雑誌『クァドランテ』
海外事情研究所では、1954年の創立以来、数々の雑誌や書誌を刊行してきました。2000年3月までの刊行物に関しては、東京外国語大学海外事情研究所刊行印刷物総目録(1956年4月~2000年3月現在)をご覧ください。 また、1999年より、新たに雑誌『クアドランテ[四分儀]―地域・文化・位置のための総合雑誌』を発行しています。以来、原則として毎年3月に刊行しています。編集規定は、こちらです。
『クァドランテ』27号原稿募集のお知らせ
『クァドランテ』27号(2025年3月刊行予定)の原稿募集を開始いたします。執筆申込の締め切りは、2024年6月30日(日)(厳守)です。大学院生は、指導教員の執筆許可が必要です。
原稿募集要領・執筆要項、ならびに執筆申込書(PDF)は、こちらです。Word版の執筆申込書はこちらです。
募集要領などの英文版は、こちら(pdf)、こちら(word)です。English version of regulations and application form is here(pdf) or here(word).
- 第1号(1999年)ISSN 1334-5987
- 第2号(2000年)ISSN 1334-5987
- 第3号(2001年)ISSN 1334-5987
- 第4号(2002年)ISSN 1334-5987
- 第5号(2003年)ISSN 1334-5987
- 第6号(2004年)ISSN 1334-5987
- 第7号(2005年)ISSN 1334-5987
- 第8号(2006年)ISSN 1334-5987
- 第9号(2007年)ISSN 1334-5987
- 第10号(2008年)ISSN 1334-5987
- 第11号(2009年)ISSN 1334-5987
- 第12/13号(2011年)ISSN 1334-5987
- 第14号(2012年)ISSN 1334-5987
- 第15号(2013年)ISSN 1334-5987
- 第16号(2014年)ISSN 1334-5987
- 第17号(2015年)ISSN 1334-5987
- 第18号(2016年)ISSN 1334-5987
- 第19号(2017年)ISSN 1334-5987
- 第20号(2018年)ISSN 1334-5987
- 第21号(2019年)ISSN 2434-9232 (電子ジャーナルとしてISSNが新しくなりました)
- 第22号(2020年)ISSN 2434-9232
- 第23号(2021年)ISSN 2434-9232
- 第24号(2022年)ISSN 2434-9232
- 第25号(2023年)ISSN 2434-9232
- 第26号(2024年)ISSN 2434-9232 ※電子出版のページにおいて、全誌一ファイルの形で公開しています。論文ごとの公開はしばらくお待ちください。
公開されている各論文は、東京外国語大学学術成果コレクションのPDFファイルにリンクされています。第21号以降は、電子出版のページにおいても、全誌1ファイルの形で公開されています。
『クァドランテ』第1号(1999年3月)ISSN 1334-5987
創刊によせて | 増谷英樹 |
論文 | |
ミカドの外交儀礼 | 中山和芳 |
北一輝の辛亥革命・五四運動観-吉野作造との対比を中心に | 黄自進 |
「労働者」と「下層民」-チリ都市民衆の二類型 | 高橋正明 |
ホロコースト後の死(その1)―ヴォイドイフスキの自死が語りかけるもの― | 小原雅俊 |
ヴェーバー研究史における「逆説」―歴史の「分断」と密かな「連続」― | 三笘利幸 |
研究ノート | |
「スペイン王国」の成立とコンソルベ問題に関する覚書 | 立石博高 |
ポルトガルの異端審問所と新キリスト教徒-レヴァ=サラィヴァ論争をめぐって | 金七紀男 |
小特集:宗教と地域アイデンテイテイ | |
インドネシアにおける諸宗教の共存 | 石井和子 |
杜会主義ベトナムにおける宗教と政治―国家公認宗教団体を通して― | 今井昭夫 |
エジプトの宗教的マイノリティーとしてのキリスト教徒―中東の宗教的多様性の投ずる問題の一例として― | 八木久美子 |
書評 | |
サンスクリット研究の現状―イデオロギー論の視座から | 足立享祐 |
19世紀インドにおける植民地統治の論理と在地杜会の反応 | 石田久美子 |
研究動向 | |
蘇る「イラン立憲革命研究」の現在 | 八尾師誠 |
海外事情研究所をめぐる研究会報告 | |
報告 | |
What is Her "Right" Name, "a Woman", "a Palestinian" or "a Filastiniya"? | OKA Mari |
『クァドランテ』第2号(2000年3月)ISSN 1334-5987
第2号発行に際して | 佐藤公彦 |
特集:「記憶と歴史」国際シンポジウム | |
記憶と歴史のあいだで | 上村忠男 |
記憶、忘却、歴史―「記億術としての歴史叙述」の原史― | 岩崎稔 |
