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雑誌『クァドランテ』

海外事情研究所では、1954年の創立以来、数々の雑誌や書誌を刊行してきました。2000年3月までの刊行物に関しては、東京外国語大学海外事情研究所刊行印刷物総目録(1956年4月〜2000年3月現在)をご覧ください。 また、1999年より、新たに雑誌『クアドランテ[四分儀]―地域・文化・位置のための総合雑誌』を発行しています。以来、原則として毎年3月に刊行しています。編集規定は、こちらです。
『クァドランテ』20号原稿募集のお知らせはこちらです。

公開されている各論文は、東京外国語大学学術成果コレクションのPDFファイルにリンクされています。

『クァドランテ』第1号(1999年3月)

創刊によせて 増谷英樹
論文
ミカドの外交儀礼 中山和芳
北一輝の辛亥革命・五四運動観-吉野作造との対比を中心に 黄自進
「労働者」と「下層民」-チリ都市民衆の二類型 高橋正明
ホロコースト後の死(その1)―ヴォイドイフスキの自死が語りかけるもの― 小原雅俊
ヴェーバー研究史における「逆説」―歴史の「分断」と密かな「連続」― 三笘利幸
研究ノート
「スペイン王国」の成立とコンソルベ問題に関する覚書 立石博高
ポルトガルの異端審問所と新キリスト教徒-レヴァ=サラィヴァ論争をめぐって 金七紀男
小特集:宗教と地域アイデンテイテイ
インドネシアにおける諸宗教の共存 石井和子
杜会主義ベトナムにおける宗教と政治―国家公認宗教団体を通して― 今井昭夫
エジプトの宗教的マイノリティーとしてのキリスト教徒―中東の宗教的多様性の投ずる問題の一例として― 八木久美子
書評
サンスクリット研究の現状―イデオロギー論の視座から 足立享祐
19世紀インドにおける植民地統治の論理と在地杜会の反応 石田久美子
研究動向
蘇る「イラン立憲革命研究」の現在 八尾師誠
海外事情研究所をめぐる研究会報告
報告
What is Her "Right" Name, "a Woman", "a Palestinian" or "a Filastiniya"? OKA Mari

『クァドランテ』第2号(2000年3月)

第2号発行に際して 佐藤公彦
特集:「記憶と歴史」国際シンポジウム
記憶と歴史のあいだで 上村忠男
記憶、忘却、歴史―「記億術としての歴史叙述」の原史― 岩崎稔
記憶の不協和音としての「共和政」―「共和政フランス」と集合的記憶― 工藤光一
ダイアナ・ウォン「グローバル・シティの記憶『シンガポール物語』」について 斎藤照子
ドイモイ下のベトナムにおける「戦争の記憶」 今井昭夫
「アメリカの戦争」の記億―ヴェトナム戦争をめぐって― 生井英考
総括提案にかえて 岩崎稔
シンポジウム「記億と歴史」傍聴記 金井光太朗
Memories of a Global City :"The Singapore Story" Diana Wong
Toward a History of National Memory John Bodnar
Memory and History at the End of History Patrick Hutton
論文
明治後期における中国像―日本政府の中国革命運動への支援と否定 黄自進
研究動向
欧州における東南アジア研究の現状と関連文献の所在 奥平龍二
書評
スピノザの想像力とアイデンティティ ―M.Gatens & G.Lloyd, Collective Imaginings-Spinoza, Past and Present 吉田耕太郎
〈アートとしての生〉と独断論 ―Alexander Nehamas, The Art of Livingをめぐって 高橋明史

『クァドランテ』第3号(2001年3月)

特集:記憶と歴史II
Colonial violence: Communal memories and postcolonial morality in the Netherlands Remco RABEN
史実を無視した一方的な「記憶」―いわゆる「オランダ戦争展」の悲喜劇― 佐藤弘幸
特別ワークショップの記録『占領の記慮をどう描くか?』 岩崎稔
「目本人、オランダ人、インドネシア人-日本占領下のインドネシアの記憶」ワークショップ傍聴記 今井昭夫
1990年代のチェコ共和国における歴史と記憶 ズデニェク・ホイダ
Memory as Politics: A comment submitted to the international symposium at the Tokyo University of Foreign Studies (Feb.2.2001) OZAWA Hiroaki
始原の歴史学を描平する―想起される横浜の過去について― 阿部安成
歴史を書くことと読むこと 安村直己
ワークショップ報告:コメントと討論 相馬保夫
「目本民俗学」・ファシズム・植民地主義 村井紀
「原目本」と「ヤポネシア」のはざまで―谷川健一編『叢書・我が沖縄』の提起したもの― 上村忠男
倫理性を支えるベクトル―《沖縄の記憶/日本の歴史》第一回研究会所感― 師玉真理
論文
「南米のパリ」を夢見て―ビクーニャ・マケナのサンティアゴ改造計画―(上) 高橋正明
アンチ・ファシズム・ヒステリア 中山智香子
キリスト教伝道と太平天国 渡辺祐子
日本の義和団研究百年 佐藤公彦
書評論文
ジェンダーから見た経済発展 ―Tracy Bachrach Ehlers, Silent Looms: Women and Production in a Guatemalan Town(Revised Edition). 山本昭代
現代アンダルシーアの目雇い農民の文化をめぐって ―F.Talego Vazquez, Cultura Jornalera,Poder Popular y liderzgo mesianico. Antropologia politica de Marinaleda 塩見千加子
美学史はどのようにして可能か―互いに撞着する方法としての美学史 ―小田部胤久『象徴の美学』(東京大学出版会、1995年) 大澤俊朗
多様性と序列―18世紀の人類学者ペトノレス・カンパーをめぐる民族的区別distinctionの言説の諸相― 吉田耕太郎

