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 Web企画展

八杉貞利と東京外国語学校

八杉貞利はロシア留学中の1903年に東京外国語学校露語科教授に着任し、翌年日露戦争の勃発に伴い帰国し、1945年まで同校で教鞭を執りました。大学文書館では八杉貞利の遺した日記・ノート等の資料群の寄贈を受け、その整理を進めています。本企画展では、八杉日記に描かれた明治・大正・昭和の東京外国語学校の様子を紹介します。

下記リンクをクリックすると展示内容がご覧いただけます。

≪目次≫
T 東京帝国大学における博言学の研究と東京外国語学校への着任
U 八杉貞利の研究業績
V 八杉貞利資料群について
略年表

1876

916日、八杉利雄、春子の次男として東京浅草で生れる。母春子は産後肥立悪く同年10118歳で死去。父利雄は明治1637歳で死去。当時熊本衛戊病院長、陸軍一等軍医正。母死去の後祖母節子に育てられる。

1897

第一高等学校卒業。同年東京帝国大学文科大学言語学科入学。指導教官、文学博士上田萬年先生の指示によりロシヤ語学の研究に入る。

1900

東京帝国大学卒業。恩賜の銀時計を受ける。

1901

名美子(海軍少将岩崎達人長女)と結婚。文部省より露語研究のため露国へ留学を命ぜられる。11月出発。

1903

東京外国語学校教授に任ぜられる。

1904

露国より帰国。東京帝国大学文学部、早稲田大学講師を兼職。

1924

アカデミー二百年祭に招かれ訪ソ。

1927

ソヴェト連邦へ後藤新平氏と共に渡る。スターリン氏と会談。

1937

東京外国語学校名誉教授となる。

1951

日本ロシヤ文学会創立され会長に就任。

1960

岩波ロシヤ語辞典完成。紫綬褒章を受ける。

1961

朝日新聞社より朝日文化賞を受ける。

1964

ソヴェト連邦レニングラード大学より名誉博士の称号を受ける。

1965

ロシヤ語学の研究、普及に努め、我国学術の進展に寄与した功労により銀盃一組を下賜さる。

1966

2月、脳軟化症のため満89歳で死去。


バナースペース

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