卒業論文・卒業研究
卒業論文・卒業研究題目一覧
総合文化コース(2017年度)
| スペイン、家族という紐帯 |
| 20世紀ロシアにおけるバレエ改革の先駆者アレクサンドル・ゴールスキー『ドン・キホーテ』 |
| ジナイーダ・ギッピウス『聖なる血』における3組の対立 |
| 横浜中華街における「中国風文化」の変遷 |
| 『美しいアナベル・リイ』と『水死』における女性表象と父権の転覆 |
| 谷崎潤一郎と「野生」―『細雪』再考― |
| 現代における和食とは何か |
| 『ライラの冒険』3部作から読み取る、作者Philip Pullmanの主張―宗教議論を呼ぶ要素を中心に― |
| 日本人の狐に対する印象の変化―なぜ狐は人を騙すのか― |
| リスク概念の歴史と今日の課題 |
| 日本観光産業における「クールジャパン」の有用性 |
| ニュー・ジャーマン・シネマにおける過去の文学作品の映像化―映画『バール(Baal)』を題材に― |
| 衣服とアイデンティティー ―衣服の多様な側面とこれからのあり方― |
| 語り手ルキーニが歌う《キッチュ》の視点から考察するミュージカル『エリザベート』 |
| 宮崎駿のアニメ作品における日本の原風景 |
| 『ファウスト』における「夜」の表現の考察 |
| 日本のサッカークラブの未来像―日独のサッカー文化比較を通じて導かれるもの― |
| ミュージカル『エリザベート』の複層性―トートに表象される二つの死― |
| 翻訳の意図と読者 ―ヘルマン・ヘッセ『デミアン』日本語訳の比較から― |
| 『グリム童話集』と『日本の昔ばなし』における人間と動物間の変身について |
| SNS利用が精神的健康に及ぼす影響 |
| 文化的自己観と自尊感情との関係について―達成目標に着目して― |
| フローベール『ボヴァリー夫人』における液体の象徴作用について |
| 外国人子弟教育のあるべき姿 |
| 現代フランスの公教育に見られる宗教性 |
| オートクチュールの存続と変化 |
| 動物絵本の魔法―カストール絵本を中心に― |
| 幻想としての日本―L'Usurpateur『簒奪者』におけるジャポニスム― |
| ギリシア人と教育―知の偏在はどこから来てどこへ行くのか― |
| スローフードの観点から再考する美食都市―ボローニャを事例に― |
| ‘A TRADUZZIONE DE LO CUNTO DE LI CUNTI 『物語の中の物語』の翻訳 |
| ランドルフィ作『独身姉妹』の翻訳 |
| 儀礼・祝祭の役割―カーニバルと祭の比較から― |
| ペルー日系社会における組織性格の変遷―閉じた集団から開かれた集団へ― |
| 日本人の動物観と表象 |
| ペルー/非当事者中心の「移行期正義」:「記憶の場博物館」は何のためにつくられたか |
| 21世紀のラ・マリンチェ~「裏切り者」を捉え直す~ |
| リーガ・エスパニョーラのクラブ・アイデンティティー―地域性はどのようにクラブに反映されるか― |
| フェリスベルト・エルナンデス『はぐれ馬』―少年時代の恋の記憶をめぐって― |
| 映画は終わらない―ビクトル・エリセ論― |
| モーロ小説について―その成立と成功― |
| アルゼンチンにおける日本語教育とその課題 |
| 現代スペイン語レズビアン・ゲイ文学アンソロジー |
| 訪日外国人の観光情報源としてのTwitter |
| 南蛮貿易と日本人奴隷について |
| 森見登美彦著作の主人公における自意識構造 |
| 宮沢賢治の宗教観― 『銀河鉄道の夜』の改稿をめぐって |
| ブルメイステル版『白鳥の湖』から見える「ドラマ」の必要性―同作品の比較を通して― |
| ソ連のロックンロール~社会主義リアリズムへの抵抗と自由への希求~アクヴァリウムとボリス・グレベンシコフの楽曲分析 |
| 実験から構築へ―作家ソローキンの変遷と『氷』三部作― |
| 小説『美也子の遺書』 |
| 翻訳『猫のイグナーシー、煙突掃除屋フェージャと、ひとりぼっちのネズミ』 |
| 「日本すべてが―夢である」―銀の時代のロシアにおける日本のイメージ― |
| ソ連バレエのDNAとボリス・エイフマン |
| ニコニコ動画におけるボーカロイド楽曲史 |
| 現代ロシアに残るソビエトスポーツの性格 |
| 「キャラクター・コミュニケーション」文化論と広告論の立場から |
| ロシア史におけるポクロフスキー大聖堂と血の上の救世主教会の象徴性 |