『クァドランテ』第4号(2002年3月)

特集1:記憶と歴史III
なぜ、いま、ここで、ベトナム戦争の記憶か? 岩崎稔
薄れない戦争の記憶 バオ・ニン
ベトナム北部における戦争の記憶 グエン・ミン・トゥアン
The Pain is deeper than the Memory Phan Nhat Nam
ベトナムの韓国軍 具秀女正
中国はベトナム戦争にどう関与していたか 朱建栄
ベトナム戦争とべ平連 小田実
討議:シンポジウム「戦争の悲しみ・戦場の記憶」
ベトナム戦争の多面的記憶 遠藤聡
[世界人類が平和でありますように]2 藤井貞和
沖縄発「土着コスモポリタニズム」の可能性 太田好信
語られる「沖縄」―外部と内部から― 宮城公子
歴史を眼差す位置―「命どぅ宝」という言葉の発見― 屋嘉比収
「他者」との出会いと新しい語りの可能性 尾形希和子
特集2:ユダヤ難民とディアスポラの記憶
現代ディアスポラ(離散)としてのユダヤ難民 ヴォルフガング・ベンツ
「大日本帝国」下の反ユダヤ主義とユダヤ人難民 金子マーティン
アイヒマンの「ウィーン・モデル」 増谷英樹
ワークショップ報告:ユダヤ難民とディアスポラの記憶 長田浩彰
論文
扶桑社版『新しい公民教科書』の論理と心性―9.11以後の光景のなかで 岩崎稔
天使の顔:大戦間期の複製技術と総動員 中山智香子
マックス・ヴェーバー研究と中国社会論 三笘利幸
文化的異種混交性と哲学的ナショナリズム―三木清における「世界のなかの日本」の概念 ジョン・ナムジュン・キム
「自然」による啓蒙―20世紀初頭オーストリア「自然の友」協会の活動から 古川高子
書評論文
資本主義の時間性と日常性の不穏 樹本健
民主主義を構成するパラドクスと新しい左派の政治 石井章子
近代の時間意識と日常性分析の可能性 板橋祐己
ソビエトの神話作用 古川哲
共約不可能な諸言説の場としての美学 大澤俊朗
17-18世紀ドイツ知識人世界の一側面 吉田耕太郎

『クァドランテ』第5号(2003年3月)

特集1:記憶と歴史IVシンポジウム記録「ピエール・ノラ編『記憶の場』をどう読むか―日本語版の投げかけるもの―」
まえがき 工藤光一
基調報告:『記憶の場』の彼方に―日本語版をどう読むか― 谷川稔
コメント 安丸良夫/牧原憲夫/岩崎稔
翻訳者からの応答 渡辺和行/江川温/長井伸仁
討論
特集2:西洋史学会シンポジウム「グローバル化とヨーロッパ史の可能性」
問題提起 増谷英樹
グローバル化、西洋化、ヨーロッパの規範化―カトリック王国(1580-1640)と「接続された歴史」― セルジュ・グリュジンスキ
「近代ヨーロッパ」に歴史はあるか マーク・マゾーアー
世界史におけるヨーロッパ史の位置 西川正雄
コメント 小谷汪之
討論
争点
はじめに 岩崎稔
討論:「日常的ファシズム」論のさらなる一歩のために(討論者:林志弦 高/鄭甲煕 金東椿 金鎮虎 金哲 朴煥王武) 崔真碩 訳
「日常的ファシズム」の読み直し 林志弦
論文
19世紀後半のウィーンの流入民と同化の問題―チェコ人とユダヤ教徒の比較― 増谷英樹
殺された少女とその家族の表象―メアリー・フェイガン殺害事件とレオ・フランクのリンチ事件再考(1913年―1915年)― 佐々木孝弘
ヒューマニズムの争奪戦:新自由主義の起源と射程の考察 中山智香子
研究ノート
民衆史のパラドクス―チアパスの「カスタ戦争」を事例として― 小原正
書評論文
〈日本批判〉はいかにして〈日本〉を離脱するか(酒井直樹『過去の声』) 澤井啓一
社会批判としての思想史(酒井直樹『過去の声』) 葛西弘隆
「あいまいさ」をいかに抱きしめるか(J. ダワー『敗北を抱きしめて』) 戸邉秀明
十八世紀ドイツ語純化論の成立とその社会的意義(J. H. カンペほか) 吉田耕太郎
統制の政治学―逓信政策研究の視点から(奥村喜和男『逓信論叢』) 板橋祐己
文献紹介
アレクサンダー・ハース『忘れられた農民党―シュタイアーマルク農村同盟とオーストリア政治(1918-1934)への影響』 藤井欣子

『クァドランテ』第6号(2004年3月)

