東京外国語大学

地域の情報

世界とっておき情報―ブラジルの「秩序立った無秩序」

2016年10月、約2年半ぶりにブラジルの地を踏んだ。前回は交換留学生として最南端の州リオグランデドスルのポルトアレグレという町に、今回は修士論文のためのフィールドワークのためブラジル経済の中心地サンパウロに。ブラジルは世界で5番目に広い国土を誇る国。前回とは降り立った場所も季節も違うが、空港を出たときの匂いは変わらない。騒音と、活気と、排気ガスの混じり合ったこの匂いにまだ惹かれている。

ブラジルに着くや否や、出発までに綿密に練り上げた私の研究工程は音を立てて崩れ落ちる。最初の訪問先で、少々堅苦しかった私の研究姿勢はあっけなく肩透かしを食い、ブラジルのペースに取り込まれた。インタビューをしにきたつもりが、到着するやいなや大勢の見ず知らずとの昼食に誘われたあげく反対に質問攻めにあってしまう。博物館に研究に関する展示を見に来ただけのはずが、館長とコーヒーを片手に博物館の未来について午後中語り合うことになってしまう。さらには、現地の中学校で生徒に聞き取り調査を試みるも、気づけば先生の家に招かれその子どもの世話を任されてしまっている。

こんな調子を「なんて雑なんだ」と悪く言う人もいるが、良い風に捉えれば非常に「柔軟」で「自由闊達」。前回の留学でブラジルのこの気風を嫌と言うほど学んでいたはずだったが、帰国後幾年か日本で過ごすうちにきれいさっぱり忘れてしまったらしい。凝り固まった思考が滞在を通してほぐれていく。視野が広がり多角的に物事を考えようとし始めてしまうのは、そういったブラジルの気風がそうさせるのか、はたまた空が広く起伏の激しいブラジルの町の様子が私の思考とリンクしてしまうのかはわからない。

以前ブラジル人の友人が自身の国の生活様式を評した言葉が忘れられない。ブラジルは「秩序立った無秩序で成り立っている」と。他の国からしたら一見乱雑そのものであるものにも、実は確固とした秩序が存在し、ブラジル人はその秩序立った無秩序を受け入れ、それに沿って生活している。ブラジルで生活すると、嫌でもその無秩序の存在を感じることになるだろう。しかし、途上国と侮ることなかれ。無秩序を生む「柔軟」で「自由闊達」な気風は日本にとって致命的に足りない部分でもある。ブラジルでの生活は、そういった日本の可能性を提示してくれる。ブラジルの気風にさらされて私の研究工程は見事粉砕したわけだが、彼らの流儀を受け入れることで、かえって豊かな成果を得られたと感じている。

どんな相手からも、自分に足りないところを学びとる姿勢とその大切さ。これは個人と個人の間のみならず、地域と地域、国と国、という大きな枠組みにも適用できる視点でもある。今回のフィールドワークで再確認したこの視点を、社会に出た後も持ち続けていたい。

東京外国語大学 大学院総合国際学研究科
地域国際専攻
博士前期課程2年 片岡 龍之介


【掲載日:2018.3.2】