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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

5 西ヶ原キャンパスと東京外国語大学の発足


 一九四九年(昭和二四)、語学だけではなく「外国の言語とそれを基底とする文化一般につき理論と実際」について研究・教授する新制の東京外国語大学が発足します。
 日本の経済発展に伴い、学科が増設され、大学院も新設されます。語学科や学生数の増加に伴い、北区西ヶ原のキャンパスでは増改築が繰り返されます。 また一九七〇年には、府中市住吉町に外国語学部附属日本語学校が設置され、国費留学生等への教育や日本語教育教材の開発が進められます。


[ 北区西ヶ原            1949年-2000年



 資材不足の中、1949年(昭和24)3月23日、西ヶ原に戦災復興校舎が建設され、1951年に大部分の移転が完了します。 その後西ヶ原キャンパスは増改築を重ね、1950年代には従来の木造校舎から鉄筋コンクリート造校舎への移行が進みます。 1960年代、学内では学部の増設、海外事情研究所やアジア・アフリカ言語文化研究所の設置も行われ、設備の充実化が図られました。




 他方で、施設の増設は敷地面積の狭い西ヶ原を一層窮屈にしました。 戦後の新制大学発足を機に初代学長に就任した澤田節蔵の頃から校舎移転地の捜索が課題であり、目黒の旧海軍軍令部跡への移転が計画に上ったこともありました。 1962年、政府が大学や研究機関を集めた「研究学園都市構想」の計画を発表すると、東京教育大学とほぼ同時期に東京外国語大学もまた筑波移転を検討します。 結果的に移転は断念されますが、移転地の確保は歴代学長の一番の課題となり続けます。


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