特集1:『記憶の場』の問いから ―想起すること/忘却すること/叙述すること―
あいさつ 西永良成
基調報告 ピエール・ノラ
コメント 工藤光一/成田龍一/イ・ヨンスク/ 岩崎稔
自由討論
特集2:原理主義と宗教ナショナリズム ヒンドゥー・ナショナリストとは誰か?
サバルタンのエージェンシーとヒンドゥー・ナショナリズム 中島岳志
Rural Hindu Nationalist Movement Participants KAKUTA Eri
Understanding Hindu Nationalism Through Its Development as a Mass-Mediated Movement Arvind RAJAGOPAL
Female Investment in Hindu Fundamentalism: Woman of the Sangh Parivar Tanika SARKAR
コメント 大塚和夫/近藤光博
特集3:ワークショップ ドイツ系移民の世界的広がり ―ブラジル南部ドイツ系コミュニティをめぐって―
ドイツ系移民・アイデンティティ・ナショナリズム マリオン・ブレポール
文化接触の人口史の試み セルジオ・ナダリン
コメントおよび討論の要旨 鈴木茂
争点:ワークショップ 国際会議<強制と同意 「大衆独裁」の比較研究> 
はじめに 岩崎稔
成果と課題 林志弦
論文
Wartime Mobilization and Zainichi Koreans 崔徳考
ナチ支配下のオーストリアにおける強制労働 増谷英樹
新聞から見る公共圏と「地域」 −『ポーゼン大公国新聞』の分析から− 割田聖史
第二帝政における宗派をめぐる一考察−中央党の設立とその性格をめぐって− 和多田徹哉
中国の近代化をめぐるある反時代的考察 劉健芝
アナンケーとしての植民地性から問題系としての植民地近代性へ 趙享根
歴史を紡ぐ作家 −グリッサン「歴史との争い」を読む−  中村隆之
囚われの高等教育 岩崎稔
資料と証言 I  日中戦争期・朝鮮知識人の東亜協同体論
解題 戸邉秀明
建設意識と大陸進出 金明植
東亜の再編成と朝鮮人 印貞植
東亜の新秩序と革新 車載貞
文化における全体と個人 徐寅植
東亜協同体論の一省察 朴致祐
書評論文
経済学説史研究としての「文化経済学」の妥当性  齋田温子
第二次大戦後ベトナムにおける社会主義国家建設と知識人 平山陽洋
ドイツ民衆啓蒙思想の社会的意義 吉田耕太郎

『クァドランテ』第7号(2005年3月)

特集:帝国の“死の政治学”―「原理主義」・戦争・生命
〈ネクロポリティクス〉の概念が問いかけるもの−このシンポジウムのプラットホームのために 岩崎稔
ネクロポリティクス アキーユ・ンベンベ
ブッシュ大統領と「アメリカ原理主義」 森 孝一
西半球秩序グローバル化としてのアメリカの世紀 金井光太郎
デッド・ポリティクス:反ユダヤ主義とユダヤ人の生 ギル・アニジャール
コメント 舩田クラーセンさやか
コメント 渋谷望
コメント 鵜飼哲
自由討論
争点:国際会議〈第2回「大衆独裁と合意形成」〉会議報告
はじめに:大衆独裁と合意形成 岩崎稔
帝国主義的ナショナリズムの比較論的観点とマイノリティ 酒井直樹
束縛なき世代、国家保安本部のリーダー軍団 ミヒャエル・ヴィルト
民族問題におけるポーランド共産主義体制の戦略−ユダヤ人政策について フェリクス・ティフ
論文
わが国金融機関の中小企業向け貸出ビジネスモデルの変換−米銀モデルとの比較− 熊倉修一
戦後米国の景気循環と1990年代の長期景気拡大 蒲生慶一
発明の準(パラ)実存的力?1930年代における中井正一の技術論と資本主義批判 アーロン・ムーア
研究ノート
外国人医療分野に見る中国医療の市場化とその問題点 窪田道夫
資料と証言II  日中戦争期・朝鮮知識人の内鮮一体論
解題 崔真碩
内鮮一体の具体的実現過程 金明植
内鮮一体の文化的理念 印貞植
「内鮮一体」と朝鮮人の個性問題 玄永燮
「氏制度」創設と鮮満一如 金明植
「内鮮一体」と言語 印貞植
共同運命への結合とその還元論 金漢卿
興亜的大使命として見た「内鮮一体」 金斗禎
書評論文
レシーフェの音楽シーンが示す地域とグローバル 安東直子
バウムガルテンのアクチュアリティー−刊行250周年を迎えた『美学』を現在において再考することの意味− 大澤俊朗
「9・11」以後のアメリカにおける政教の親和性 矢澤智生
善き秩序−ポリツァイ概念史研究の可能性と課題 吉田耕太郎

『クァドランテ』第8号(2006年3月)

特集:国際学術シンポジウム 現代中東における「原理主義」をめぐって 
イスラエル・パレスチナ社会における原理主義の諸潮流
あいさつ 藤田進
イスラエルにおけるユダヤ原理主義 ノートン・メズヴィンスキー
アラブ世界における急進的イスラーム民衆運動台頭の背景 ―「中東和平」体制下パレスチナ民衆の危機と抵抗― 藤田進
論争のなかの原理主義 臼杵陽
コメント「イスラム原理主義の物語?」 サミール・ヌーハ
全体討論
講演
消滅しつつある言語の回復過程 ―アルゲーロにおけるカタルーニャ語―
PROCESO DE RECUPERACI?N DE UNA LENGUA EN EXTINCI?N: EL CATAL?N DE ALGUERO Joan Armangu? i Herrero
報告
独立後の武力紛争の期限としてのモザンビーク解放闘争 ―地域社会に生きる人々の歴史から― 舩田クラーセンさやか
論文
科学による人種の発明 ―黒人恐怖症の近代化―
A Inven??o cient?fica da ra?a: a moderniza??o negrofobia Alberto Luiz Schneider
「アジア」は有用でありうるか? 劉健芝
写真から見えてくるもう一つの「ベトナム戦争」 金成蘭
生活必需品に対するエコラベリングの有効性 ―トイレットペーパーを実証例として― 新熊隆嘉/鈴木崇之
日系企業の中国展開に果たされる法律事務所の役割 佐藤奈緒
戦後米国経済における分配対立パターンの転換について 蒲生慶一
書評論文
いびつな横領:ポストマン『18世紀への橋渡し』のドイツにおける受容の問題性 大澤俊朗
中国赤十字会の血液・臓器移植事業 ―医療の市場化を加速する売血と臓器移植ビジネス― 窪田道夫
アメリカから解放された歴史叙述に向けて 
―<植民地近代性>という視点からフィリピン人歴史家たちへの応答― 芹澤隆道

