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 学園紛争 〜東京外国語大学における経過と特徴〜

U. 東京外国語大学における学園紛争の経過(2)


目次
 4. 入試実施をめぐる問題と機動隊導入による封鎖解除
 5. 授業再開と学内鎮静化に向けて
 6. 学園紛争のその後 〜日新学寮の解体〜


 4. 入試実施をめぐる問題と機動隊導入による封鎖解除


 12月16日、文部省は入試実施に関して、紛争の激しかった東京大学、東京教育大学、本学、日本大学の四大学に対して、文部省事務次官名で緊急通達が行います。文部省は、紛争の長期化による授業停止の状況が在学生の単位取得・進級・卒業だけでなく、「新入生の受入れについても重大な支障をきたす」との見解を示し、各校と入試問題に関する折衝を進めます。 本学では年の瀬迫る30日、教授会を開催し、入試実施を決定します。しかし、その実施には学内封鎖の解除が急務でした。
 入試実施のためにも、早期の学内封鎖解除が求められるなか、大学側は学生との宥和を模索し、寮生の負担分軽減を表明するなど、交渉を試みます。 学生側でも、ノンポリ学生を中心に東外大改革連盟などが組織され、その一部は全共闘の任期は12月で満了しており学生大会の開催を要求するとして、大学側と交渉を進めます。
 事態の解決が進まないなか、2月3日、大学側は「早急に正門および建造物の全ての封鎖・占拠状況を解除するよう要求する」との要求書を共闘会議議長に送付し、 16日午前8時、遂に機動隊300人により封鎖解除が行われました。


 5. 授業再開と学内鎮静化に向けて


 封鎖解除後も、復旧のため学生の構内立ち入りが禁止されます。同年の入試は会場を学外の予備校などに分散して、二次試験を省き、例年の三分の一の時間で実施されました。
 1969年4月1日、紛争の対応に当たって来た小川学長の辞任が承認され、同日、鐘ヶ江教授が学長代行に就任します。新体制のもと、10日授業再開を目指し学内封鎖解除が進められます。 しかし、全共闘学生が乱入したことで、大学側は機動隊の出動を要請し、学生128名の逮捕者が発生します。このため、授業再開は延期され、再び学生の構内立ち入りが禁止されました。構内立入禁止のなか、卒業予定の学生や新入生に対しては教官の自宅等で授業が進められました。6月25日、教授会において1968年度卒業者の判定が行われ、 学外授業受講者404名のうち373名の6月28日卒業が決定しました。
 他方でその間も全共闘学生による構内侵入・暴力事件、9月の進級試験への妨害が発生し、1969年度の授業再開は10月13日になりました。 授業再開後も、授業妨害をはじめ学内暴力事件は続き、沈静化したのは1972年度のことでした。


 6. 学園紛争のその後 〜日新学寮の解体〜

 紛争後、大学はキャンパスの正常化に注視し、寮問題への対処は忘れ去られて行きます。 他方で、寮では紛争期から入寮選考が行われなくなり、寮内には部外者が増え、寮内の居住者を大学側が把握していない無秩序な状況が生まれます。 1975年部外者を含む「寮生」による暴力事件が発生し、新聞に掲載されたことで明るみに出ます。 大学はこの問題の解決に乗り出し、新規入寮の停止・学外者の立退き・寮の規模縮小を進め1979年に日新学寮は閉寮しました。


    
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