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2012年10月 アーカイブ

2012年10月 6日

センチンは「100年後のアンドレーエフ」か

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これは、ロマン・センチン(1971年生れ)の短編集『豊富』。タイトルは中に収められた同名の短編から取られたものだ。

Роман Сенчин. Изобилие. М.: КоЛибри, 2011.

1990年代に書かれた短編が34編収められているが、この作品集全体の特徴は「凄惨」と言う一語に尽きるだろう。目をそむけたくなるような惨たらしい現実、希望のかけらもない荒涼たる日常風景、粗野でショッキングな振舞いが次々に描かれていて気が重くなる。これぞ正真正銘の「чернуха チェルヌーハ」(ことさら暗黒面を描く文学)と言えよう。

例えば「丘の下」は、戦場で死ぬ兵士を一人称で書いたもの。意識があるもののもう動けなくなった「私」のポケットから、大事に手帳に挟んでしまってあった恋人の写真が奪われていく。一緒に死んでいく友人からは後生大事にしていた皮の財布が盗られてしまう。

「台所で」では、酒を飲み絶望しきっている友人に「私」がいい加減な相槌を打っている。「人生は奇跡だ」という友人に「私」は「人生は泥沼だよ」などと応じ、やがて「そろそろじゃないか?」と「私」が誘いかけると、友人は窓から飛び降りる。自殺幇助ではないか。

「初めての女の子」は、憧れの女の子を輪姦しなければならない状況に追いつめられる「私」の話だ。やりきれないのは、主犯格の男が教育者だということと、「私」が「セン」と呼ばれていること。作家の本名センチンを思わせる。

読みながらしきりにレオニード・アンドレーエフ(1871-1919)を思い出した。とくに「初めての女の子」はアンドレーエフの『深淵』に似ている。
センチンはあるインタビューでアンドレーエフについてこう語っている。「アンドレーエフは、19世紀と20世紀のはざまにロシアの日常で何が起こったかを他のだれよりも鮮やかに示した作家だと思います。1898年から1908年までのアンドレーエフの作品には、100年後に起こったこととの共通点がたくさんありますし、私自身の意識とアンドレーエフの登場人物たちの意識には似たものがあるのを感じます」。

アンドレーエフは、革命の起こる直前のロシアで、死、性、狂気などをテーマにした作品を世に問いセンセーションを巻き起こして流行作家となったが、革命後フィンランドに亡命した。

センチンの作風を「絶望の詩学」と名づけたい。

2012年10月 8日

ドビュッシー展

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ブリヂストン美術館で開催されている「ドビュッシー、音楽と美術-印象派と象徴派のあいだで-」展に行く。

この展覧会の主人公はもちろん作曲家クロード・ドビュッシーだが、彼の絵画作品が展示されているわけではない(そもそも彼は絵を描いたのだろうか?)。絵が好きだったというドビュッシーが懇意にしていた画家たちの作品や、彼がインスピレーションを受けた作品を通してドビュッシーという人物あるいはその音楽を感じ取ろうというコンセプトである。だからこそ「音楽と美術」という副題が付されているのだろうが、そこにどうしてももどかしさを感じてしまった。

いちばんよかったのは、やはりドビュッシーのつまり音楽作品。音声ガイドで、歌劇『ペレアスとメリザンド』の一部がドビュッシー自身によるピアノ演奏で聞けたことである。

ないものねだりをしても仕方ないが、私としては、ドビュッシーとムソルグスキーの影響関係、バレエ・リュスとの関わりにもう少し比重がかけられていたら、もっとずっと楽しめたと思う。

2012年10月11日

ゲニス「赤いパン」

4年ゼミで講読しているテクストは、アレクサンドル・ゲニス「赤いパン」という評論。
この本に収められている。
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Александр Генис. Иван Петрович умер. М.: Новое литературное обозрение, 1999.


