東京外国語大学

地域の情報

知られざるトルコの大作家 アフメト・ハムディ・タンプナル

アフメト・ハムディ・タンプナル。20世紀トルコ文学を代表するこのビッグネームの名前を知る日本人、まして実際に作品を読んだことがある人は一体どれほどいるだろう?タンプナルは、トルコで日本文学史における夏目漱石(その作風・文体などは当然全く異とするが)のようなポジションにいる小説家、つまりはトルコ近代文学の父である。オスマン文学(漱石ならば、日本の古典文学)をその教養の出発点としつつ、漱石同様に、西洋文学から(漱石がディケンズをはじめ深くイギリス文学に傾倒していたのに対しタンプナルは特に、ボードレール、プルースト、バルザックなど、フランス文学を愛してやまなかった)大きな影響を受けて、栄華を極めたオスマン帝国崩壊後、猛烈な勢いで「近代化」「西洋化」を進める、共和国トルコを舞台に、「西」と「東」の文明の相克を描く、独自の文学世界を創造した。トルコ人初のノーベル賞作家となったオルハン・パムクも彼から多大な影響を受けたことを公言している。

現在私が研究対象としている、『時間調整機構(Saatleri Ayarlama Enstitüsü)』は1961年に出版された、タンプナルの事実上遺作となった長編小説だ。トルコ共和国内の時計を、それまでのイスラム暦から西洋時間に変えるため設立された「時間調整機構」(複雑な罰金システムを用いて西洋時間に合わない、国内全ての時計に罰金を課す作品内の架空の巨大官僚機構)を舞台に、建国間もないトルコの、オスマン以来の伝統と「近代化」の軋轢、「西洋」と「東洋」、イスラムの相克とその問題を、エンターテイメントとしても読める作品のうちに描き出している。
 彼のもう一つの代表作『心の平安』の英訳が出版されたのが2008年、『時間調整機構』の英訳が出たのが2013年であり、タンプナルはまだ、国際的な認知・評価自体が、始まって間もない。9月に藤原書店より『心の平安』の邦訳が出版され、日本でもようやく一般の読者も彼の作品を楽しむことが出来るようになった。この流れが続くことを心から期待したい。

東京外国語大学大学院総合研究科地域・国際研究専攻地域研究コース (現代トルコ文学研究)
博士前期課程 堀谷加佳留