記憶の不協和音としての「共和政」―「共和政フランス」と集合的記憶― | 工藤光一 |
ダイアナ・ウォン「グローバル・シティの記憶『シンガポール物語』」について | 斎藤照子 |
ドイモイ下のベトナムにおける「戦争の記憶」 | 今井昭夫 |
「アメリカの戦争」の記億―ヴェトナム戦争をめぐって― | 生井英考 |
総括提案にかえて | 岩崎稔 |
シンポジウム「記億と歴史」傍聴記 | 金井光太朗 |
Memories of a Global City :"The Singapore Story" | Diana Wong |
Toward a History of National Memory | John Bodnar |
Memory and History at the End of History | Patrick Hutton |
論文 | |
明治後期における中国像―日本政府の中国革命運動への支援と否定 | 黄自進 |
研究動向 | |
欧州における東南アジア研究の現状と関連文献の所在 | 奥平龍二 |
書評 | |
スピノザの想像力とアイデンティティ ―M.Gatens & G.Lloyd, Collective Imaginings-Spinoza, Past and Present | 吉田耕太郎 |
〈アートとしての生〉と独断論 ―Alexander Nehamas, The Art of Livingをめぐって | 高橋明史 |
『クァドランテ』第3号(2001年3月)ISSN 1334-5987
特集:記憶と歴史II | |
Colonial violence: Communal memories and postcolonial morality in the Netherlands | Remco RABEN |
史実を無視した一方的な「記憶」―いわゆる「オランダ戦争展」の悲喜劇― | 佐藤弘幸 |
特別ワークショップの記録『占領の記慮をどう描くか?』 | 岩崎稔 |
「目本人、オランダ人、インドネシア人-日本占領下のインドネシアの記憶」ワークショップ傍聴記 | 今井昭夫 |
1990年代のチェコ共和国における歴史と記憶 | ズデニェク・ホイダ |
Memory as Politics: A comment submitted to the international symposium at the Tokyo University of Foreign Studies (Feb.2.2001) | OZAWA Hiroaki |
始原の歴史学を描平する―想起される横浜の過去について― | 阿部安成 |
歴史を書くことと読むこと | 安村直己 |
ワークショップ報告:コメントと討論 | 相馬保夫 |
「目本民俗学」・ファシズム・植民地主義 | 村井紀 |
「原目本」と「ヤポネシア」のはざまで―谷川健一編『叢書・我が沖縄』の提起したもの― | 上村忠男 |
倫理性を支えるベクトル―《沖縄の記憶/日本の歴史》第一回研究会所感― | 師玉真理 |
論文 | |
「南米のパリ」を夢見て―ビクーニャ・マケナのサンティアゴ改造計画―(上) | 高橋正明 |
アンチ・ファシズム・ヒステリア | 中山智香子 |
キリスト教伝道と太平天国 | 渡辺祐子 |
日本の義和団研究百年 | 佐藤公彦 |
書評論文 | |
ジェンダーから見た経済発展 ―Tracy Bachrach Ehlers, Silent Looms: Women and Production in a Guatemalan Town(Revised Edition). | 山本昭代 |
現代アンダルシーアの目雇い農民の文化をめぐって ―F.Talego Vazquez, Cultura Jornalera,Poder Popular y liderzgo mesianico. Antropologia politica de Marinaleda | 塩見千加子 |
美学史はどのようにして可能か―互いに撞着する方法としての美学史 ―小田部胤久『象徴の美学』(東京大学出版会、1995年) | 大澤俊朗 |
多様性と序列―18世紀の人類学者ペトノレス・カンパーをめぐる民族的区別distinctionの言説の諸相― | 吉田耕太郎 |
『クァドランテ』第4号(2002年3月)ISSN 1334-5987
特集1:記憶と歴史III | |
なぜ、いま、ここで、ベトナム戦争の記憶か? | 岩崎稔 |
薄れない戦争の記憶 | バオ・ニン |
ベトナム北部における戦争の記憶 | グエン・ミン・トゥアン |
The Pain is deeper than the Memory | Phan Nhat Nam |
ベトナムの韓国軍 | 具秀女正 |
中国はベトナム戦争にどう関与していたか | 朱建栄 |
ベトナム戦争とべ平連 | 小田実 |
討議:シンポジウム「戦争の悲しみ・戦場の記憶」 | |
ベトナム戦争の多面的記憶 | 遠藤聡 |
[世界人類が平和でありますように]2 | 藤井貞和 |
沖縄発「土着コスモポリタニズム」の可能性 | 太田好信 |
語られる「沖縄」―外部と内部から― | 宮城公子 |
