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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

4 仮校舎と戦時下の東京外国語学校


 世界恐慌から戦争へと時代が傾くにつれ、生徒・卒業生もまた戦争に駆り出されていきます。特に一九四一年(昭和一六)以降、学生の修学年限は短縮され、 一九四三年には文科系学生に対する徴兵猶予が停止されます。学徒動員と学徒出陣により、授業は閑散としたものに変わってゆき、一九四四年においては、 同年に入学した一年生を除き、殆んど授業が実施されなかったようです。 また一九四四年には、外国語学校は修業年限三年の東京外事専門学校へと改編されます。


Y 滝野川区西ヶ原町       1944年-1945年



1933年(昭和8)、元海軍爆薬部のあった滝野川区西ヶ原町に移転地が決定しますが、新校舎の建設は不況のあおりを受け、遅れに遅れます。 当初設置されたのは校門と敷地を囲む塀のみで、1940年1月着工を開始し、1944年5月空襲からの疎開を兼ねて移転を達成しました。 しかし、翌年4月東京西北部一帯を襲った城北大空襲により門衛所を除き焼失します。


Z 板橋区上石神井        1946年-1949年



 校舎を失った外語は、上野の東京美術学校校舎の一部を間借し、終戦を迎えます。1946年、板橋区上石神井の智山中学校の校舎の一部と、 そこから300m程離れた東京工業専門学校の元電波兵器技術専修学校の木造校舎を借用することとなり、9月より授業が再開されました。


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