| ロシア連邦の歴史教科書に描写された日本―ロシア連邦教育科学省推薦10年生・11年生用世界史教科書を用いて― |
| ヴェリミール・フレーブニコフ 星の詩学―『メドルームとレイリ』と『カー』の関連についての一考察 |
| アンティゴネとジャフィエの比較ーシモーヌ・ヴェイユの視点から |
| 新書分析を起点とした中国人イメージと“面子” ―村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』も題材に― |
| 包公故事「烏盆記」作品の変容~小説、京劇、映像作品の比較を用いて~ |
| 今昔二つの男女入れ替わり物語―『とりかへばや物語』と『君の名は。』― |
| 日中台の化粧品の歴史と化粧意識の比較 |
| 人間はなぜ音楽するのか |
| 「白蛇伝」作品の発展と変容―話本、京劇、映画の比較を用いて― |
| 中国民間伝説『梁山伯与祝英台』にみる蝶と蝙蝠の表象及び派生作品における"変化"の描かれ方 |
| 高千穂神楽に見る民俗信仰・存続要因 |
| 朝鮮開化期におけるナショナル・アイデンティティの形成―独立新聞を中心に― |
| 夢見たダツラ |
| 『花より男子』に見る韓国ドラマの非現実性 |
| 「オタク」の人類学的再定義 |
| モンゴルの「宗教」概念―シャーマニズムや福音派との関係において― |
| 現代インドネシアにおけるジャムウビジネスの現状と今後の展望 |
| ジャワの鳥飼文化 ~クラトンを背景とした人と鳥の生活~ |
| パングルラン文化的受肉カトリック教会教会堂に見るトバ・バタックの宗教観 |
| ピーター・レノン~\路上流し\"という生き方~" |
| プラナカン文化から考える多民族国家マレーシアのあり方―多様性の中の統一に向けて― |
| 妬み感情が自己形成意識に及ぼす影響―自尊感情に着目して― |
| メトロ・セブの観光開発は地域住民を貧困から救うのか |
| 日本の家事・育児スタイルと子育てコミュニティーの変化 ―地域・企業の子育てサポート、祖父母の孫育て、育児代行サービスの観点から― |
| タイの小学校低学年の国語教科書と日本人向け初級タイ語教科書における語彙分析 |
| 日本語とタイ語における色彩表現の研究 ―慣用的表現と隠喩を中心に― |
| 三島由紀夫『仮面の告白』論 主人公の語り |
| sea gamesと「レガシーの問題」 |
| 小説『老いた弥勒像のお話』の日本語訳 |
| 平和小説としてのGoing after Cacciato―ベトナムとベトナム人の表象を中心に― |
| 現代ベトナムの犬食にみる文化の変容可能性 |
| なぜカンボジア人はFacebookを好むのか ~カンボジアにおけるSNSの発達と役割~ |
| 『プレアコー・プレアカエウ』にみられるポスト・アンコール時代史とカンボジア人の思想への影響―映画版を中心として― |
| 多様化する宗教装置の諸相―羽黒修験道秋の峰を事例として― |
| 僧侶との比較から見るミャンマーの尼僧ティーラシン |
| 自己開示抑制要因としての山アラシ・ジレンマ |
| ニューエイジとカルトの連続性―ニューエイジに思想にみるジレンマを中心に― |
| ウルドゥー語女性雑誌の歴史と変遷―社会における需要・影響と現代における女性雑誌の需要― |
| デリーの東北インド人移民 東北インド人移民が直面する問題とその背景について |
| インドにおける聾唖者の認識 |
| アーユルヴェーダなぜ今でも生き続けているのか |
| イスラエルの「食」とユダヤ教の関係 |
| アーミッシュの政治参加 |
| 『ナルニア国物語』とキリスト教の精神―善と悪の観点から― |
| フランス多文化状況における「表現の自由」とライシテ―シャルリ・エブド風刺画事件を巡る議論の考察から― |
| 現代エジプト社会と女性監督イナス・エルディギーディの挑戦 |
| 日本における性的マイノリティに関する教師教育について |
| 在仏アルジェリア系移民音楽から見る「アルジェリア・アイデンティティ」の変容 |
| オメル・セイフェッティンの「ヤルヌズ・エフェ」に見られる小説化のプロセス |
| 卒業研究 小説『女優』 |
| 『源氏物語』から見る薫の人物像 ―恋と道心を中心に |
| 「万葉集」における大伴家持の恋歌に関する研究 |
| 英国支配期のベンガル地域における社会変動とムスリム女性―ロケヤ・シャカワト・ホセインの活動を中心に― |
| ベンガルの昔話における物語分析 |
| 3人のベンガル女性作家の作品翻訳 |