歴史を眼差す位置―「命どぅ宝」という言葉の発見― | 屋嘉比収 |
「他者」との出会いと新しい語りの可能性 | 尾形希和子 |
特集2:ユダヤ難民とディアスポラの記憶 | |
現代ディアスポラ(離散)としてのユダヤ難民 | ヴォルフガング・ベンツ |
「大日本帝国」下の反ユダヤ主義とユダヤ人難民 | 金子マーティン |
アイヒマンの「ウィーン・モデル」 | 増谷英樹 |
ワークショップ報告:ユダヤ難民とディアスポラの記憶 | 長田浩彰 |
論文 | |
扶桑社版『新しい公民教科書』の論理と心性―9.11以後の光景のなかで | 岩崎稔 |
天使の顔:大戦間期の複製技術と総動員 | 中山智香子 |
マックス・ヴェーバー研究と中国社会論 | 三笘利幸 |
文化的異種混交性と哲学的ナショナリズム―三木清における「世界のなかの日本」の概念 | ジョン・ナムジュン・キム |
「自然」による啓蒙―20世紀初頭オーストリア「自然の友」協会の活動から | 古川高子 |
書評論文 | |
資本主義の時間性と日常性の不穏 | 樹本健 |
民主主義を構成するパラドクスと新しい左派の政治 | 石井章子 |
近代の時間意識と日常性分析の可能性 | 板橋祐己 |
ソビエトの神話作用 | 古川哲 |
共約不可能な諸言説の場としての美学 | 大澤俊朗 |
17-18世紀ドイツ知識人世界の一側面 | 吉田耕太郎 |
『クァドランテ』第5号(2003年3月)ISSN 1334-5987
特集1:記憶と歴史IVシンポジウム記録「ピエール・ノラ編『記憶の場』をどう読むか―日本語版の投げかけるもの―」 | |
まえがき | 工藤光一 |
基調報告:『記憶の場』の彼方に―日本語版をどう読むか― | 谷川稔 |
コメント | 安丸良夫 |
コメント | 牧原憲夫 |
コメント | 岩崎稔 |
翻訳者からの応答 | 渡辺和行 |
翻訳者からの応答 | 江川温 |
翻訳者からの応答 | 長井伸仁 |
討論 | |
特集2:西洋史学会シンポジウム「グローバル化とヨーロッパ史の可能性」 | |
問題提起 | 増谷英樹 |
グローバル化、西洋化、ヨーロッパの規範化―カトリック王国(1580-1640)と「接続された歴史」― | セルジュ・グリュジンスキ |
「近代ヨーロッパ」に歴史はあるか | マーク・マゾーアー |
世界史におけるヨーロッパ史の位置 | 西川正雄 |
コメント | 小谷汪之 |
討論 | |
争点 | |
はじめに | 岩崎稔 |
討論:「日常的ファシズム」論のさらなる一歩のために(討論者:林志弦 高/鄭甲煕 金東椿 金鎮虎 金哲 朴煥王武) | 崔真碩 訳 |
「日常的ファシズム」の読み直し | 林志弦 |
論文 | |
19世紀後半のウィーンの流入民と同化の問題―チェコ人とユダヤ教徒の比較― | 増谷英樹 |
殺された少女とその家族の表象―メアリー・フェイガン殺害事件とレオ・フランクのリンチ事件再考(1913年―1915年)― | 佐々木孝弘 |
ヒューマニズムの争奪戦:新自由主義の起源と射程の考察 | 中山智香子 |
研究ノート | |
民衆史のパラドクス―チアパスの「カスタ戦争」を事例として― | 小原正 |
書評論文 | |
〈日本批判〉はいかにして〈日本〉を離脱するか(酒井直樹『過去の声』) | 澤井啓一 |
社会批判としての思想史(酒井直樹『過去の声』) | 葛西弘隆 |
「あいまいさ」をいかに抱きしめるか(J. ダワー『敗北を抱きしめて』) | 戸邉秀明 |
十八世紀ドイツ語純化論の成立とその社会的意義(J. H. カンペほか) | 吉田耕太郎 |
統制の政治学―逓信政策研究の視点から(奥村喜和男『逓信論叢』) | 板橋祐己 |
文献紹介 | |
アレクサンダー・ハース『忘れられた農民党―シュタイアーマルク農村同盟とオーストリア政治(1918-1934)への影響』 | 藤井欣子 |
『クァドランテ』第6号(2004年3月)ISSN 1334-5987
特集1:『記憶の場』の問いから ―想起すること/忘却すること/叙述すること― | |
あいさつ | 西永良成 |
基調報告 | ピエール・ノラ |
コメント | 工藤光一/成田龍一/イ・ヨンスク/ 岩崎稔 |
自由討論 | |
特集2:原理主義と宗教ナショナリズム ヒンドゥー・ナショナリストとは誰か? | |
サバルタンのエージェンシーとヒンドゥー・ナショナリズム | 中島岳志 |
Rural Hindu Nationalist Movement Participants | KAKUTA Eri |
Understanding Hindu Nationalism Through Its Development as a Mass-Mediated Movement | Arvind RAJAGOPAL |
Female Investment in Hindu Fundamentalism: Woman of the Sangh Parivar | Tanika SARKAR |
コメント | 大塚和夫/近藤光博 |
特集3:ワークショップ ドイツ系移民の世界的広がり ―ブラジル南部ドイツ系コミュニティをめぐって― | |
