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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

2 神田錦町と東京外国語学校の独立


 日清戦争後、極東における対外的発展を目指す日本にとって、海外事情に通じる専門家「外国語ニ熟達スルノ士」の養成が急務となり、 一八九七年(明治三〇)高等商業学校附属外国語学校として創立され、一八九九年専門学校として分離独立を果たします。 日露戦争直前の一九〇四年一月、外国語学校は陸海軍より露清韓の各語について軍事通訳派遣の要請を受け、通訳養成に協力していきます。 戦後、東アジア・東南アジアを中心に商人・企業家が海外へ活動の場を拡大するなか、一九〇八年、短期間での商用外国語の教授を目的とした東洋語速成科が新設されます。


U 神田錦町3丁目14番地    1899年-1903年



 1897年(明治30)9月、附属外国語学校は高等商業学校の商品陳列所を改造した木造2階建の校舎を本拠に開校されました。 高等商業学校からの独立後は、商業学校の運動場の施設を改築し、神田錦町3丁目14番地の校舎に移りました。 わずか6つの教室の木造2階建の校舎では手狭であり、従来の高等商業学校の校舎をそのまま分校場として活用することで、学生への教授に応じていました。


V 神田錦町3丁目13番地    1903年-1921年



 1903年(明治36)1月、神田錦町3丁目13番地に校舎を新築し移転します。これにより、独立以来の最大の懸案事項であった校舎・設備問題が大きく改善されました。 しかし、1913年2月神田大火災により、わずかに正門などを残し、校舎は全焼しました。同年9月、本稿敷地に仮校舎が建設されます。


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