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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

8 関東村跡地の利用


 関東村跡地の利用については府中市・調布市・三鷹市の地元三市で協議が進められました。府中市では一九七三年一一月、基地の跡地利用について市民を対象としたアンケート調査を実施し、 一九七五年、その成果をまとめた『平和の森・太陽の森基本構想《府中基地・関東村跡地利用》』を示します。 また森林公園の建築構想と並行して、野球場・サッカー場等の施設使用が進められる一方で、一九七七年、府中市議会は「国立の総合病院誘致に関する要望書」を採択し、総合病院の誘致にも力を入れます。


V関東村跡地の利用



 1972年、地元三市では市長・市議会議長で構成する「調布基地対策連絡協議会」(六者協議会)を設置することを決定し、第1回協議会が開催されます。 1997年(平成9)までに37回開催され、跡地利用の協議が重ねられました。 府中市では返還合意後の1973年11月、基地の跡地利用について市民を対象としたアンケート調査(発送総数3000件、回答数1014件)を実施します。 アンケートの結果、関東村跡地利用の希望として「森林公園などの都市公園」(得票率約33%)、「病院などの厚生施設」(同約17%)が上位となり、 また個別に希望のあった施設としては病院、スポーツ関連施設が挙げられました。




 これを受け、市では『平和の森・太陽の森基本構想《府中基地・関東村跡地利用》』(1975年5月)を示し、市政の基本方針としていた「緑と心のふれあう人間都市」に沿った森林公園の建設構想を打ち出します。 野球場・サッカー場等の施設使用が進められる一方で、市では総合病院の誘致にも力を注ぎます。1977年市議会では「国立の総合病院誘致に関する要望書」が採択され、 1980年には国立東京医科歯科大学から府中市に移転計画案が提出されます。しかし、1984年この移転計画は大蔵省との折衝経過等から断念され、その後も東京医科大学の進出などが検討されましたが 条件が折り合わず1997年に断念します。


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