ドイツ系移民・アイデンティティ・ナショナリズム | マリオン・ブレポール |
文化接触の人口史の試み | セルジオ・ナダリン |
コメントおよび討論の要旨 | 鈴木茂 |
争点:ワークショップ 国際会議<強制と同意 「大衆独裁」の比較研究> | |
はじめに | 岩崎稔 |
成果と課題 | 林志弦 |
論文 | |
Wartime Mobilization and Zainichi Koreans | 崔徳考 |
ナチ支配下のオーストリアにおける強制労働 | 増谷英樹 |
新聞から見る公共圏と「地域」 -『ポーゼン大公国新聞』の分析から- | 割田聖史 |
第二帝政における宗派をめぐる一考察-中央党の設立とその性格をめぐって- | 和多田徹哉 |
中国の近代化をめぐるある反時代的考察 | 劉健芝 |
アナンケーとしての植民地性から問題系としての植民地近代性へ | 趙享根 |
歴史を紡ぐ作家 -グリッサン「歴史との争い」を読む- | 中村隆之 |
囚われの高等教育 | 岩崎稔 |
資料と証言 I 日中戦争期・朝鮮知識人の東亜協同体論 | |
解題 | 戸邉秀明 |
建設意識と大陸進出 | 金明植 |
東亜の再編成と朝鮮人 | 印貞植 |
東亜の新秩序と革新 | 車載貞 |
文化における全体と個人 | 徐寅植 |
東亜協同体論の一省察 | 朴致祐 |
書評論文 | |
経済学説史研究としての「文化経済学」の妥当性 | 齋田温子 |
第二次大戦後ベトナムにおける社会主義国家建設と知識人 | 平山陽洋 |
ドイツ民衆啓蒙思想の社会的意義 | 吉田耕太郎 |
『クァドランテ』第7号(2005年3月)ISSN 1334-5987
特集:帝国の“死の政治学”―「原理主義」・戦争・生命 | |
〈ネクロポリティクス〉の概念が問いかけるもの-このシンポジウムのプラットホームのために | 岩崎稔 |
ネクロポリティクス | アキーユ・ンベンベ |
ブッシュ大統領と「アメリカ原理主義」 | 森 孝一 |
西半球秩序グローバル化としてのアメリカの世紀 | 金井光太郎 |
デッド・ポリティクス:反ユダヤ主義とユダヤ人の生 | ギル・アニジャール |
コメント | 舩田クラーセンさやか |
コメント | 渋谷望 |
コメント | 鵜飼哲 |
自由討論 | |
争点:国際会議〈第2回「大衆独裁と合意形成」〉会議報告 | |
はじめに:大衆独裁と合意形成 | 岩崎稔 |
帝国主義的ナショナリズムの比較論的観点とマイノリティ | 酒井直樹 |
束縛なき世代、国家保安本部のリーダー軍団 | ミヒャエル・ヴィルト |
民族問題におけるポーランド共産主義体制の戦略-ユダヤ人政策について | フェリクス・ティフ |
論文 | |
わが国金融機関の中小企業向け貸出ビジネスモデルの変換-米銀モデルとの比較- | 熊倉修一 |
戦後米国の景気循環と1990年代の長期景気拡大 | 蒲生慶一 |
発明の準(パラ)実存的力?1930年代における中井正一の技術論と資本主義批判 | アーロン・ムーア |
研究ノート | |
外国人医療分野に見る中国医療の市場化とその問題点 | 窪田道夫 |
資料と証言II 日中戦争期・朝鮮知識人の内鮮一体論 | |
解題 | 崔真碩 |
内鮮一体の具体的実現過程 | 金明植 |
内鮮一体の文化的理念 | 印貞植 |
「内鮮一体」と朝鮮人の個性問題 | 玄永燮 |
「氏制度」創設と鮮満一如 | 金明植 |
「内鮮一体」と言語 | 印貞植 |
共同運命への結合とその還元論 | 金漢卿 |
興亜的大使命として見た「内鮮一体」 | 金斗禎 |
書評論文 | |
レシーフェの音楽シーンが示す地域とグローバル | 安東直子 |
バウムガルテンのアクチュアリティー-刊行250周年を迎えた『美学』を現在において再考することの意味- | 大澤俊朗 |
「9・11」以後のアメリカにおける政教の親和性 | 矢澤智生 |
善き秩序-ポリツァイ概念史研究の可能性と課題 | 吉田耕太郎 |
『クァドランテ』第8号(2006年3月)ISSN 1334-5987
特集:国際学術シンポジウム 現代中東における「原理主義」をめぐって | |
イスラエル・パレスチナ社会における原理主義の諸潮流 | |
あいさつ | 藤田進 |
イスラエルにおけるユダヤ原理主義 | ノートン・メズヴィンスキー |
アラブ世界における急進的イスラーム民衆運動台頭の背景 ―「中東和平」体制下パレスチナ民衆の危機と抵抗― | 藤田進 |
論争のなかの原理主義 | 臼杵陽 |
コメント「イスラム原理主義の物語?」 | サミール・ヌーハ |
全体討論 | |
講演 | |
消滅しつつある言語の回復過程 ―アルゲーロにおけるカタルーニャ語― | |
PROCESO DE RECUPERACI?N DE UNA LENGUA EN EXTINCI?N: EL CATAL?N DE ALGUERO | Joan Armangu? i Herrero |
報告 | |
独立後の武力紛争の期限としてのモザンビーク解放闘争 ―地域社会に生きる人々の歴史から― | 舩田クラーセンさやか |