『クァドランテ』第9号(2007年3月)

特集I: 歴史家二宮宏之の思想と仕事
特集に寄せて 『クァドランテ』編集委員会
歴史家・二宮宏之を語る 成田龍一/安丸良夫/山之内靖
二宮、ブロック、カントロヴィチ−西欧中・近世史における<公的なもの>の概念− 千脇修
「いま、なお歴史家は愛するにたりるか?」─二宮宏之著『マルク・ブロックを読む』を読む─ 戸邉秀明
二宮君の思い出 松村赳
系の歴史学から読解の歴史学へ−二宮宏之にとってのギンズブルク 上村忠男
二宮さんの体験的思い出 増谷英樹
二宮宏之先生を語る 工藤光一
二宮宏之先生の思い出 長井治
キーパースン 中川和夫
偉大な歴史家日本の二宮宏之氏を悼む ピエール・スイリ
二宮宏之著作一覧
<再録>『地域研究ブックレビュー』・『近代「ヨーロッパ世界」におけるネーションとエトノス』より
特集II: 映画上映&シンポジウム 移動と記憶
移民問題と植民地支配−シンポジウムの企画にあたって− 菊池恵介
シナリオ:『移民の記憶−マグレブの遺産』 ヤミナ・ベンギギ
フランス近代植民地主義におけるアルジェリアの記憶−ヤミナ・ベンギギ『移民の記憶』を読み解くために− 西山雄二
マグレブ移民に呼び戻される在日朝鮮人の記憶 宋連玉
特集III: 国際シンポジウム 死者を悼むことと想起の文化−「靖国」問題を検証するなかで
問題の設定 岩崎稔
多重祭祀のなかの靖国神社 岩田重則
英雄か、犠牲者か−オーストリア黒十字にみる戦没者の追悼と顕彰の行方− 水野博子
靖国と北朝鮮:記憶とセキュリティをめぐって 金杭
超越なき追悼−喪の(不)可能性と共同体− 早尾貴紀
特集IV: 国際シンポジウム 歴史学と歴史意識の変容
ポスト共産主義社会におけるポスト・ソヴィエト史学−ウクライナの場合 ヴォロジミル・クラヴチェンコ
1989年以後のポーランドの現代史研究 ウカシュ・カミンスキ
国民、民主主義、ヨーロッパのあいだで―共産主義後のチェコとスロヴァキアの歴史学― ミハル・コペチェク
論文
戦場に捧げた青春−旧北ベトナムにおける「青年突撃隊」隊員たちのベトナム戦争− 今井昭夫
ヴィルコミルスキー症候群−偽造されたライフヒストリー ヴォルフガング・ホイヤー
Inscriptions from Those without a “Place”: World Literature as Read from the Diaspora in John Okada’s No-No Boy LEE Hyo Duk
「歴史の過少」の克服にむけて―韓国「親日清算論」の批判的検討― 趙慶喜
Modernity and nationalism at the end of the 19th century: ideas of a miscegenated Brazil in S?lvio Romero’s work SCHNEIDER Alberto Luiz
計画経済体制における中央計画当局―第1次五ヵ年計画期のソ連邦ゴスプラン― 鈴木義一
『支配と亀裂−植民地の日常−』序章−植民地の日常生活研究の意義と課題 鄭根埴
在日朝鮮人ハンセン病回復者の記憶と記録 君塚仁彦
解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者の「位置」―1945年から1950年代を中心に― 金貴粉
アジア全体に現れている疲労という感覚 賈樟柯『三峡好人』の映像言語 友常勉
米国教育使節団報告書の「日本化」に関する研究―文部省訳における“people”の訳され方に注目して― 倉石一郎
研究ノート
1930年代における中国の〈モダン女性〉文化 葉柳青
戦後対馬と日本考古学−オリエンタリズム・ナショナリズムの交差− 俵寛司
書評論文
ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』を読む 中村隆之
占領とジェンダー:マイク・モラスキー『占領の記憶 記憶の占領』 渡邊英理

『クァドランテ』第10号(2008年3月)

