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 なぜ府中に外大が? 〜東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転〜

1 神田一ツ橋と東京外国語学校の建学


 東京外国語大学の前身は一八五七年(安政四)正月十八日に開校した蕃書調所にあります。 蕃書調所は、西洋各国の政治・軍事・風俗などを研究し、書物の翻訳を行なうとともに、外交に携わる人材を養成するために、幕府が設立した機関でした。 一八七三年(明治六)、東京外国語学校は官立の外国語学校として建学されます。
 しかし、「脱亜入欧」を目指し、富国強兵・殖産興業が推進される中、 「語学ハ商業ニ附属」する学問とみなされ、東京商業学校へ統廃合されます。


T 神田一ツ橋通町         1873年-1885年



 1873年(明治6)東京外國語學校は、開成学校に専門学科が設置されたことをきっかけに神田一ツ橋通町(現在の学士会館)に建学されました。 東京外国語学校は開成学校の語学生徒を中核とし、校舎もまた元開成学校の跡地を引き継ぎました。校舎は開成学校跡を引継いだためか、当初より老朽化が進んでいました。 そのため1878年には、教場の「頽敗」を理由に改修工事が行われました。
  1885年東京商業学校(現一橋大学)に統廃合されると、合併後の校舎は外語の跡地が利用されたため外語関係者の廃校に対する不満は非常に高く、 後に第6 代校長 長屋順耳は「庇(ひさし)を貸して主家を取られた」と当時を振り返りました。




 明治10年頃の皇居周辺図。図の下部は皇居の御濠端で、東京外国語学校は東京大学、学習院の隣に位置してました。

    
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