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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

3 麹町区元衛町・竹平町と校名存続運動


 第一次世界大戦中、国内では高等教育の拡充が図られ、帝国議会において外国語学校に貿易科・殖民科を置く、 「東京貿易植民語學校」の設置が検討されます。「外国語学校」の名称存続を求める職員・生徒・卒業生はこれに反対し、校名存続運動を展開します。 これにより、貿易科・拓殖科は設置されたものの今日まで残る「外国語」の校名の存続が決定します。 他方で、授業内容の拡充は語学の授業時間数の大幅な削減につながり、学生・教職員らは修業年限の延長を求める運動を展開します。 結果一九二二年(大正一一)には修業年限が三年から四年へと延長されます。


W 麹町区元衛町



1921年(大正10)、麹町区元衛町に新校舎が建設されました。神田大火災による校舎焼失から8年を要した背景には、その間に起こった「校名存続」を中心とする教育体制の変革の議論と、 校舎建設が結び付けられたためでした。新校舎本館はロの字型をした3階建であり、教室は拡張されました。 しかし、わずか2年後の1923年9月1日関東大震災により新校舎は全壊し、校舎を失ってしまいます。


X 麹町区竹平町          1924年-1944年



1924年3月には旧文部省跡地の麹町区竹平町1番地に仮校舎が建設されます。仮校舎は「鶏小屋」のあだ名が付けられる程の急造バラックで、 当初夏休みまでの五ヶ月間の一時校舎を予定していましたが、移転先の選定は難航し、1944年までの20年間仮校舎で過ごすことになります。


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