特集I: 死者を悼むことと想起の文化―靖国・ベトナム・9.11―
特集に寄せて 岩崎稔
戦死者とともに生きる―現代ベトナムにおける遺骨と凶事、そして収束する物語― ショウン・マラーニー
ベトナム戦争のコメモレーションに関する研究について―マラーニー論文へのコメントにかえて― 今井昭夫
記念碑と対抗的記念碑 岩崎稔
写真ライブラリー ベトナムにおける記憶のかたち―記念碑・史跡をめぐる旅 2007/3/4〜9―
特集II:市民社会と国民国家
《プラハ国際ワークショップ》について 篠原琢
Gender and the American Civil War: Some Episodes in North Carolina During Civil War and Reconstruction SASAKI Takahiro
Meeting the Other ? European Expansion to America (Utopia and Slavery of the Early Modern Era) KRIZOVA Marketa
《市民社会論》研究会について 立石博高
市民社会の歴史的形成 遅塚忠躬
市民社会と国民国家、そして戦争―ドイツ近現代史におけるBuerger― 松本彰
市民社会における「祖国のために死ぬこと」―研究会に参加して― 竹下和亮
《バルセロナ国際ワークショップ》について
はじめに 立石博高
Nationalism and the Citizenship in the American Revolution and the Early Republic KANAI Kotaro
Democracy or Authoritarian Regime: Discussions during the Period of perestroika Reconsidered SUZUKI Yoshikazu
論文
あらゆる場所が「国境」になる―オーストラリアの難民申請者政策― 塩原良和
移民の表象―在日(日系)ブラジル人による文学および映像表現の実践から― アンジェロ・イシ
「日本の記憶」と「ブラジルの記憶」―日系ブラジル人のアイデンティティ― イシカワ・エウニセ・アケミ
Casting Light: Community, Visibility and Historical Presence in Reportage Art of the 1950s JESTY Justin
1851年蜂起と農村民衆の「政治」―バス=プロヴァンス地方ヴァール県の事例を中心に― 工藤光一
1812年の戦争による大陸軍の記憶再編と国民国家神話の確立―レパブリカニズムの政治文化からナショナリズムへ― 金井光太朗
ある想念の系譜―鹿島開発と柳町光男『さらば愛しき大地』― 友常勉
「フォッセ・アルデアティーネ」をめぐる問題―ドイツ軍によるイタリア民間人虐殺事件をどのように記憶するか― 小田原琳
中国の基本医療保険制度に見る再分配機能の限界―制度改革がもたらす患者負担の増加― 窪田道夫
バウムガルテンの受容史について―美学というディシプリンをめぐる批判的考察― 大澤俊朗
江戸時代における大名と改易―米沢藩上杉家の削封事例を中心に― 梁益模
反差別から差別への同軸反転―現代コリア研究所の捩れと日本の歴史修正主義― 柏崎正憲
博物学とツーリズムの結合にみる政治性―20世紀初頭オーストリア社会民主党「自然の友」協会の選択― 古川高子
批判者と建設者―長さんの経済思想― 伊豫谷登士翁
研究ノート
一九〇一年のルダコフの義和団研究 佐藤公彦
特集III
新自由主義状況における出版メディアと人文学
書評論文
分断された〈場〉をみつめるまなざし、そのまなざしが見つめたものに応答すること 宋安鍾
領土の占有から社会の共有へ―尹慧瑛『暴力と和解のあいだ 北アイルランド紛争を生きる人々』を手がかりに― 葛西弘隆
シディ・モハメド・バルカ『例外的身体―植民地権力の技巧と生の破壊』を読む 太田悠介
中国の基層司法制度における草の根人材の活用 佐藤奈緒

『クァドランテ』第11号(2009年3月)

特集: 歴史と記憶
特集に寄せて 岩崎稔
歴史と記憶 再考 エティエンヌ・フランソワ
国民(ナシオン)とヨーロッパの間 ライナー・フーデマン
イタリア版『記憶の場所』のおかれた〈場所〉 小田原琳
「東アジアの記憶の場」の可能性―ピエール・ノラへの批判的応答の試みとして 岩崎稔
論文
〈志願兵〉前夜、あるいはメランコリーの日々 李英戴
反ファシズムの存立条件としてのファシズム―1960年ジェノヴァでの騒乱をめぐって― 秦泉寺友紀
韓国社会の在日朝鮮人認識の変遷 趙慶喜
1930年代農村再編とリアリズム論争―久保栄と伊藤貞助の作品を中心に 友常勉
高下一郎くんの思い出 上村忠男
研究ノート
言語使用と習得―ブラジルの識字教育段階における児童のコード、状況、成績 エリゼウ・ピシテリ、イズミ・ノザキ
Inmigraci?n latinoamericana en Jap?n: una aproximaci?n desde el aula Robert Ingrid
書評論文
差別を語ること―ひろたまさき著『差別からみる日本の歴史』を読む― 内藤千珠子
リスクの活用と安心の希求―美馬達哉『〈病〉のスペクタクル―生権力の政治学』を中心に― 高野麻子
パリのケ・ブランリー美術館を読む―開館記念会議『諸文化の対話』を手がかりに― 清水祐美子
「美学化」から新たな意味における「美学主義」へ―ヴォルフガング・ヴェルシュ『美学の閾』を読み解く― 大澤俊朗
資料と証言III 日中戦争期・朝鮮知識人の統制経済論
資料解題 洪宗郁
長期事変下の経済情勢―統制経済から計画経済へ― 金明植
朝鮮経済の独自性 金明植
戦時体制下の朝鮮経済 印貞植
朝鮮に於ける国土計画と農業計画 桐生一雄(印貞植)
計画経済の理論 尹行重
東亜広域経済の基本問題 朴克采

『クァドランテ』第12/13号(2011年3月)