論文 | |
科学による人種の発明 ―黒人恐怖症の近代化― | |
A invenção científica da raça : a modernização negrofobia | Alberto Luiz Schneider |
「アジア」は有用でありうるか? | 劉健芝 |
写真から見えてくるもう一つの「ベトナム戦争」 | 金成蘭 |
生活必需品に対するエコラベリングの有効性 ―トイレットペーパーを実証例として― | 新熊隆嘉/鈴木崇之 |
日系企業の中国展開に果たされる法律事務所の役割 | 佐藤奈緒 |
戦後米国経済における分配対立パターンの転換について | 蒲生慶一 |
書評論文 | |
いびつな横領:ポストマン『18世紀への橋渡し』のドイツにおける受容の問題性 | 大澤俊朗 |
中国赤十字会の血液・臓器移植事業 ―医療の市場化を加速する売血と臓器移植ビジネス― | 窪田道夫 |
アメリカから解放された歴史叙述に向けて | |
―<植民地近代性>という視点からフィリピン人歴史家たちへの応答― | 芹澤隆道 |
『クァドランテ』第9号(2007年3月)ISSN 1334-5987
特集I: 歴史家二宮宏之の思想と仕事 | |
特集に寄せて | 『クァドランテ』編集委員会 |
歴史家・二宮宏之を語る | 成田龍一/安丸良夫/山之内靖 |
二宮、ブロック、カントロヴィチ-西欧中・近世史における<公的なもの>の概念- | 千脇修 |
「いま、なお歴史家は愛するにたりるか?」─二宮宏之著『マルク・ブロックを読む』を読む─ | 戸邉秀明 |
二宮君の思い出 | 松村赳 |
系の歴史学から読解の歴史学へ-二宮宏之にとってのギンズブルク | 上村忠男 |
二宮さんの体験的思い出 | 増谷英樹 |
二宮宏之先生を語る | 工藤光一 |
二宮宏之先生の思い出 | 長井治 |
キーパースン | 中川和夫 |
偉大な歴史家日本の二宮宏之氏を悼む | ピエール・スイリ |
二宮宏之著作一覧 | |
<再録>『地域研究ブックレビュー』・『近代「ヨーロッパ世界」におけるネーションとエトノス』より | |
特集II: 映画上映&シンポジウム 移動と記憶 | |
移民問題と植民地支配-シンポジウムの企画にあたって- | 菊池恵介 |
シナリオ:『移民の記憶-マグレブの遺産』 | ヤミナ・ベンギギ |
フランス近代植民地主義におけるアルジェリアの記憶-ヤミナ・ベンギギ『移民の記憶』を読み解くために- | 西山雄二 |
マグレブ移民に呼び戻される在日朝鮮人の記憶 | 宋連玉 |
特集III: 国際シンポジウム 死者を悼むことと想起の文化-「靖国」問題を検証するなかで | |
問題の設定 | 岩崎稔 |
多重祭祀のなかの靖国神社 | 岩田重則 |
英雄か、犠牲者か-オーストリア黒十字にみる戦没者の追悼と顕彰の行方- | 水野博子 |
靖国と北朝鮮:記憶とセキュリティをめぐって | 金杭 |
超越なき追悼-喪の(不)可能性と共同体- | 早尾貴紀 |
特集IV: 国際シンポジウム 歴史学と歴史意識の変容 | |
ポスト共産主義社会におけるポスト・ソヴィエト史学-ウクライナの場合 | ヴォロジミル・クラヴチェンコ |
1989年以後のポーランドの現代史研究 | ウカシュ・カミンスキ |
国民、民主主義、ヨーロッパのあいだで―共産主義後のチェコとスロヴァキアの歴史学― | ミハル・コペチェク |
論文 | |
戦場に捧げた青春-旧北ベトナムにおける「青年突撃隊」隊員たちのベトナム戦争- | 今井昭夫 |
ヴィルコミルスキー症候群-偽造されたライフヒストリー | ヴォルフガング・ホイヤー |
Inscriptions from Those without a “Place”: World Literature as Read from the Diaspora in John Okada’s No-No Boy | LEE Hyo Duk |
「歴史の過少」の克服にむけて―韓国「親日清算論」の批判的検討― | 趙慶喜 |
Modernity and nationalism at the end of the 19th century: ideas of a miscegenated Brazil in S?lvio Romero’s work | SCHNEIDER Alberto Luiz |
計画経済体制における中央計画当局―第1次五ヵ年計画期のソ連邦ゴスプラン― | 鈴木義一 |
『支配と亀裂-植民地の日常-』序章-植民地の日常生活研究の意義と課題 | 鄭根埴 |
在日朝鮮人ハンセン病回復者の記憶と記録 | 君塚仁彦 |
解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者の「位置」―1945年から1950年代を中心に― | 金貴粉 |
アジア全体に現れている疲労という感覚 賈樟柯『三峡好人』の映像言語 | 友常勉 |
米国教育使節団報告書の「日本化」に関する研究―文部省訳における“people”の訳され方に注目して― | 倉石一郎 |
研究ノート | |
