東京外国語大学

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アフリカの紛争:ブルンジ紛争とAU(アフリカ連合)

1. 中東で混乱が起これば日本でもよく報じられるが、サブサハラ・アフリカとなると、多数の死傷者が出たとしても報道で目にすることは少ない。しかし、悲惨な事態は2016年に入っても現実に起こっている。ブルンジ で今起こっていることは、2016年のアフリカの中で最も懸念される紛争のひとつである。
2. アフリカ東部に位置するブルンジは過去の混乱から脱し和平の道を進んでいたかに見えていたものの、昨年来事態が一転し大きな政情不安に陥った。この状況を前にアフリカ連合(AU)は積極駅姿勢を示し、平和維持部隊派遣も具体化しつつあった。しかし、本年初めこのAUの動きにも変化が出始め部隊の派遣は見送られることとなった。ブルンジ側の予期せぬ強い反発に腰が引けた形になったのである。
過去、この地域ではどちらかと言えば隣国ルワンダが注目を浴びていた。ツチ族、フツ族の対立により大規模の死傷者が出た。しかし、このルワンダでは、今はそれを克服し、安定した政情の下で経済も良好な様相を示すようになった。世銀の"Doing Business"でもルワンダはアフリカ上位に位置するまでになった。対照的状況になったのが同じ地域のブルンジである。
ブルンジは、1962年の独立後、民族対立の構造の下で混乱し、それが今では異民族間の対立という枠を超えた混乱へと姿を変えてきている。昨年4月、ンクルンジザ大統領は3期目の大統領選出馬表明をした。憲法規定から外れる行為であり、これにより国内は再び混乱し始めた。大統領は野党ボイコットの中で選挙を強行し、混乱は収まらなくなった。今や大統領派と反大統領派の対立は顕著で、昨年以降、今年2月までの死者は数百人、近隣国への流出難民は20万人を超える。
これに対し、AUは介入の姿勢を見せた。アフリカの平和維持軍による事態の収拾を試みようとしたのである。正に「アフリカによるアフリカ問題の解決」がAUの方針でもある。しかし、当面はこの具体化はなくなった。紛争処理にも積極的に介入すべく過去のアフリカ統一機構(OAU)からAUに転換したはずであった。物事は簡単には進まない。これが国際政治というものであろう。
3. AUは、2002年に発足した。前身のOAUは「統一機構」との名を持ちつつも内政不干渉の下で紛争処理のためには効果的行動がとりにくい状況にあった。強い権限をもたせるべく新組織が構想され、これがAUとして身を結んだのである。AU創設の推進者は今は亡きカダフィ大佐である。彼は元々汎アラブ主義推進者であったが、AUの強い推進者として動いたことは彼の汎アフリカ主義への転向ともとれるものである。AUは、紛争解決、平和構築の分野における機能強化のため平和安全保障理事会が設けられ、平和維持部隊の派遣も可能となった。アフリカの問題に対しアフリカ自身の手で解決を導くよう歩み出したのである。
4. ブルンジの国家経済は、最貧国レベルではあるものの、近年国内が安定してきたもあり、5%前後という高い成長率を示してきた。経済成長のためにも政情安定は重要な要素となる。この国の不安定化は近隣諸国にも少なからず影響を与えるため、AUとしては地域の安定という面からも調整にあたりたいところである。今回のブルンジ問題に対し、AUは当面平和維持軍の派遣は見送るもののハイレベルの代表による対話による解決を模索することとなった。これは、強い介入から静かな介入へと姿勢を転換したことになる。
ただ、冒頭でAUの腰が引けたかの如く書いたが、見方を変えてみれば、今のAUの動きも決して過少評価すべきものではなく、アフリカ主導による動きのひとつとして見ることもできるかもしれない。少なくともそのように期待したい。(国際動向・国際事情分野)

名井良三 (みょうい りょうぞう)
社会・国際貢献情報センター 副センター長