企画:安丸良夫さんと読む「安丸民衆思想史」
この企画に寄せて 岩崎稔
安丸文献史学の方法について 岩田重則
岩田重則氏への応答 安丸良夫
特別寄稿:パトリシア・セラーズ東京外国語大学特別講演
掲載にあたって 金富子
武力紛争下の性暴力―国際法の視点から― パトリシア・セラーズ
論文
米国教育使節団報告書の「日本化」に関する研究(2)―「機会均等」理念の実質化としての「定時制高校義務制」論と青年学校― 倉石一郎
第1次インドシナ戦争期の北ベトナムにおける農業税の導入―国家財政保証、戦時食料調達、農村統治をめぐるポリティクス― 平山陽洋
東への道―1950年代の西洋映画における「インド」― 土田環
狭山闘争の思想史・試論―戦後部落解放運動史のために 友常勉
Cultural Properties Protection Law : Aspects of Perservation and Innovation in the Protection of Intangible Cultural Properties of Japan ARISAWA Shino
冷戦初期におけるジョルジュ・バタイユの平和思想 丸山真幸
プーランザス的諸問題―グローバル資本主義における国家と階級のマテリアリティ― 柏崎正憲
EU15における失業率の収斂について―労働市場制度とECBの金融政策が失業に与える効果の予備的考察― 蒲生慶一、島田斐子
書評論文
中国における草の根の法律扶助の展開基盤 佐藤奈緒
歴史の否認―植民地主義史研究に見るイタリア歴史修正主義の現在 小田原琳
Re-reading Shuichi Kato’s Travelogue from Uzbekistan, Croatia and Kerala. A Three Faces of Socialism Maja Vodopivec
レオ・チン著 『「日本人」になる 植民地台湾とアイデンティティ形成の政治』を読む 簡宇敏
民主化運動の記念をめぐって―『韓国の歴史記念施設』を読む― 牧野波
Nations, States, and Violence: A Critical Review Leonel Monterroso Torres
翻訳
「暴力、非暴力―ファノンにおけるサルトル」 ジュディス・バトラー/尾崎文太訳

『クァドランテ』第14号(2012年3月)

企画:「世界は変えられるという予感」
I. 高円寺「素人の乱」とウォール街占拠を結ぶ
この企画に寄せて 岩崎稔
高円寺「素人の乱」とウォール街占拠を結ぶ:討論 松本哉/樋口拓朗/木下ちがや/池上善彦
II. 《災害ユートピア》論から検証する3.11
趣旨報告 小田原琳
III. 原発文学を読む
鶴見線海芝浦駅縁起―笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」と「五五年体制」 島村輝
原発小説を読み直す―井上光晴『西海原子力発電所』を中心に― 村上陽子
論文
19世紀フランス農村世界における噂のダイナミクス 工藤光一
帝国、国民国家、そして共和制の帝国 池田嘉郎
On Possibility of the Postwar Knowledge ? Continuities and Discontinuities in the thought of Kat? Sh?ichi Vodopivec Maja
復元の光学―ロベルト・ロッセリーニ『インディア』の異なる復元版をめぐる考察― 土田環
インドにおける「結婚持参金(ダウリー)問題」の諸相 小林磨理恵
安部公房の『他人の顔』における戦争の記憶と人種問題 リチャード・カリチマン
ハマーショルドのコンゴ政策―国連平和活動に見られるパターナリズム― 玉村健志
書評論文
Deafhood With/Out Deafness − 言語と身体の交差する地点 山下惠理

『クァドランテ』第15号(2013年3月)

追悼文
中嶋嶺雄先生と私の研究の原点 渡邊啓貴
企画T:シンポジウム報告
「歴史からの問い/歴史への問い 二宮宏之と歴史学」
はじめに 工藤光一
二宮史学との対話 史学史の転換点にあたって 長谷川貴彦
認識の歴史学へ―二宮宏之の「作法」 成田龍一
二宮史学における文体と比喩 岸本美緒
報告者へのコメント 北原敦
自由討論
企画U:シンポジウム報告
「東アジアの文化地図の共有に向けて―感情記憶をどのように描くか」
はじめに 岩崎稔
基調講演 われわれはなぜ東アジアを語るか 孫歌
戦後日本はどのように原子炉を受け入れたか 龍澤武
龍澤武氏へのコメント 高橋哲哉
脱植民地化台湾史再構築の複雑な経験 林載爵
林載爵氏へのコメント 丸川哲史
韓流の構造的歴史的認識および東アジア大衆文化の可能性 韓性峰
韓性峰氏へのコメント 高榮蘭
大国の若者たちはどこに向かうか 劉蘇里
劉蘇里氏へのコメント 岩崎稔
企画III:シンポジウム報告
「問題としての「家」再論 存続装置としての養子システム、比較史的視点から」
はじめに 吉田ゆり子
朝鮮前期無子女亡妻財産の相続をめぐる訴訟事例 文叔子
弱き者よ、何時の名は……―女性法制史の一断面― 鄭肯植
論文
噂と政治的想像界―ルイ18世治下におけるナポレオンに関する噂:シャンパーニュ地方オーブ県を中心に― 工藤光一
梶村秀樹の「未発の契機」―植民地歴史叙述と近代批判― 車承棋
埋め込まれた帝国間対立 欧州統合におけるヘゲモニーと国家性の研究 柏崎正憲
言語/ジェンダーのポリティクスから見る芥川龍之介の生成―『支那游記』を中心に 黄?亮
階級から大衆へ―エティエンヌ・バリバールのイデオロギー論をめぐって 太田悠介
フランス・フランドル地方における民謡収集とアイデンティティの形成―地域と国家との間で 清水祐美子
書評論文
自由という人間の運命―國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を読む― 橋爪大輝
社会的企業の国際比較研究の可能性―Janelle A. Kerlin (ed.), Social Enterprise: A Global Comparisonを読んで― 洪性旭
「反復」と「差異」―1940年代前半期における植民地の「国民文学」尹大石(ユン・デソク)『植民地国民文学論』を読む 高橋梓
ある亡命詩人の祖国への「帰還」について―A. コドレスク& R. チェセレアヌ『赦された潜水艦』を読む― 阪本佳カ
依存とケアの視点からみたロールズ『正義論』の可能性―エヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』読解 小河智弘
「反―償却的時代」におけるホロコースト記念碑研究 ジェイムズ・E=ヤングによる記念碑研究の位置づけ 唐川恵美子
中国の都市再生産労働における都市―農村女性間、都市女性間の新たな関係 大橋史恵『現代中国の移住家事労働者―農村‐都市関係と再生産労働のジェンダー・ポリティクス』を読む 朴紅蓮
変幻自在のテクスト―トルコの「ポストモダン」小説Y?ld?z Ecevit, Turk Roman?nda Postmodernist Ac?l?mlar (2001). 篁日向子
研究ノート
International Law and the Responsibility to Protect Matsukuma Jun
沖縄における演劇集団「創造」のあゆみ 金ァ愛