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「ソヴィエト文明の料理の諸局面」という副題にあるとおり、ソヴィエト時代の食のありようを文化学的に捉えたウィットとアイロニーに富むエッセイだ。
食に対するロシアのインテリたちの伝統的な禁欲的態度を「料理のニヒリズム」と呼び、一度に3000人ものスープを提供する「台所工場」の集団食を無神論の世界における「似非宗教儀式」と喝破する(ユーリイ・オレーシャの『羨望』だ!)。1960年代に「食の豊かさ」がどれほどしつこく繰り返されて神話となったか、プロパガンダに用いられる料理がどれほど「ヴェジテリアン」的志向を持っていたか等じつに痛快。

祝・サブリナ先生、外務大臣表彰!

長年にわたり東京外国語大学で教鞭を執ってくださっているエレオノーラ・サブリナ先生が、この度「日本とロシアとの相互理解の促進に尽力して日本と諸外国との友好親善に寄与し、その功績顕著なものがある」として、外務大臣表彰を受賞した。
おめでとうございます!

サブリナ先生は、モスクワ大学卒業、歴史学博士。東京外国語大学、横浜国立大学等でロシア語教育に携わっていらっしゃる。日本青年会議所「ロシア友好の会」総務顧問。訳書に『プロコフィエフ短編集』(共訳、群像社、2009)がある。

去る7月19日に表彰式がおこなわれた。
日本のキモノを仕立て直したというドレスが素敵。
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2012年10月18日

【お知らせ】日本比較文学会

来る10月20日(土)21日(日)以下のとおり、日本比較文学会第50回記念東京大会が開かれる。

会場:日本大学文理学部
〒156-8550 世田谷区桜上水3-25-40
TEL 03-3329-1151

10月20日(土)13:10~15:30
A室(3号館3506)
1「?外の『舞姫』と『椋鳥通信』」富山大学 金子幸代
2「 森?外の転換とラーゲルレーヴ受容―「牧師」、スウェーデン語原典、およびドイツ語訳の比較―」東京理科大学 中丸禎子
3「福田恆存による『ハムレット』の翻訳と詩劇」筑波大学大学院 古田高史
4「 黒澤明監督のドストエフスキー理解―黒澤映画《夢》における長編小説『罪と罰』のテーマ―」東海大学 高橋誠一郎

B室(3号館3509)
1「『三四郎』における「偽善家」―「演技者」としての美禰子―」専修大学 塚本利明
2「Asia 誌に見るパール・バックの対日認識」読売カルチャー講座本部非常勤 範麗雅
3「村田孜郎と中国の伝統演劇」筑波大学研究員 姚紅
4「十八世紀日本における「自由」―海保青陵を手がかりに―」東京大学 徳盛誠

C室(3号館3510)
1「フランスにおける有島武郎『或る女』の受容と評価―Arishima Takero, Cette femme-laとその周縁から―」愛知教育大学非常勤 杉淵洋一
2「夫の語りと妻の語り―金子光晴・森三千代の「放浪の旅」を再考する―」東京工業大学非常勤 趙怡
3「戦前日本における「クオーレ」受容―国定国語教科書を中心に―」早稲田大学研究員 尾崎有紀子
4「「コウロギの鳴き声」と「多彩な沃野」に託されたもの―「満洲民藝調査報告展覧会」再考―」東京工業大学 戦暁梅


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10月20日(土) 15:35-18:05 (3号館3507)
シンポジウムⅠ「ミステリー・ジャンルと比較文学の方法」
司 会:日本大学 井上健
パネリスト:国際日本文化研究センター 鈴木貞美
      漢陽大学校非常勤 韓程善
      昭和女子大学 江口雄輔

10月21日(日)
13:00-14:00 図書館棟3階オーバルホール
講演「翻訳とは何か?─『世界文学全集』の編集作業に沿って─」
講師:作家 池澤夏樹
司会:東京支部長・日本大学 井上健

14:15-16:45 図書館棟3階オーバルホール
シンポジウムⅡ 「響き合う言葉─外国文学者・翻訳者が語るラテンアメリカ文学─」
司 会:東京大学 野谷文昭
パネリスト:東京大学 工藤庸子
      翻訳家・作家 鴻巣友季子
      静岡大学 花方 寿行
ディスカッサント:作家・明治大学 管啓次郎

2012年10月22日

【お知らせ】ロシア会

来る11月10日(土) 東京外国語大学ロシア語科の同窓会である「ロシア会」の会合を開く。

13:00~14:30 講演
        中澤孝之 氏 (ロシア問題評論家 元時事通信記者)
       「超大国ソ連はなぜ解体したのか?その原因を探る」

15:00~17:00 懇親会(ロシア民謡サークル「ルムーク」のミニコンサートあり) 

場所: 日立金属 高輪和彊館(東京都港区高輪4-10-56)JR品川駅から徒歩10分
懇親会会費: 学生1000円 社会人4000円

奮ってご参加ください!

