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センチンは「100年後のアンドレーエフ」か

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これは、ロマン・センチン(1971年生れ)の短編集『豊富』。タイトルは中に収められた同名の短編から取られたものだ。

Роман Сенчин. Изобилие. М.: КоЛибри, 2011.

1990年代に書かれた短編が34編収められているが、この作品集全体の特徴は「凄惨」と言う一語に尽きるだろう。目をそむけたくなるような惨たらしい現実、希望のかけらもない荒涼たる日常風景、粗野でショッキングな振舞いが次々に描かれていて気が重くなる。これぞ正真正銘の「чернуха チェルヌーハ」(ことさら暗黒面を描く文学)と言えよう。

例えば「丘の下」は、戦場で死ぬ兵士を一人称で書いたもの。意識があるもののもう動けなくなった「私」のポケットから、大事に手帳に挟んでしまってあった恋人の写真が奪われていく。一緒に死んでいく友人からは後生大事にしていた皮の財布が盗られてしまう。

「台所で」では、酒を飲み絶望しきっている友人に「私」がいい加減な相槌を打っている。「人生は奇跡だ」という友人に「私」は「人生は泥沼だよ」などと応じ、やがて「そろそろじゃないか?」と「私」が誘いかけると、友人は窓から飛び降りる。自殺幇助ではないか。

「初めての女の子」は、憧れの女の子を輪姦しなければならない状況に追いつめられる「私」の話だ。やりきれないのは、主犯格の男が教育者だということと、「私」が「セン」と呼ばれていること。作家の本名センチンを思わせる。

読みながらしきりにレオニード・アンドレーエフ(1871-1919)を思い出した。とくに「初めての女の子」はアンドレーエフの『深淵』に似ている。
センチンはあるインタビューでアンドレーエフについてこう語っている。「アンドレーエフは、19世紀と20世紀のはざまにロシアの日常で何が起こったかを他のだれよりも鮮やかに示した作家だと思います。1898年から1908年までのアンドレーエフの作品には、100年後に起こったこととの共通点がたくさんありますし、私自身の意識とアンドレーエフの登場人物たちの意識には似たものがあるのを感じます」。

アンドレーエフは、革命の起こる直前のロシアで、死、性、狂気などをテーマにした作品を世に問いセンセーションを巻き起こして流行作家となったが、革命後フィンランドに亡命した。

センチンの作風を「絶望の詩学」と名づけたい。

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2012年10月 6日 16:36に投稿されたエントリーのページです。

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