『クァドランテ』第16号(2014年3月)

追悼文
山之内靖さんを悼む 中野敏男
近代の帰趨を問い続けて 追悼 山之内靖先生 岩崎稔
小特集
サークル文化研究の最前線から―生活記録、社会運動、そして「サークル村」
生活記録と〈運動〉―シンポジウムの報告 はじめに 中谷いずみ
記号論から生活記録運動へ―『思想の科学』の跳躍 榊原理智
被爆(者)体験と生活記録―1970年代までの長崎における文字記録と写真記録― 東村岳史
榊原報告・東村報告へのコメント 辻智子
榊原報告・東村報告へのコメント 道場親信
異族の接触思想とコミューンの内在的問題たち 水溜真由美『『サークル村』と森崎和江―交流と連帯のヴィジョン―』 申知瑛
特別寄稿
台湾の夢二―最後の旅 ひろたまさき
論文
政治史から見るチャドの混迷 〜「南」の歴史的形成過程と「国家」の不安定化〜 坂井真紀子
世界図に見る「天竺」認識に関する一考察 ―16世紀末〜18世紀初頭の日本を中心として― 石崎貴比古
詩が「万人によって作られねばならない」としたら ―黒人「民族詩」論争再考― 廣田郷士
'Explicit Content' ―PMRCとレコードラベリング問題にみる現代アメリカ社会の階級関係 立林奈々子
独立後のウズベキスタンにおける教育改革と就学率の変化 ―教育改革の今後の課題― トフタミルザエヴァ マシフラホン/蒲生慶一
ポストエスニシティと日系文学の新地平 アンナ=カズミ・スタール『一日だけの花』について 高木佳奈
書評論文
アーレントにたいする或る哲学的アプローチ ―ブラウン『アーレントの超越論的活動力概念』 橋爪大輝
「正義」の限界を越えて ―マーサ・C.ヌスバウム『正義のフロンティア』を読み解く 小河智弘
地図から消えた街 ―コザの名と共に消えたもの― 金子彩里香
現代ウズベキスタンにおける教育の平等化をめざして ―関啓子『コーカサスと中央アジアの人間形成』を読んで―   トフタミルザエヴァ マシフラホン
いかにしてヘイトスピーチに立ち向かうべきか ―内野正幸『差別的表現』を読む― 鈴木紫野
世紀転換期におけるアメリカ労働者階級の独身女性の余暇の考察―Kathy Peiss, Cheap Amusements: Working Women and Leisure in Turn-of-the Century New Yorkを読む 川崎恵子
「殺さねばならぬ『共匪』の記憶と満州国軍出身者 ―金得中『「アカ」の誕生』を読む― 飯倉江里衣
ヘーゲル『精神現象学』における否定性の問題―ヴォルフガング・ボンジーペン『ヘーゲルのイエネ期論考における否定性の概念』を読む 岡崎龍
文化的できごととしてのソ連解体―スーザン・バック=モース『夢の世界とカタストロフィ』を読む― 石丸敦子
“deafness”をめぐる言説空間:視覚文化論の視点から―Nicholas Mirzoeff, Silent Poetry: Deafness, Sign and Visual Culture in Modern France (1995)を読む― 山下惠理
研究動向
『政治的に演劇を作る』―Jan Deck, Angelika Sieburg(Hg.), Politisch Theater machen 石見舟
中国において、集合的記憶論はどのように論じられているのか―アストリート・エアル、馮亜琳の『文化的記憶論読本』をはじめとして 包宝海
研究ノート
オーストリアにおける「保守派」の反原発運動 古川高子
翻訳
訳者解題 金ァ愛
1950年莞島と1980年光州の記憶を聴く 金元

『クァドランテ』第17号(2015年3月)

追悼文
工藤光一君の死を悼む 立石博高
工藤光一先生を偲ぶ 吉田ゆり子
「ヒストリカル・エリア・スタディーズ」に込めた工藤先生の思い 金井光太朗
工藤光一さんを悼んで 岩崎稔
工藤光一さんを悼んで 鈴木茂
静かな賢人―工藤光一さんとのこと 篠原琢
小特集
「生活記録と〈運動〉2」
「生活記録と〈運動〉2」趣旨説明―50年代文化運動の中の生活記録運動の位置 水溜真由美
紡績女子労働者の生活記録運動―記録創出の過程とサークル集団の動態に注目して― 辻智子
「王子主婦連」の成立と意識変革―生活改善会・王子争議体験・会誌発行にみる― 岸伸子
論文
外国人家事労働者受け入れをめぐる問題点―政策・社会統合とジェンダーの視点からの分析― 長谷部美佳
関東大震災時の虐殺事件によるトラウマ的体験とそのゆくえ―在日朝鮮人の口述資料を中心に― 鄭永寿
中国・内モンゴルにおけるガーダー・メイレンの記憶とその変遷 包宝海
書評論文
政治概念を国家概念から解放するために―フォルラート『〈政治的なもの〉とはなにか』を読む― 橋爪大輝
「女のからだ」という戦場―萩野美穂『女のからだ―フェミニズム以後』(2014)を読む― イザベル・ファスベンダー
アメリカニズムと現代アメリカの階級―中野耕太郎『戦争のるつぼ』を読む― 立林奈々子
ヘーゲル『精神現象学』における批判の問題 ―ウィリアム・ブリストウ『ヘーゲルと哲学的批判の変容』を読む― 岡崎龍
ノスタルジーのカルチュラル・スタディーズ―スヴェトラーナ・ボイム『ノスタルジーの未来』の描くロシア― 石丸敦子
書評
南塚信吾・古田元夫・加納格・奥村哲著『人びとの社会主義』 池田嘉郎
研究ノート
20世紀初頭のトルキスタンにおける社会問題―特に人生儀礼(xatna, to'y, aza)について― ジャスル・ヒクマトラエフ
Historical Narration of the Second Sino-Japanese War in Current Japanese High School History Textbooks:The Logic of its Causal Interpretations Yi Zou
フィリピンにおけるろう文化 山下惠理