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2012年10月24日

「ツル」のイメージ

モスクワ国立言語大学の言語教育の専門家たちが東京外国語大学を訪れ、私の3年ゼミの授業で特別セミナーをしてくださった。

イスクラ・コスマルスカヤ先生は外国人に対するステレオタイプについて。
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インガ・グロワ先生は журавль(ツル)という言葉のイメージについて。
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ロシア人が「ツル」という言葉を聞いて連想するのは、空高く飛ぶ自由、勇壮さ、魂、もの悲しさなど。
"Лучше синица в руках, чем журавль в небе"(空にいるツルより手の中のシジュウカラのほうがよい)という諺ではツルは「手に入らない夢のような大物」を意味している。また、作家ミハイル・プリーシヴィン(1873-1954)の「秋と差し向かいで」という作品では、ツルの鳴き声が秋のもの悲しさを象徴しているという。
こうしたロシア語の言葉にまつわる文化学的コノテーションの説明が興味深かった。

2012年10月25日

プリレーピンの短編「おばあさん、スズメバチ、スイカ」

『群像』 2012年12月号「短編小説特集」にザハール・プリレーピンの短編「おばあさん、スズメバチ、スイカ」の拙訳が掲載される。

失われてしまった牧歌的な農村風景に現れるスズメバチ。スズメバチは死をももたらす凶悪な暴力を象徴しているように思う。
「21世紀の新リアリズム」を代表する作家プリレーピンの、過去(ソ連時代?)へのノスタルジーを強く感じさせる作品だ。
下の短編集 『熱いウォッカに満ちた靴』に収録されている。
Захар Прилепин. Ботинки, полные горячей водкой. Пацанские рассказы. М.: АСТ, Астрель, 2008.


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2012年10月27日

【お知らせ】 シーシキン講演会

来る11月2日(金)ロシア語作家 ミハイル・シーシキンの講演会がおこなわれる。

講演: ミハイル・シーシキン「ロシア文学の意味」+朗読
シンポジウム: シーシキン+島田雅彦(作家)+松永美穂(ドイツ文学)
モデレーター: 沼野充義  
通訳: 吉岡ゆき

日時: 2012年11月2日(金) 午後6時30分~8時30分
場所: 東京大学(本郷キャンパス) 法文2号館2階 文学部1番大教室
問い合わせ先: 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
現代文芸論研究室 電話03(5841)7955/スラヴ文学研究室 電話03(5841)3847
 
シーシキンの最新長編 『手紙』 奈倉有里訳(新潮社、2012年)がまもなく刊行される!
なんて素敵な装丁だろう。
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Михаил Шишкин ミハイル・シーシキンは1961年モスクワ生れ。モスクワ国立教育大学卒業。1995年以降チューリッヒに住んでいる。
『イズマイル攻略』(2000、ロシア・ブッカー賞)、『ビーナスの毛(ホウライシダ)』(2005、「国民的ベストセラー賞」と「ボリシャーヤ・クニーガ賞」)、『手紙』(2011、「ボリシャーヤ・クニーガ賞」)。このようにロシアの権威ある文学賞を3つとも受賞しており、現代ロシアでもっとも実力のある小説家の一人と評されている。

彼の作品の邦訳はこれまで自伝的短編「バックベルトの付いたコート」沼野恭子訳(『新潮』2011年5月号)しかなかったので、『手紙』が翻訳されることになってとても嬉しい。
この長編の読者は、いわく言い難い不思議な愛の時空間を旅することになるだろう。

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