異なることもあるが,一つの客観的指標として投票率を見ることができる。投票率の高さは選挙戦の盛り上がりをある程度反映すると言ってよいであろう。台湾では不在者投票が認められていないので,必ず住民登録している地区の投票所に行かねばならない。そのため,投票のため出身地に戻るなどわざわざ長距離を移動しなければならない人もたくさんいる。海外居住者も必ず台湾に戻らなければならない。軍人,警官など職務上持ち場を離れることができない人は投票することができない。こうした要因を考えると2000年の82.7%という投票率は投票可能な人はほとんど投票した状態であった言ってよい。2008年はそれよりは低かったが,それでも,不在者投票制度のある日本の総選挙(2009年69.3%),アメリカの大統領選挙(2008年61.6%)よりもかなり高い。今回も前回並みまたはそれ以上の投票率が予想されている。馬英九,蔡英文の両陣営の選挙集会はどの場所でも非常に多くの人が参加している。台湾の選挙は盛り上がっていると見てよいであろう。

《表1》 総統選挙の各候補得票率と投票率
 2000年 2004年 2008年 2012年
候補者 陳水扁 連戰 宋楚瑜 陳水扁 連戰 謝長廷 馬英九 蔡英文 馬英九 宋楚瑜
得票率 39.3% 23.1% 37.6% 50.1% 49.9% 41.6% 58.4% yy.y % zz.z % aa.a %
投票率82.7% 80.3% 76.3% xx. %

 台湾の選挙法では投票日直前の10日間は民意調査の公表が禁止されている。情勢判断の手がかりとなる民意調査は1月3日以前に実施されたものである。台湾のテレビ局TVBSの民意調査に依ると,12月の最後の週に馬英九がリードしたように見える。TVBSでは民進党の支持が低めに出るのでそれを補正するため3〜5ポイントを蔡英文に上乗せしてもまだ馬英九が上回っている。ただし,民意調査では拾いきれない選挙民がある割合で存在する。また,最後の1週間になり蔡英文人気に火がついたようなのでそれも不確定要因である。選挙議題をめぐる攻防では馬英九が何回かつまずいたが全体としてうまく立ち回った印象がある。蔡英文は選挙議題の攻防で押され気味の局面が何回かあったが,馬政権の4年間の民衆の所得の低迷などを突いて攻勢をかけた。
 適切な例えではないが,わかりやすくするため競馬のレースに例えてみたい。レースの開幕は4月にあたる。馬と蔡の二頭が並んでスタートした。だいぶ遅れたところから三番目の宋もレースに加わった。第二コーナーを曲がってからの直線は夏場にあたる。秋にあたる第三コーナーに至る間は馬が一馬身ほどリードしていた。しかし第三コーナーを曲がる(10月にあたる)局面で,和平協議の議論を境に馬の速度が落ち11月上旬と12月上旬の2回蔡がリードした。しかし,12月下旬からの第四コーナーで馬が蔡を抜き返し半馬身ほどリードした状態で最後の直線(これが年明け)に入った。双方のものすごいラストスパートで土煙が上がり二頭の姿は見えなくなった(民意調査が公表されないため),馬が逃げ切ったのかどうかはゴールに入って確認されるというところではないか。

TVBS民意調査の3候補支持率の推移
 残念ながら本日12日からの台湾出張の前に本稿を完成させることができなかった。中途半端のままUPすることをお許しいただきたい。研究する者にとって総統選挙と立法委員選挙のダブル選挙は過酷であった。片方だけでも選挙の展開を追いかけ整理するは大変な作業である。ダブル選挙となったことで情報の整理が追いつかないまま投票日を迎えることになり忸怩たる思いがあるが,仕方ないと割り切るしかない。台湾の総統選挙・立法委員が事件・事故のないまま平安に終了することを念願している。(2012.1.12記)
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以下の拙稿もご覧ください。

「2012年台湾総統選挙の見通し(1)」    ・「同見通し(2)」
「2004年台湾総統選挙分析 ― 陳水扁再選と台湾アイデンティティ」
「2008年台湾総統選挙分析 ― 政党の路線と中間派選挙民の投票行動」
「馬英九政権論」(その1) (その2) (その3)
「2010年台北・新北市長選挙の考察」 (蔡英文の選挙戦を詳しく論じています)

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