『クァドランテ』第18号(2016年3月)

工藤光一先生の足跡
工藤光一先生の足跡 大川正彦
工藤光一先生 研究業績
特集「書評コロキウム」
特集「書評コロキウム」:波平恒男著『近代東アジア史のなかの琉球併合』 中野敏男
書評 波平恒男著『近代東アジア史のなかの琉球併合―中華世界秩序から植民地帝国日本へ』(岩波書店、2014年6月刊) 康成銀
波平恒男『近代東アジア史のなかの琉球併合』を読んで 高江州昌哉
書評:波平恒男『近代東アジア史のなかの琉球併合−中華世界秩序から植民地帝国日本へ』―比較から東アジア史を見直す― 権赫泰
著者からの応答 波平恒男
論文
公開性と人格―アーレントにおける人格の現象性― 橋爪大輝
「記憶の場」としてのガーダー・メイレン 包宝海
書評論文
生きる場としてのコミュニティ―ハーバート・ガンズ『都市の村人たち』を読む― 林恭平
ロシアにおける崩壊直後のノスタルジー現象を読み解く―『ブレジネフ再考』を読んで― 石丸敦子
Remembering the Past through a New Form of Memory: A Review and Evaluation of Prosthetic Memory Yi Zou
書評
死者たちについて/とともに出来事の文学を論じること―村上陽子『出来事の残響 原爆文学と沖縄文学』を読む― 浅野麗
研究ノート
啓蒙専制期ハプスブルク君主国における批判的公共圏の成立―フリーメイソン勅令をめぐるパンフレット議論に基づいて― 上村敏郎
A Review of Social Capital Theories on Educatio Taemi Kawasaki
調査報告
内モンゴル・ホルチン地域におけるスンス・ドーダホ儀礼―ホルチン地域フレー・ホショーの事例― 朝克
翻訳と解題
あの女の家 朴婉
物語が伝える記憶 ―朴婉緒「あの女の家」を読む― 吉良佳奈江
研究業績
離れ離れの本たちをつなぐ 中野敏男
中野敏男先生 研究業績
わたしのモンゴル研究 ―1976〜2016年― 二木博史
二木博史先生 研究業績

『クァドランテ』第19号(2017年3月)

特集1「国際ワークショップ報告」
International Workshop : "Boundary Demarcation and Local Politics in the 19-20th Centuries in Alpine-Adriatic Borderlands"
Violence against Women and the Racist Discourse during the WWI in Italy 小田原琳
The Memory of Resistance in the Alpine-Borderland: The 70th Anniversary of Liberation in Bolzano 秦泉寺友紀
Local Reactions to Option in South Tyrol: Reconsidering Nationality in Local Society 鈴木珠美
Interwar Austria’s Continuity between Liberalism and Nationalism from the Viewpoint of Alpine-Tourism 古川高子
Liberalism in Lower Styrian rural areas during the Habsburg Monarchy at the End of the 19th Century: the Case of the Christlicher Bauernbund 藤井欣子
Comments on the Project Pieter M. Judson
特集2「書評コロキウム」
駒込武「世界史のなかの台湾植民地支配―台南長老教中学校からの視座」
米谷匡史
史学史、あるいは歴史学の同時代史の観点から読む 戸邉秀明
生命在焉―駒込武著『世界史のなかの台湾植民地支配』を文弱の徒が読んでみる、ならば― 三原芳秋
駒込史学が広げる間帝国的な視座の可能性 水谷智
台湾史研究からの考察 清水美里
「帝国のはざま」を思考すること―書評への応答―
※原稿提出の時期をめぐる事情により、駒込氏のリプライは、三原氏、水谷氏、清水氏の書評に対するものとなっています。(編集委員会)
駒込武
論文
国民国家アメリカの創造とプリマスの記憶の神話化 金井光太朗
1920 年代前半のモンゴル・ソヴィエト関係と内防局 青木雅浩
中国における公共サービスの民間委託―上海市のケーススタディに基づいて― 村上昂音
書評論文
否定の啓蒙主義―マリオ・アンドレア・リゴーニ『レオパルディの思想』を読む― 藤澤大智
現代社会における社会的排除のメカニズム―岩田正美『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』を読む― 村上昂音
研究ノート
トルコにおける都市研究と労働社会史研究 岩田和馬
翻訳と解題
フェルガナ州(ロシア領中央アジア)の民族状況―1917年統計資料にもとづいて― 島田志津夫
ユダヤ・モダニティの推進者と避難民―19世紀におけるドイツ・ラビの西方および東方移民― カールシュテン・L・ヴィルケ(翻訳・解題 向井直己)
研究業績
外語大着任「以前」と「以後」―研究業績一覧から振り返る 野本京子
野本京子先生 研究業績

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