1930年代における中国の〈モダン女性〉文化 | 葉柳青 |
戦後対馬と日本考古学-オリエンタリズム・ナショナリズムの交差- | 俵寛司 |
書評論文 | |
ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』を読む | 中村隆之 |
占領とジェンダー:マイク・モラスキー『占領の記憶 記憶の占領』 | 渡邊英理 |
『クァドランテ』第10号(2008年3月)ISSN 1334-5987
『クァドランテ』第11号(2009年3月)ISSN 1334-5987
特集: 歴史と記憶 | |
特集に寄せて | 岩崎稔 |
歴史と記憶 再考 | エティエンヌ・フランソワ |
国民(ナシオン)とヨーロッパの間 | ライナー・フーデマン |
イタリア版『記憶の場所』のおかれた〈場所〉 | 小田原琳 |
「東アジアの記憶の場」の可能性―ピエール・ノラへの批判的応答の試みとして | 岩崎稔 |
論文 | |
〈志願兵〉前夜、あるいはメランコリーの日々 | 李英戴 |
反ファシズムの存立条件としてのファシズム―1960年ジェノヴァでの騒乱をめぐって― | 秦泉寺友紀 |
韓国社会の在日朝鮮人認識の変遷 | 趙慶喜 |
1930年代農村再編とリアリズム論争―久保栄と伊藤貞助の作品を中心に | 友常勉 |
高下一郎くんの思い出 | 上村忠男 |
研究ノート | |
言語使用と習得―ブラジルの識字教育段階における児童のコード、状況、成績 | エリゼウ・ピシテリ、イズミ・ノザキ |
Inmigraci?n latinoamericana en Jap?n: una aproximaci?n desde el aula | Robert Ingrid |
書評論文 | |
差別を語ること―ひろたまさき著『差別からみる日本の歴史』を読む― | 内藤千珠子 |
リスクの活用と安心の希求―美馬達哉『〈病〉のスペクタクル―生権力の政治学』を中心に― | 高野麻子 |
パリのケ・ブランリー美術館を読む―開館記念会議『諸文化の対話』を手がかりに― | 清水祐美子 |
「美学化」から新たな意味における「美学主義」へ―ヴォルフガング・ヴェルシュ『美学の閾』を読み解く― | 大澤俊朗 |
資料と証言III 日中戦争期・朝鮮知識人の統制経済論 | |
資料解題 | 洪宗郁 |
長期事変下の経済情勢―統制経済から計画経済へ― | 金明植 |
朝鮮経済の独自性 | 金明植 |
戦時体制下の朝鮮経済 | 印貞植 |
朝鮮に於ける国土計画と農業計画 | 桐生一雄(印貞植) |
計画経済の理論 | 尹行重 |
東亜広域経済の基本問題 | 朴克采 |
『クァドランテ』第12/13号(2011年3月)ISSN 1334-5987
企画:安丸良夫さんと読む「安丸民衆思想史」 | |
この企画に寄せて | 岩崎稔 |
安丸文献史学の方法について | 岩田重則 |
岩田重則氏への応答 | 安丸良夫 |
特別寄稿:パトリシア・セラーズ東京外国語大学特別講演 | |
掲載にあたって | 金富子 |
武力紛争下の性暴力―国際法の視点から― | パトリシア・セラーズ |
論文 | |
米国教育使節団報告書の「日本化」に関する研究(2)―「機会均等」理念の実質化としての「定時制高校義務制」論と青年学校― | 倉石一郎 |
第1次インドシナ戦争期の北ベトナムにおける農業税の導入―国家財政保証、戦時食料調達、農村統治をめぐるポリティクス― | 平山陽洋 |
東への道―1950年代の西洋映画における「インド」― | 土田環 |
狭山闘争の思想史・試論―戦後部落解放運動史のために | 友常勉 |
Cultural Properties Protection Law : Aspects of Perservation and Innovation in the Protection of Intangible Cultural Properties of Japan | ARISAWA Shino |
冷戦初期におけるジョルジュ・バタイユの平和思想 | 丸山真幸 |
プーランザス的諸問題―グローバル資本主義における国家と階級のマテリアリティ― | 柏崎正憲 |
EU15における失業率の収斂について―労働市場制度とECBの金融政策が失業に与える効果の予備的考察― | 蒲生慶一、島田斐子 |
書評論文 | |
中国における草の根の法律扶助の展開基盤 | 佐藤奈緒 |
歴史の否認―植民地主義史研究に見るイタリア歴史修正主義の現在 | 小田原琳 |
Re-reading Shuichi Kato’s Travelogue from Uzbekistan, Croatia and Kerala. A Three Faces of Socialism | Maja Vodopivec |
レオ・チン著 『「日本人」になる 植民地台湾とアイデンティティ形成の政治』を読む | 簡宇敏 |
民主化運動の記念をめぐって―『韓国の歴史記念施設』を読む― | 牧野波 |
Nations, States, and Violence: A Critical Review | Leonel Monterroso Torres |
