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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

7 関東村


 関東村跡地は、現在の府中市朝日町三丁目と調布市、三鷹市にまたがる土地で、一九四一年(昭和一六)に調布飛行場建設のために切り開かれました。 戦後、調布飛行場は米軍に接収され、一九四六年に調布水耕農園及び補助飛行場として使用され、一九六三年からはワシントン・ハイツ(代々木)の代替地として 米軍人とその家族らが居住する関東村住宅地区として利用されました。 一九七四年、関東村住宅地区は米軍から国へ正式に全面返還され、跡地の利用が検討されます。


T関東村の変遷



 関東村跡地は1941年(昭和16)に多磨村、調布町、三鷹村の山林を切り開き調布飛行場が建設され、戦後は米軍に接収され調布水耕農園と補助飛行場として使用されます。 1946年12月より稼働した調布水耕農園(米陸軍総合補給廠)は、世界最初の水耕栽培の実用施設でした。その後、1963年、東京オリンピックに開催に伴いワシントン・ハイツの代替地としての追加利用が決定し、 「関東村住宅地区及び補助飛行場」へと名称が変更されます。880戸の住宅と小中高校、診療所等の施設が建設され、約4500人の米軍人と家族、日本人従業員が居住しました。


U 関東村の返還

 1961年府中市では調布飛行場等の開放に関する要望を議決し、基地に関係ある地元三市で国に公園用地として基地の一部返還を要請します。 1965年7月、米軍は施設の一部を移設することを条件に飛行場地区の全面返還をします。 1971年12月日米合同委員会において飛行場地区の返還が合意に達します。1973年1月第14回日米安全保障協議委員会において関東計画が発表され、 関東村住宅地区は3年以内に全面返還されることになりました。1974年12月10日、米軍は返還を早め、関東村住宅地区は米軍から国へ正式に全面返還されます。


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