翻訳 | |
「暴力、非暴力―ファノンにおけるサルトル」 | ジュディス・バトラー/尾崎文太訳 |
『クァドランテ』第14号(2012年3月)ISSN 1334-5987
企画:「世界は変えられるという予感」 | |
I. 高円寺「素人の乱」とウォール街占拠を結ぶ | |
この企画に寄せて | 岩崎稔 |
高円寺「素人の乱」とウォール街占拠を結ぶ:討論 | 松本哉/樋口拓朗/木下ちがや/池上善彦 |
II. 《災害ユートピア》論から検証する3.11 | |
趣旨報告 | 小田原琳 |
III. 原発文学を読む | |
鶴見線海芝浦駅縁起―笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」と「五五年体制」 | 島村輝 |
原発小説を読み直す―井上光晴『西海原子力発電所』を中心に― | 村上陽子 |
論文 | |
19世紀フランス農村世界における噂のダイナミクス | 工藤光一 |
帝国、国民国家、そして共和制の帝国 | 池田嘉郎 |
On Possibility of the Postwar Knowledge ? Continuities and Discontinuities in the thought of Kat? Sh?ichi | Vodopivec Maja |
復元の光学―ロベルト・ロッセリーニ『インディア』の異なる復元版をめぐる考察― | 土田環 |
インドにおける「結婚持参金(ダウリー)問題」の諸相 | 小林磨理恵 |
安部公房の『他人の顔』における戦争の記憶と人種問題 | リチャード・カリチマン |
ハマーショルドのコンゴ政策―国連平和活動に見られるパターナリズム― | 玉村健志 |
書評論文 | |
Deafhood With/Out Deafness - 言語と身体の交差する地点 | 山下惠理 |
新刊紹介 | |
柳父章・水野的・長沼美香子編『日本の翻訳論 アンソロジーと解題』(法政大学出版局、2010年) | 桑山佳子 |
『クァドランテ』第15号(2013年3月)ISSN 1334-5987
『クァドランテ』第16号(2014年3月)ISSN 1334-5987
『クァドランテ』第17号(2015年3月)ISSN 1334-5987
追悼文 | |
工藤光一君の死を悼む | 立石博高 |
工藤光一先生を偲ぶ | 吉田ゆり子 |
「ヒストリカル・エリア・スタディーズ」に込めた工藤先生の思い | 金井光太朗 |
工藤光一さんを悼んで | 岩崎稔 |
工藤光一さんを悼んで | 鈴木茂 |
静かな賢人―工藤光一さんとのこと | 篠原琢 |
小特集 | |
「生活記録と〈運動〉2」 | |
「生活記録と〈運動〉2」趣旨説明―50年代文化運動の中の生活記録運動の位置 | 水溜真由美 |
紡績女子労働者の生活記録運動―記録創出の過程とサークル集団の動態に注目して― | 辻智子 |
「王子主婦連」の成立と意識変革―生活改善会・王子争議体験・会誌発行にみる― | 岸伸子 |
論文 | |
外国人家事労働者受け入れをめぐる問題点―政策・社会統合とジェンダーの視点からの分析― | 長谷部美佳 |
関東大震災時の虐殺事件によるトラウマ的体験とそのゆくえ―在日朝鮮人の口述資料を中心に― | 鄭永寿 |
中国・内モンゴルにおけるガーダー・メイレンの記憶とその変遷 | 包宝海 |
書評論文 | |
政治概念を国家概念から解放するために―フォルラート『〈政治的なもの〉とはなにか』を読む― | 橋爪大輝 |
「女のからだ」という戦場―萩野美穂『女のからだ―フェミニズム以後』(2014)を読む― | イザベル・ファスベンダー |
アメリカニズムと現代アメリカの階級―中野耕太郎『戦争のるつぼ』を読む― | 立林奈々子 |
ヘーゲル『精神現象学』における批判の問題 ―ウィリアム・ブリストウ『ヘーゲルと哲学的批判の変容』を読む― | 岡崎龍 |
ノスタルジーのカルチュラル・スタディーズ―スヴェトラーナ・ボイム『ノスタルジーの未来』の描くロシア― | 石丸敦子 |
書評 | |
南塚信吾・古田元夫・加納格・奥村哲著『人びとの社会主義』 | 池田嘉郎 |
研究ノート | |
20世紀初頭のトルキスタンにおける社会問題―特に人生儀礼(xatna, to'y, aza)について― | ジャスル・ヒクマトラエフ |
Historical Narration of the Second Sino-Japanese War in Current Japanese High School History Textbooks:The Logic of its Causal Interpretations | Yi Zou |
フィリピンにおけるろう文化 | 山下惠理 |
『クァドランテ』第18号(2016年3月)ISSN 1334-5987
工藤光一先生の足跡 | |
工藤光一先生の足跡 | 大川正彦 |
工藤光一先生 研究業績 | |
特集「書評コロキウム」 | |
特集「書評コロキウム」:波平恒男著『近代東アジア史のなかの琉球併合』 | 中野敏男 |
書評 波平恒男著『近代東アジア史のなかの琉球併合―中華世界秩序から植民地帝国日本へ』(岩波書店、2014年6月刊) | 康成銀 |
波平恒男『近代東アジア史のなかの琉球併合』を読んで | 高江州昌哉 |
書評:波平恒男『近代東アジア史のなかの琉球併合-中華世界秩序から植民地帝国日本へ』―比較から東アジア史を見直す― | 権赫泰 |
著者からの応答 | 波平恒男 |
論文 | |
公開性と人格―アーレントにおける人格の現象性― | 橋爪大輝 |
「記憶の場」としてのガーダー・メイレン | 包宝海 |
書評論文 | |
生きる場としてのコミュニティ―ハーバート・ガンズ『都市の村人たち』を読む― | 林恭平 |
ロシアにおける崩壊直後のノスタルジー現象を読み解く―『ブレジネフ再考』を読んで― | 石丸敦子 |
Remembering the Past through a New Form of Memory: A Review and Evaluation of Prosthetic Memory | Yi Zou |
書評 | |
死者たちについて/とともに出来事の文学を論じること―村上陽子『出来事の残響 原爆文学と沖縄文学』を読む― | 浅野麗 |
研究ノート | |
啓蒙専制期ハプスブルク君主国における批判的公共圏の成立―フリーメイソン勅令をめぐるパンフレット議論に基づいて― | 上村敏郎 |
A Review of Social Capital Theories on Educatio | Taemi Kawasaki |
調査報告 | |
内モンゴル・ホルチン地域におけるスンス・ドーダホ儀礼―ホルチン地域フレー・ホショーの事例― | 朝克 |
翻訳と解題 | |
あの女の家 | 朴婉緖 |
物語が伝える記憶 ―朴婉緒「あの女の家」を読む― | 吉良佳奈江 |
研究業績 | |
離れ離れの本たちをつなぐ | 中野敏男 |
中野敏男先生 研究業績 | |
わたしのモンゴル研究 ―1976~2016年― | 二木博史 |
二木博史先生 研究業績 |
『クァドランテ』第19号(2017年3月)ISSN 1334-5987
『クァドランテ』第20号(2018年3月)ISSN 1334-5987
『クァドランテ』第21号(2019年3月)ISSN 2434-9232
『クァドランテ』第22号(2020年3月)ISSN 2434-9232
『クァドランテ』第23号(2021年3月)ISSN 2434-9232
『クァドランテ』第24号(2022年3月)ISSN 2434-9232
『クァドランテ』第25号(2023年3月)ISSN 2434-9232
『クァドランテ』第26号(2024年3月)ISSN 2434-9232
小特集I:ラテンアメリカ合評会『世界の中のラテンアメリカ政治』 | |
合評会『世界の中のラテンアメリカ政治』を読む ―趣旨説明― | 舛方周一郎 |
合評会『世界の中のラテンアメリカ政治』を読む ―報告と議論― | 舛方周一郎/ 受田宏之/ 鈴木茂/ 池田和希/ 宮地隆廣/ 大内宏信 |
小特集II:講演会『浜口ミホの住宅革命』 | |
特別講演「浜口ミホの住宅革命」(講師: 上田佳奈氏) に寄せて―住宅建築を通じた「公共」概念の再考― | 中井杏奈 |
HIPS プログラム特別講演『浜口ミホの住宅革命』 ―講演と議論― | 上田佳奈/ 小田原琳/ 中井杏奈 |
小特集III:講演会『香港新聞コレクション』 | |
2019-2021 年を中心とする香港新聞コレクション―社会の変化を探る歴史的な資料として― | 野上和月 |
激動の目撃者の言葉を残す ―香港新聞コレクションの意義― | 倉田徹 |
論文 | |
レーダ・ラファネッリの『社会素描短編(Bozzetti sociali)』におけるジェンダーと階級 | 小久保真理江 |
1980 年代後半のスロヴァキア作家同盟におけるスロヴァキア・ネイション論 | 佐藤ひとみ |
書評論文 | |
雷震から戦後台湾の憲政を再考する―薛化元著『民主的浪漫之路: 雷震傳』を読む― | 任鵬飛 |
ドイツ語圏における移民史研究とジェンダー視点―クラウス・J ・バーデ編『移民のヨーロッパ史: ドイツ・オーストリア・スイス』を読む― | 大橋彩乃 |
近代ヨーロッパ社会におけるカトリシズムの理念と実践―中野智世(編著)『カトリシズムと生活世界―信仰の近代ヨーロッパ史―』を読む― | 照井美優 |
平井一臣『ベ平連とその時代―身ぶりとしての政治―』を読む | 港那央 |
アジアにおける同性婚法の可能性―鈴木賢著『台湾同性婚法の誕生―アジアLGBTQ+ 燈台への歴程』(日本評論社、2022) を読む― | 田文俊 |
研究ノート | |
中国における鉄道導入をめぐる王韜の主張― 『循環日報』の論説を中心に― | 王士一 |
資料紹介 | |
オスマン・エルギン著『トルコにおける都市運営の歴史的発展』(2) | 川本智史・守田まどか |
研究実績 | |
東京外国語大学を退職するにあたって | 吉田ゆり子 |
日本近世における夫婦の間柄 | 吉田ゆり子 |
吉田ゆり子先生 研究業績 |